想い出の町

 

 ここ数日色んな事がありすぎたせいか、気持ちと身体とがうまく繋がっていないような感覚があります。うまく繋がっていないというか、配線をしっちゃかめっちゃかにされたという感じ。伝わりますか? 正直なところ、いまの自分が何を言いたいのかもよく分かっていないし、何ならどうしてwordを立ち上げているのかさえ分かりません。別に言いたいことなんてほとんどないはずなんですけど、でもあるんでしょうね、どっかしらには。

 

 先日実家に帰ったときのことです。実家の布団の寝心地といえば相変わらず笑えてくるくらいに最悪で、しかし目が覚めてしまったものは仕方ないし、明かりを点けて両親の眠りを妨げるわけにもいかないので、外を適当に散歩することにしました。たしか午前六時になる少し前くらいでした。家を出て、西へ下るか東へ上るか迷って、それから山のほうを目指しました。下の景色はあまりにも見慣れているし、それに何物にも遮られていない青空が見たかったという気持ちもありました。十五分くらい坂道を上がって、それ以上先へは進めなくなるくらいのときには最初の選択を後悔していましたが。

 そこからはしばらく北の方へ進んで、そうしたら綺麗に空が見える場所があることを知っていたので、そこでしばらくぼーっと時間を潰していました。家を出てすぐの頃はやけに肌寒かったんですが、それくらいになると不思議と寒さは感じませんでした。雲が晴れつつあったからかな?

 来た道を引き返して、途中で少しだけ寄り道をしました。上ってきた坂道は最後に左へ直角に折れるのですが、そのまま真っ直ぐに進むと階段があるのです。僕はその階段の存在自体はずっと昔から知っていましたが、その先へ進んだことは一度もありませんでした。というのも、その階段がまるで冥界への入り口みたいなそんな感じの風貌をしているというわけでは全くなくて、端的に言って寺院か墓地か、その類の何かっぽかったんですよね。自分が入る場所じゃないという空気がそこら中に満ちていて、だから一度として上ったことがなかったんですけど、その日は何故か先を見てみようという気持ちになりました。そうして階段を上って、その先を知って、十歩も歩かないうちに降りました。まあ、やっぱり自分が来る場所じゃなかったな、と思いました。

 そのまま上ってきた道通りに下るのも何だかつまらなかったので、途中で脇道に逸れることにしました。脇道というか、小中学生の頃にたまに通っていた道なんですけどね。その途中には懐かしいものがいくつもあって、知り合いと二人で踊りの練習をした高台とか、サッカーか何かを集まって遊んでいた広場とか、少し進むと知っているはずなのに知らない景色があって、でも抜けてみたらやっぱり知っている景色だったりして。中学の頃に仲が良かった奴の家が近くにあるはずだから記憶を頼りに探してみて、でも見つかりませんでした。引っ越したのかな。一方で苦手だった奴の家は覚えていましたし、それは記憶通りの場所にありました。そんなもんですよね。

 坂道がなくなるくらいの頃には小学校が見えてくるんですよね、本当はちょっと曲がるんですけど。自分が通っていた小学校です。それを柵越しに見て歩いたりもしました。音楽室の場所をいまでも覚えていたり、図書室の周りに何があったのかはまるで思い出せなかったり、中庭の雰囲気がどこか遺跡っぽくて好きだったなあと思いだしたり、運動場が思いのほか広くて驚いたり。運動場ってあんなに大きかったっけな。昔はもっと狭かった気がするんだよな。

 自分が小学生の頃を振り返って真っ先に思い出す場所といえば、黄色の落ち葉が綺麗な裏庭、三年生の時の教室、その教室と音楽室との間にある非常階段です。非常階段で話していたようなことをいまの自分は残念ながら全く覚えていませんけれど、でもそこで四人くらい集まっていつも何かを話していたなあという記憶だけは残っていて、願わくは残りの誰かも覚えていてくれたらいいな、と思いました。まあ僕だってほとんど忘れていますし、多分向こうも忘れてるでしょうけど。

 うちの小学校、今度名前が変わるらしいんですよね。それまで全く気が付かなかったんですけど、回り終えて小学校の正門前まで来てみると、どうやら何かしらの工事が行われているといった様子で、目を凝らしてみれば、それは小学校の名前を表す部分の改装工事でした。何だか不思議な気分でした。自分とはもう何の関係もない場所なんですが、物寂しいというか、いや、特段寂しいってわけでもなかったな。何なんでしょうね、あの胸の奥が詰まるような感覚。

