どこまでも透明な君の青が

 

 

 ちょうど一年くらい前、僕は君に宛てて一通の手紙を書いたはずだ。そこに書いた言葉の一つ一つを思い出すことは、いまとなってはとても難しいことだけれど、それでも必死に考えて文字を綴ったことだけは覚えている。だけど、いまにして思えば、この台詞も随分と嘘っぽい。というのも、以前、手紙を書いたことなんてほとんどないから文通に憧れる、みたいなことをどこかに書いたような気がするんだ。要するに、忘れていた。忘れていたというか、綺麗に抜け落ちていたというか、いずれにせよ、あの手紙は僕にとってその程度のものでしかなかったのだろうと思う。返事はなかったと記憶している。まあ、もとより期待なんてしていなかったけれど、というか、あれほど一方的な告白文に返答を寄越されても、むしろ困る。いったいどんな反応をしたらいいのか分からない。僕は君のことが好きだった。いまも好きだ。それは手の中に在って当然の感情で、繰り返される日々の中で、だから忘れ去ってしまう程度には君のことが好きだ。君が僕のことをどう思っていたのかは知らない。きっと何とも思っていなかったのだと思うけれど。言ってしまえば、これはそれだけの話だ。

 

 ずっと追いかけていた何かを手に入れても、なんだか満たされないような感覚があるんだよ。一年間浪人して、やっとの思いで第一志望の大学へ来て、だけどまだ足りない。ずっと憧れていたサークルに入って、そこで自分の作品がそれなりに評価されて、だけどまだ足りない。自分なんかよりよっぽど優れた人たちに出会って、色んな物を分けてもらって、だけどまだ足りない。そのどれもが本当に嬉しくて、その感情は紛うことなく純然たる熱を帯びていて、だけどまだ足りない。何が足りない? ここじゃないどこかに行けたのなら、何かが変わるのか? 自分じゃない誰かになれたのなら、何かが変わるのか? そう自問してみて、でもすぐに首を横に振る。多分、何も変わらない。そんなことは分かっている。だけど、だから、考える。自分には何が足りない? 自分は何を欲しがっている? いったい何があればいいんだ?

 

 寝るつもりだったんだよ、本当はさ。今日の予定は早めに切り上げて、一七時を過ぎたくらいにはベッドの上で深い夢を見ているはずだった。疲れていた、というか、前日にあまり眠れなかったんだ。だから、帰ってすぐに寝るつもりだった。本当は。

 

 ところが、最寄りの駅を出てすぐというタイミングで話が変わった。宗教勧誘を受けたんだ。宗教勧誘というか、何だろうな、僕は宗教って言葉があまり好きじゃないから使いたくないんだけど、でも傍から見ればあれはただの宗教勧誘だっただろうな、と思う。駅の階段のすぐ手前で話していたから、道行く人達に結構な回数、視線を向けられたよ。巻き込まれて可哀想に、と憐れんでいたのかな。あるいは単に迷惑がっていたのか、それともいかにも勧誘という雰囲気だけで拒絶反応が出ていたのか。まあ別に、気にはならなかったけど、断っておくと、僕は声をかけられたことを迷惑だとは思わなかった。だけど、帰って早く寝たいなあとは思った。彼らは三人組だった。

 

 そこで立ち止まったまま、四〇分くらい話していた。どうやら彼らはキリスト教の信者らしかった。彼らは大した関心も寄せていなさそうな僕に向けて、福音だとか洗礼だとか、どこの国の言語かもわからないカタカナ言葉とかを並べていた。熱心だなあ、と思った。一人は左足を捻挫していたようで、松葉杖を支えにしながら、それでも言葉を尽くして語ってくれた。人間という存在は、肉体と魂と、それに加えて霊と呼ばれる部分を合わせた三層に分かれていて、我々人間が何をしても満たされないのは、その霊の部分が空っぽだからだと彼らは言った。そして、何かしらの言葉を唱えると神が、つまりイエス・キリストが降臨して空っぽの霊を満たしてくれるのだと、彼らの主張を大雑把に要約すると概ねこのようだった。人によってはこういうことを嫌うのだろうな、と思いながら聞いていた。現に、そのことは道行く人々の目が雄弁に物語っていた。神なんて馬鹿馬鹿しい。救いなんてどこにある。騙されているだけ。勝手に語ってろ。そんな感じの空気を周囲から何となく感じながら、僕は適当に相槌を打っていた。なるほど。まあ、そういう解釈もできますね。そんな感じのことを言っていた。

 

