空模様

  

 SS を公開したので全人類読んでください(先制攻撃)(初手絶対零度)(確一)(命中率三割)。

www.pixiv.net

  アイマスのアの字も出てこないので、タグに書いてある主人公の名前さえ知っていれば、他の前提知識がなくても読めます、親切設計(二次創作としてそれはどうなのという指摘がある)(分かる)(アイマスじゃなくてよくない?)(ぐえー)。

 

 

 吉音のほうで諸々があり、あったので、自分の書いた何かしらをブログにでも貼り付けておくかなあと思い今まさにこれをしてる最中なんですが、まあ、最中です。最中って、なんか、自分の脳がバグってるだけかもしれないんですけど、最中(さいちゅう)よりも先に最中(もなか)と音声変換されてしまい、自分の打ち込んだ文字列を見て、何だコイツ、と思いました。それだけ。

 一次創作、という言い方もおかしいですけれど、同じような因子がごく身近に複数いることが判明しモチベーションのあれこれがあり、色々と書いては消してを繰り返した正月三が日だったんですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。あけましておめでとうございます。こちらは進捗ゼロ。いや、書けなくない? そもそも自分が何を書きたいのかもよく分かってない。助けてくれ。

 

 

 ちょっとだけ作品の話(にみせかけた自分の話)をします。読みたくない人はブラウザバックするか、スマホあるいは PC を破壊するかしてください。僕の計画通りなら全人類が上の SS に目を通したはずなので、ネタバレとかは考慮しません。嘘です。でも、なんか迂闊に書いちゃうかも。

 

 上の作品を書いていたのがちょうど去年の六月から七月頃なので、そこら辺のブログ記事を読んだ方が早いと思います、という書き出しから始めようとしたんですが、珍しく大した記事が上がっておらず初手で詰んでます。助けて。このブログ、トップページに冠されている通り、どこかの自分が考えていたことをいつでも思い出せるようにするための備忘録みたいなものなんですが、ここ数ヶ月くらい、更新頻度が落ちまくっていてアレですね。更新するために書いているわけではないので、だからといって更新頻度が上がるということはないんですが……。

 

 この作品を提出して、まあそれが本になり(様々な人々の多大な労力によって同人誌(文庫本)になる。自分は特に何も関与していないので本当に頭が上がらない)、出来上がったそれをマス研の民々(たみだみ)は読んだり読まなかったりするんですが、好きと言ってもらえるのは当然のように嬉しいので覚えており、それはそれとして「これ一葉のブログやん」と言われたことも覚えており、ああいや、勿論嬉しかったからですけど。

 嘘だけは書きたくないなあ、みたいな気持ちがどこかにあり、嘘っていうのはこう、物語論とかではなく、自分自身が嘘だと思うような、思ってしまうことという意味であって、要するに、自分でもよく分かっていないことを知った風な口で書くのだけはやりたくないという意味なんですが、なんか、よくあるじゃないですか、そういうの(社会への全体攻撃)。カッコいいこと言ってるけどめちゃくちゃ薄っぺらいみたいな、アレ。あれにだけはなりたくない。だから「自分のブログ」と言われたことは割と嬉しく、書きあがったそれをみて、ああ、嘘じゃなかったんだ、と思うことができるので。まあ、その作者補正(?)がなくなったときに、この作品がどういう風に映るのかという懸念はありますが……。

 

 四万四千字。恋愛観とか死生観とか、そういったテーマを扱うには少なすぎるって気がしますよね、自分でも思います。マジで、反省してる。そういうあれが作品の終盤を書いているときに意識として浮かび上がってきて、「日記帳なんかに書き起こしたとして」の件はそういった意味があったりします。大概の物語は既存の形よりも簡潔に要約できてしまうわけで、それは内容を削ぎ落し、前提と過程と結果の三つを箇条書きにするという意味ですけれど、だからというかなんというか、そのたった数百字で収まるような話を数千、数万、あるいは数十万にするのがクリエイターなんだろうなあ、って。何の話? いやまあ、もっと書けたよねって話ではなくて。もう書けんし(「もうかけんし」って変換したら「猛火玄師」が出てきた。ジャンプ作品の中ボスくらいに出てきそう。ナルトでいうところの中忍試験)。そうではなく、結局、これだけの字数を使ってでも書きたかったのはたった一つだけだったという話です。作家ってすごいな、マジで。思った。だってこれを一生涯続けるんだろ。擦り切れて死ぬよ、普通。

 

 といっても、自分が何を書きたかったのか、正直あんまりよく分かってないです。完成当時、書きたいことを書けた! と思い、まあいまもそう思ってはいるんですが、その「書きたいこと」ってなんだ? と問われると答えに窮するというか、窮鼠になります(子年なので)。なんだろう。でも結局、どうしようもない別れを繰り返しながら死ぬまで歩き続けるんだなって、それくらいのことのような気もします。それは自分の恋愛観でもあるし、死生観でもあるし、いや、ないかもしれませんが(というか死生観って実際のところ何?)。その瞬間からしばらくずっとは苦しいし、悲しいし、僕は身近な人の死を経験したことがないのでこんなのはただの憶測でしかありませんけれど、それでも知ったような気になれる程度には似たような経験をいくつかしたつもりだし、そういった寂れた痛みが失くせない灯りになる日がきっとやってくるから、だから理由なんて分からなくたって歩いていかなきゃいけないんだなって、どこの誰に向けたメッセージとかではなく、強いて言えば自分に宛てたそれです、多分。だから、僕が一番気に入っているのは最後の、電車に乗って事務所へ向かうシーンです。

 

 

 そんな感じ。一月中にはなんか新しいの、それこそ一部の吉音民(きちおとたみ)と話したみたいな、自分だけの話を書き始められたらいいなあと思ったり思ってなかったりします(超希望的観測)(試験勉強)(留年)。