試験嫌すぎ。

 

 

 ハロ~。

 

 このブログ、気づけば三週間近くも放置していたんですね。ああ、いや、放置してたって言い方はあまり正しくないんですけれど、後回し? それもなんか違いますね。ブログを書かなきゃいけないという、その、義務めいた何かを背負っているというわけではないので。ともかく、最後に記事を書いてからそれなりの時間が空いたなあ、という話です。この間、色々とやらなきゃいけないことがあってそれで書けなかったというのがあるんですが、そのあれこれがとりあえず片付いてある程度落ち着いたのでこうしてまたブログを動かし始めようとしており、しかしまあ、久しぶりすぎて自分がどんな感覚で書いてたのかをうまく思い出せないっすね。昔の自分、めちゃくちゃすごい頻度で更新していたりして、なんだそれ? そんなに書くことあるかなあ。あったんだろうな。分からんけど。

 

 忙殺、ってほどでもなかったんですけど、ここ一か月半ちょっとの間に考えていたことが色々とあって。といっても、それはその期間だけの話じゃなくて、去年の夏あたりから拾ってきたやつらをぐっと凝縮させた何かという感覚なんですが、いや、何言ってんのか分かんないな、自分でも。とりあえず、去年の夏から考えていたあれこれを直近一ヶ月くらいでより深く考えることになった、みたいな話です。

 色々あるんですよね。本当に色々。自分でも思い出せないくらい。誰だってそうだと思いますけど。たとえば、何だろう。どれにしたってこれまでに一度通った道なので、ブログのどこかしらにはその断片が転がってたりするとおもんですが、それこそ、死ぬってどういうことなんだろうなあ、とか。誰かの死って自分が思っていたよりもずっと軽くて、母方の祖父が亡くなってその葬式で感じたこととか、あるいは某有名ボカロPの訃報もそれに続く形で自分のもとに入ってきて、それにしたって三日もすれば頭から抜け落ちそうになっていたりして、なんだかなあって。自分が思うに多分、軽いんじゃなくて重たすぎて抱えていられないだけなのかなあとか。どうしたって忘れていってしまうものは仕方がないんですが、それでも忘れたくないものってあるじゃないですか。だからこう、その誰かの死をふとした瞬間に思い出すことのできるいまはまだいいんですけれど、それさえも忘れてしまったら嫌だなあとか思うことがあって。祖父との関係とかは実を言うとほとんど記憶になくて、wowakaさんにしたって彼の曲を一方的に自分が聴いていただけだし、それも別に熱狂的なファンだったってわけでもなく、だから、わざと口を悪くするならほとんど赤の他人なんですが、でも、何だろうな。死という現象に対して考えることなんて、それが自分でも身内でも他人でも大差ないだろうという思いが少なからずあって、自分とは特に何の関係もない他人の死について何も考えない人は、自分の死についてもほとんど考えたことなんじゃないかなあ、とか思ったり思わなかったり。そんなことないのかな。分からないけれど。

 自分にとって大切な誰かの死というものを自分は未だに体験したことがなくて、たとえばそれはどんなものなんだろうと思いながらここ一か月を過ごしていました。どうなんだろう。案外同じなんじゃないかな、という気がするんですよね、死と消失って。なんか、なんだろうな、当たり前にそこに在った何かが突然消えてしまう瞬間があるじゃないですか。その瞬間はめちゃくちゃ悲しくて、何が悲しいのかも分からないくらい。大声で泣けたらいいのに、無駄に歳を食ったせいで泣けないし。でも、こう、最初の一年は本当に何もかもが虚しくて、事あるごとにその影を探そうとしていたんですけど、去年の十一月だったか、京都から知り合いが全員消えた日に芸大(だっけ?)のキャンパスに潜り込んで夕陽を眺めたことがあって、その帰り道、夕焼け空を見上げながらどっかに消えていったアイツのことを思い出して、そのときにやっと受け入れられたんだという気がして。それから思い出してみて、たしかにあのときみていたのは夕焼け空だったんですけど、青空でも、星空でも、なんなら曇り空でもいいなって気持ちになって、それが多分ぜんぶの答えなのかなあって。いや、悲しいのは当然で、こうはならない選択肢がどこかに転がっていたのならそれを拾いたかったし、そんなものは多分どこにもなかったんですが、それはそれとしてあってほしかったし。だけど、まあこれはこれでいいかな、って気持ちにやっとなれた瞬間があり、だから、死ってやつもきっとそんな感じなんだろうなって思うんですよね。合っているか間違っているかはさておき、個人的には。乗り越えたわけでは全くなく、一昨日かそのさらに一日前くらいにもアイツの夢を見たばかりで、なにが引っかかったのかめちゃくちゃ虚無な気持ちになりましたし、いまでもどこかにその影を探しているし、でも、それでも何か、何て言うんだろうな、ただ悲しいだけじゃないみたいな、痛いのは痛いんですけど、病院へ行ってお金を払って、そうして綺麗さっぱりお別れしたいかといえばそんなことは全くないという類の痛みで。伝わりますか? 何かそんな感じのことを考えてました。一ヶ月くらい。一年くらい。