 悪い気はしなかった。早く帰って眠りたかったというのは勿論本心だけれど、でも人と何かを話すのは嫌いじゃない。あのニュースがどうだとか、このコンテンツはどうだとか、巷に溢れかえっている有象無象に比べれば、よっぽど有意義な会話だったと思う。というか、そうじゃないなら四〇分も話したりはしない。適当なところで話を切って、そこで終わりにすればいいのだから。そうしなかったのは、ひとえに彼らの話が興味深かった故だ。

 

 彼らの中に在る、神によって救われたという信仰を、しかし僕は全く信じていない。神? 神だって? いてたまるか、そんな奴。聖書の中の神みたく便利で有難い存在は、少なくとも僕の世界においては影一つさえ与えられていない。信じているとか疑っているとかの次元じゃない。そもそもいないんだ、そんな奴は。でも、だからって、彼らの信仰を否定しようという気も全くない。彼らの世界には、いわゆる神様がきっといるのだろう。だから、彼らはあんなにも真っ直ぐに神の存在を肯定する。その信仰を誰かに伝えることを憚らない。幾つか交わされた会話の中で、僕は一つ、彼らに尋ねてみた。そうやって信じている神の存在を疑ったことは一度もないのか? 救われる前のことじゃない。救われたという信仰が生じたその後に、あんなものは嘘だったんじゃないかと、どうしようもない疑念が鎌首を擡げた瞬間はないのか? そう訊いてみた。すると、彼らは答えた。当然ある。本当に駄目になりそうになったとき、たとえば苦しみが連なった波に呑まれそうになったとき、ふと気がつけば神の存在を疑っている。いつも側にいるなんて宣ったくせに、今ここで苦しんでいる私をどうして救ってくれないんだと呪う。だけど、すぐに思い改める。それは苦の闇が視界を覆い隠してしまっているだけであって、やはり神はいつだって隣にいてくれている。そのことに思い至る瞬間が必ずある。そうして、私たちは再び救われる。一人じゃない。神がいてくれるから、私たちは歩いていける。そんな感じのことを、やはり熱を帯びた口調で、彼らは答えてくれた。僕はその言葉を聞いて、思わず笑った。安心したんだよ。望んだ通りの言葉が返ってきて、そのことがちょっとだけ嬉しかったんだ。分かるかい? 君には分かってほしいけれど、分からないというのならそれで構わない。とにかく、安心したんだ。

 

 彼らの話は十分に納得のいくものだった。肉体だとか魂だとか霊だとか、そんなものは全く信じていない。だけど、それは多分言葉が違うだけだ。彼らが言うところの霊は、僕が言うところの空っぽだ。満たされない何かだ。自分の中に漠然と浮かぶ像を、誰かにそのまま伝えることは難しい。そんなことは誰だって知っている。だから、彼らはそれに解釈を与え、名前を与え、姿かたちを与えた。人間の精神はこういった三層構造になっていて、各部分には名前がついていて、このような役割があって、そして肝要な部分は最も中心にある霊と呼ばれる部分です。そうやって図を用いて説明すれば、聞くつもりさえあればどんな馬鹿でも分かる。彼らが、あるいはキリスト教信者が勝手に与えた名前なのだから、僕の辞書と食い違うのは当たり前のことだ。でも、だからってその空白の息遣いを知らないわけじゃない。そういう意味で、恐らく言葉が違うだけだと思う。本当のことを言えば、一つの側面が一致しているだけで、その他無数の要素は相反していたりいなかったりするのだろうけれど、一つでも一致しているということが重要だ。彼らは霊と呼んだ。僕は空っぽと呼んだ。それだけの違いだ。

 

 彼らの話を聞きながら考えた。自分の空っぽを満たし得るものは何なのだろう? 彼らの場合、それは神だった。でも、残念ながら僕の世界にそんな奴はいない。だから、僕の空っぽを満たすものは神ではあり得ない。じゃあ、何だ? ずっと信じている何か。いつもすぐ側にあって、だけどふとした瞬間に見失ってしまって、その度に拾い上げて、また落として、そんなことを繰り返しているもの。それはいったい何だろう? そう考えた。だけど、すぐに思い当たったよ。そして、ちょうどそのときに、君に宛てた手紙のことを思い出したんだ。当たり前すぎて、やっぱり忘れていた。本当のことを言えば忘れてなんかいなかったけれど、だけどやっぱり忘れていたのだろうな。そうして君のことを思い出して、だからこそ僕は彼らに尋ねたんだよ。神に救われたという信仰を疑ったことはあるか? そして彼らは肯定した。だから僕は安心した。どういうことか、そろそろ分かってきた頃かな。

 

 僕と彼らはよく似ている。同じような何かを強く信じている。透明な何かを信じて生きている。どうしようもない空白の核として、その透明を内側に宿している。彼らの場合はそれが神の救いで、僕の場合はまた違うわけだけれど、だけどまあ同じようなものだろうと思う。

