雨音が煩い。

 

 

 この季節、午前四時を回ったくらいの夜になると、南の空には綺麗なオリオン座が浮かび上がる。去年もみられたはず。というか多分、去年もみた。ちょうどこれくらいの季節、深夜、鴨川辺りで。でも、忘れてた。二週間くらい前だったと思う。四時半の帰り道、指でなぞらなくても分かるくらいに綺麗な星空がそこにはあって、なんか、有体に言って感動した。陳腐だけど。初めてのことみたいに。そんな風に、色々忘れて、失くさないで、そうやって何度も繰り返し出会うんだろうなあ、と思う。あらゆることに対して。

 

 

 何年かぶりに夜が明けていくのをみた。鴨川。寒かった。普通に馬鹿。せめて防寒をしろと思う、今更だけど。誰も読まないんだろうなあ、って看板がそこら中にあった。火気厳禁、みたいなことが書かれていた。線香花火を遠目に眺めた夜を思い出した。あの日、湿った足場に無造作に捨てられていた、まだ使えそうなライターのことも。そういうことばかり覚えている。妙な気持ちだった。悲しかったのかもしれないけれど、多分違う。なんだか、そんなもんだよな、と思った。辺りを見渡すと、これまでは気づきもしなかった岩が目についた。スマホのライトで照らしてみると、読みにくい文字が彫られていることがわかった。その場で解読したのだけれど、なんと書いていたかはもう覚えていない。千島とか、なんか、そんな感じの。知り合い以外に誰もいなかったから、いまがチャンスだなあ、と思いながら、なんとなく樹に抱き着いてみた。抱えられるのかなあ、と思って。まあ無理だった。

 

 

 何もかもを終わらせたくなる瞬間がある。少なからず。呼吸とかじゃなく、もっと些細な。ペットボトルは指定のゴミ箱に捨てる。持って帰ることのほうが多いけれど。そういうのをやめて、手元にあるそれを、下流に向かう河へ思いきり投げたくなる。やらない。昔の自分でも、多分、やらなかった。でも、石くらいは投げたかもしれない。誰もいないんだし。いまは石を投げることもしない。そのままが一番いいし、わざわざ乱すこともない。

 

 

 何度、と思った。直に会えなくなる。でも話すことなんてない。大概は話さない。そのまま。二人きりになってから一時間くらい。夜明けの空は綺麗だった。もう全部忘れたけど。それは覚えている。どうでもいいことばかり覚えている。弁当の話とか。帰り道を歩きながら、またそのことを思い出した。口にはしなかった。別れて御影を上りながら、自転車の色を忘れたな、とふと思った。繰り返しみていたはずなのに。なんなら、服の色も。全部忘れた。どうでもいいことも。全部。

 

 

 帰ったら自転車がなくなっていた。なくなってる、としか思わなかった。駐輪許可のシールを貼っていたとはいえ一年以上乗らずに雨ざらしだったから、おおかた引っ越した住人が置いていったものか何かだと思われたのだと思う。まさか、その持ち主が未だ居住しているとは思っちゃいないだろう。正直ありがたかった。もう自転車に乗る気はなかったし、ここにあっても処理に困るだけだった。高一の頃に買ったから、こっちに来るまでの五年くらい、ずっと使っていたという計算になる。それなりの愛着を持っていたはずだった。面倒くさがりということもあり、何かを買い替えるということを自分は基本的にしないから、愛着なんて気づけば湧いている。だから、それがなくなっていたときに、ああ、なくなってる、としか思わなかった自分のことが、ちょっと嫌になった。嫌になってから、撤去されたことがどこか不満に思えてきて、それもまた嫌だった。まあ、愛着なんて多分もとよりなかった。だって、それがあったなら、そもそも一年以上も雨ざらしになんてしていない。勘違い。自惚れ? どっちでもいいけど。

 

 

 なんのため、と思う。分かりきっている。自分のため。それは嘘。誰かのため。それも嘘。じゃあ、なんのためだ。考えながら、適当なフレーズを口ずさんで、洗濯機のスイッチを入れる頃には、どんなメロディを唄っていたかも忘れた。なんのためだろう。電車に揺られながら考えた。なんのため。長生きはしたい。長く生きたいわけじゃない。死にたくはないけれど、死にたくないわけでもない。青空を見上げる日が、一日でも多くあってほしい。だから、まあ、結局はそのためだよなあ、と思う。失くさないよ、なんて、あれは嘘。失くすに決まってる。何度も出会えることなんてない。一度でも出会えたのなら、それは奇跡だと思う。だから、つまり、それだけのため。まだ死ねない、と思うのも、それだけのため。思うだけなのも、それだけのため。

 

 

 昔の自分に言ってやりたい。いまのお前がどれだけ恵まれているのかを、ちゃんと考えろって。言えるもんなら言ってやりたい。それが叶わないから、多分いまがある。それが叶うのなら、いまの自分が生きている意味なんてどこにもない。だから、いまでいい。でも、言ってやりたいな、と思う。そういうもの。未来の自分も同じことを叫んでるんだろうなあ。そうやって唄っていられるいまがどれだけ価値のあるものなのか、ちゃんと考えろって。分かってる。そんなの。