 といっても、死ぬのはやっぱり怖いっすね。ちょっと前、彼の地元で死亡事故が起きた時、報道されていた死者の情報、といっても性別と年代だけなんですが、それがぴたりと一致していたせいでめちゃくちゃ怖くなって、連絡してみても全く反応は返ってこないし、まさか本当に巻き込まれたりしてないだろうなと思って、あのときはマジで何か気が気でなかったんですけど。それはそれとして、彼の無事が確認され(単に連絡をみていなかっただけっぽかった)、一先ず胸を撫でおろして、そんなこんなで何事もなく会えるうちに会っとかなきゃなという気持ちになったはずだったんですが、そのときの圧し潰されそうな圧迫感もけろりと忘れちゃってて。死の理由なんてその辺りにいくらでも転がってるはずなのに、そのうち会えたらいいね、なんて言って終わるだけで。そんなもんだよなあ、結局、みたいな気持ちもあります。本当にいなくなったらなったで徒に心を苛むんでしょうけれど、そのくせいまこうして呑気に呼吸をしているので、なんだかなあという感じです。

 

 話は変わるんですけど、夏コミの原稿をようやく書き終えてですね、ここ一か月のほとんどをそれに費やしていたので、次に何をしたらいいのかが全く分かりません。助けてくれ。

 真面目な話、書きたかったものをとりあえず三割くらいは書き出せたと思ってるんですけど、どうなんでしょう。自分が書いたものを自分で読んでもその辺は分からないし、だからめちゃくちゃに感想を聞いて回りたいんですが、それはそれでどうなんだよみたいな思いもあり、だからなんか、それを読んでくれてなおかつ頗る暇という稀有な人種がいらっしゃればこっそり感想ください。真面目な話ね。

 自分についていえば、SSじゃなくて小説を書きたいという気持ちがかなり強くあって、今回のやつはその感覚がいたるところで滲み出ているようなそうでもないようなという気がします。といってもSSと小説の境界線なんて知らないんですけど。地の文形式だからといってイコールで小説とはなりえないことは当然として、台本形式でもまるで小説みたいだと感じる作品だって僕のかなり狭い観測範囲に限っても幾つかありますし、だからこう、厳密な定義とかは割とどうでもよくて、結局、自分が「小説を書いた!」と思えるようなものを書きたかった、という意味での話だったりします。

 今回のは……、どうなんでしょう。割と意識していたつもりなんですけど、いざ書きあがって校正を通してみるとガバっている部分があったりして、それでまあいまは血反吐を吐いているんですが(嘘です)、前回から意識した点としては、話の密度とか繋がりとか、比喩の感じもなるべく(でもこれは割と失敗した)、あとは体裁的なところでいえばダッシュ記号をなるべく使わないとか、「……」や「!」の類を使わないとか、漢数字云々その辺り。ちゃんとうまくいってるんですかね。自分では割と上手くかけたな~と思っていて、この自信も多分半年もすれば跡形もなく崩れてるんでしょうけれど、(自分が思うところの)小説には近づけたんじゃないかなという気持ちがあります。でも全然足りない。何がって、何もかもがなんですけど。だからまあ、次があればもっと頑張ります。次っていうか、そろそろ普通に自分だけの何かを書きたいんですけどね。真面目な話。

 

 最後に、これはマジでどうでもいいんですけど、このままいくと今期の取得単位数が4になりそうで面白いな~って顔してます。いや、マジで。解析学、何も分かんね~。