 

 でも、僕と彼らとは全く違う。まるっきり真逆だ。彼らは一緒に歩いていると言った。一人じゃない。神がいるから歩いていける。そう言った。だから、真逆だ。僕はたしかに何か透明なものを信じて生きているけれど、近くにあってほしいなんて願ったことは一度もない。それは誰の手も決して届かないほどに遠く離れた場所に在ればいい。彼らは空白の中に神を呼び込み、それによって満たされると言っていた。それもまた真逆だ。僕は空白の外に広がった透明に焦がれて生きている。彼らの話を聞きながら、そう思った。真逆だ。どうにもならない空白を本当に満たしたいのか? 自分には何かが足りないと思う。だから何かを欲しがっているのだろうと考えた。だけど、本当にそうか? 何かを手に入れたって、どうせまた真夜中の欠落感に苛まれるんだ。知っている。知っているはずだ。結局のところ、彼らの話を聞いて感じたことといえば、つまりはそういうことなんだ。この空っぽをそんなにも簡単に満たしてしまってたまるか。そう思ったんだ。

 

 欠落を愛して生きていくのなんて無理な話だと思う。嫌なことは嫌だし、苦しいものは苦しいし、泣きたくなるし、でも泣けないし、そんな夜をこの先もずっと繰り返して生きていくのだろうと思う。いっそこの手が届けばいいのにとか、君の色を忘れてしまえたらとか、そんなことも何度だって考えるだろうと思う。でも、どうしようもないよな、そんなことはさ。この空っぽを君以外の何かで埋められるだろうか、と考えてみる。案外埋められるのかもしれないな、と思う。それこそ神様みたいな、そういう便利で有難いジョーカーみたいな存在が、この世界のどこかには転がっているのかもしれない。これからも続いていくそう短くはないはずの旅路で、そんな何かに出会わないとも限らない。だから、違う。考えるべきは、この空っぽを君以外の何かで埋めてしまいたいのか、ということだ。だけど、それは考えるまでもない。そんなはずがない。想像するに、それは最悪だ。君が残してくれた最初で最後の透明を、自分で真っ黒に塗りつぶしてしまうようなことはしたくない。それなら、ずっと抱えたままで生きていきたいと思う。そうやって生きていけたらいいと思う。何かが足りないような気がしたまま、そうやって死んでいけたらいいと思う。この空っぽを満たす必要なんてどこにもないんだ。だって、もうこんなにも重いから。これ以上、何も要らない。

 

 どうなんだろう。他の誰かが聞いたら大声上げて笑うんだろうな、こんな感情。誰に明かすつもりもないけどさ、どうせ解ってもらえないだろうし。それに僕は彼らのような布教活動をしたいわけでも全くない。君の透明は僕だけが知っていればいいと思う。だからって、独り占めしたいってわけじゃない。そもそも君は僕一人のための存在ではないし、何をどうするかなんて君が勝手に決めればいい。そんなことはどうだっていいんだ。君の理想を知っている誰かがいたなら、それは本当に喜ばしいことだと思うけれど、だからって僕が君に代わってそれを言いふらすなんてこともない。僕は僕、君は君だ。そこには何の関係もない。他人。別物。相容れない二つ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 だから、君は君の好きなように生きろよ。僕だって僕の好きなように生きる。それでいいだろ。君がどこで何をしているかなんて知らない。君だって、僕がどこで何をしているかなんて知らない。お互い背を向けてさ、そうやって道が途絶える最期の瞬間まで、ずっと前だけを向いて歩いていこうぜ。君の理想みたく、真っ直ぐ、直線的に、どこまでも。決して満たされない空っぽを抱えて、そんな空っぽに宿った透明色の質量と一緒に歩いていこうぜ。どうしようもなく最低の人生を、こんなのは最低だと呪いながら生きていこうぜ。そうやって死んでいけたのなら、それがきっと最高だ。決して届かなくたって、君の透明さえ忘れずに生きていけるのなら、どんなに最低な人生もきっと最高だ。

 

 ずっと前から知っていた。僕は君が大好きだ。信仰していると言ってもいい。言ってもいいけれど、できれば言いたくない。何度忘れても決して消えない感情を、透明な何かに手を伸ばそうとする感情を、信仰だなんて無意味に堅い言葉で表したくはない。だから、そういった綺麗な透明を、どこにもない色を探し続ける透明を、僕らは恋と呼んで生きていこうぜ。どんなに遠くたって、どんなに悲しくたって、どんなに満たされなくたって、それが恋なんだと信じて歩いていこうぜ。なあ、青空。どこまでも透明な君の青が恋の正体なんだと、そう笑って死んでいこうぜ。