 そこまで来て、その朝の夢に小中学時代の友人が出てきたことを思い出しました。これは失礼な話ですけれど、僕は友人とそれ以外とを結構区別していて、いや別に失礼ってわけでもない気がしますけれど、自分と他の誰かとが友達かどうかなんてこっちが一方的に決めていいことでもないじゃないですか。それを勝手に決めてしまうのは何だか押しつけがましいというか、むしろそっちのほうが失礼じゃないかみたいな感覚があって、だからといって他の人にとやかく言いたいわけでは全くなくてこれはあくまで僕個人の問題なんですが、だからまあ要するに、他の人を友人呼ばわりすることにそれなりの抵抗があるんです。呼べと言われれば呼びますけれど、そうでもない相手を友人と称することは多分ほとんどないだろうと思います。僕が友人と呼んでいるのは、つまりそれくらいの迷惑を押し付けてもいいだろうと思えるくらいには気の知れた相手だけです。小中学生の頃でいえば、恐らくそいつ一人だけがそうでした。

 そいつとはもう三年以上会っていませんし、いまも生きているのかさえ知りません。だから、地元に帰ってくると自然と思い出すんですよね。あいつ生きてんのかなあ、ちゃんとやってんのかな、みたいな。会わなくなって一年くらい経った頃に一度会いに行ったんですけど、そのときには拒絶されてしまったみたいで、だからそれっきりなんですよね。以来、思い出しはするのだけれど、でも押しかけてもきっと迷惑だろうなと考えるようになってしまって、結局、気が付けば三年も経っていました。

 だからその日もそいつの家の前まで行ったんですよね。運よく会えたりしねえかな、と思って。友人の部屋の窓にはカーテンがかかっていました。一方でリビングには明かりがついていたりもして、これはどうなんだろうな、あいつもそこにいるんだろうかと思ったりして。自転車が明らかに人数分くらい置いてあるから多分生きてはいるんだろうなと思って、じゃああいつ今はちゃんと外に出てるのかなとか、いやでも別に自転車の数があいつの無事を保証してくれるわけではないよなとか、いろんなことを考えました。結局インターホンは鳴らさないままで、まあ朝の八時前だしなあと見え透いた言い訳を思いつつ、家まで帰りました。その日の青空がやけに綺麗で、それが鬱陶しかったことは覚えています。山の上で見たときはあんなにも真っ直ぐだったのに。

 

 成人式の日のことです。成人式なんていうイベントは本当に心底行きたくなかったんですが、会いたい奴がいないわけではなかったので、まあどうせ来ないんだろうなとは思いつつも結局は行きました。まあ大方の予想通り自分が会いたかった相手はいなかったわけですけれど、何というか懐かしい顔がいくつかあって、僕も僕なりに感傷的な気持ちになっていたりしたわけですよね。こいつらと同じ年齢なんだとは到底信じられないなあ、とも思いましたけれど。

 その日、中学時代にそれなりの交流があった相手がその会場にいました。一人は職業体験のときに同じグループになっていた三人のうちの一人で、何度も家に行って遊んだりした奴で、もう一人は中三の移動教室で席が前後だったからよく話していた奴です。何ていうんですかね。こう、もう少し綺麗な何かを想像していたんですよ、自分は。想像していたというか、期待していたというか。前者のほうは僕のことを忘れていたようで、顔を見ても「誰だコイツ」みたいな反応でした。もう一人は、何て言うんですかね、クラス全体を構成する部品の一つ的なそんな感じのことを面と向かって言ってくれました。いや、もう最悪でしたね、本当に。悲しいとか苦しいとか、そういった一切を優に越えてくる感じの、虚無感っていうんですか。まあ自分なんて所詮その程度の存在だよな、みたいな。期待しててごめんな、本当に。誰も覚えていてくれないんだな、いつかの事とかさ。じゃあいいよ、もうそれで。

 

 色んな事を忘れているつもりだったけれど、同じくらいに色んな事を覚えているんだなあ、と思いました。なんだか、それが悲しくて仕方ないんですよね、数日前からずっと。自分はまだあの日のことを覚えているのに、でももしかしたら他のみんなは忘れてしまっているのだろうかと考えただけで、具体的に何がどうとかじゃなくてただ漠然と途轍もなく嫌で、それが悲しいってことなんですけど、東に面した非常階段を柵越しに眺めながら成人式のことを思い出しつつ、そんなことをぼんやりと考えていました。

 たとえば、三年会ってないあいつのことも。地元の奴らと会ってもあいつのことが話題に上がらなくなって、それも何だか悲しくなるんですよね。だからって強いて話題にしようとも思いませんけれど、何というか、みんなもう心の片隅に追いやってんのかなあとか考えてしまって。自分は本当に地元へ帰るたびにいつも思い出すんですけど、あいつらはどうなんだろう。

 

 ここ数日、色々と辛いことが多くて、系登録試験の少し前くらいに数日間続いた不眠症に端を発して、先輩の追いコンも兼ねたイベントの二日目は家で倒れてましたし、そのせいで先輩をちゃんと送り出せなかったこともずっと心苦しくて、それに続いて身の回りで起こった、というか自分の内側で具体化し始めた問題をどうするかということもあって、だから数日くらい前には孤独感が半端なくて、孤独感というかそれこそ虚無感がすごくて、何のために生きてるんだろうなと思いながら、それでもまあちゃんとそれなりに生きていたんですけどね。

 昨日の夜、もう一昨日のことなんですけど、サークルの人たちとご飯を食べに行った先で気が付けばぶっ倒れていて、そのまま病院へ運ばれて検査を受けてきました。曰く突発的な貧血症状だったらしいんですけど、自分でも知らないうちに地面に寝転がされていたという感じで、何が起きたのかさっぱり分かんなくて、目が覚めた時は夢を見ている気分だったんですが、耳元で呼びかける先輩の声や両腕全体を走る痺れなんかが嫌に現実味を帯びていて、ああ夢じゃないのかと頭の隅で考えたのを覚えています。意識を失う直前、だから倒れこむよりも前の事なんですが、その瞬間の感覚だけやけに記憶に残っていて、頭の中が瞬間的に白へ染まる感覚。それもただ単なる白じゃなくて、ノイズ混じりの、僅かな痺れを伴った空白。死ぬときってこんな感じなんですかね。あとはそう、不運な交通事故に遭遇して、これは助からないだろみたいな重傷を負いつつも搬送用ベッドで運ばれているときに見える景色とか、こんな感じなのかなあと考えていました。そう想像してみると、死にたくはないですね。死にたいなんて言葉は気軽に言わないように心がけていますけれど、それでも願ってしまう夜があって、だけどやっぱり死にたくなんてないな。いまは本当にその思いだけが一番強く残っています。色んな人に迷惑と心配をかけてしまって、何なら僕のことを知らない通行人の方も巻き込んでしまったらしく、それに同じサークルの一個下の子を三時間近くも僕の付き添いに拘束してしまって、いやもう何から何まで本当にごめんなさいという気持ちなんですけれど、僕なんかのことをこうやって助けてくれる人がいるんだなってことが嬉しくもあって、それが正直なところです。

 

 

 具体的にいつからなのかと訊かれれば、もしかすると最初からずっとそうだったのかもしれませんけれど、それまでは好きだった人達のことを嫌いそうになっている自分を直視したのが、ちょうど二週間ほど前のことでした。自覚症状そのものは何か月も前からあって、それこそ半年前くらいから薄々気づいてはいて、それでも何とか誤魔化しながらやってきてたんですが、これはダメだなってタイミングがこれまでにも何度かあって、この前ついにその最終防衛ラインがぶっ壊れたという危機感があって、それは何というか、ただ巡り合わせただけの偶然が全てよくない方向へばかり作用しただけのことだったのでしょうけれど、遅かれ早かれこうなってたんだろうなという気はします。

 自分なんか別にいなくてもいいんだよな、という気持ちが何か月も前からずっと、胸の奥の底のほうで沈殿しているような感じがします。昨日の夜を経てもなお変わりません。別に、誰かに認められたいわけじゃないんです。承認なんて、それこそこの冬休みの間に色んな人から貰ってきました。でも、だからこそ、その程度のものでこの空っぽが満たされてたまるかという気持ちでさえあります。

 じゃあ、いったい何を欲しがってるんでしょうね、僕は。

 自分でもよく分かりません。