弱音

  

 別に自分じゃなくてもいいよなあ、と思う瞬間が多々あるんですよね。自分じゃなくてもいいし、彼じゃなくてもいいし、彼女でなくてもいいし、多分誰だって構わないんだろうな、みたいな。一緒の場にいるようでいて、実際には何一つとして繋がっていないような感覚。不連続というか、置き去りというか、いや、置き去りってわけでもないんですけど、自分が勝手に立ち止まっているだけなので、でも走り続けるという行為は誰しもが疲れるものなんですよ。普段は頑張って走ってる。誰も気付いていないだろうし、自分が気付いていないだけであるいはみんなもずっと頑張ってるんだと思います。要するに走るのが下手なんですよ。自分の身体の扱い方を未だによく解っていない。すぐに胸が痛くなるし、すぐにバランスを崩して転ぶ。その度に立ち止まって、どんどん先を走っていくクラスメイトの背中を眺めてみたりするんです。あんな風に笑い合って、たまには喧嘩もして、何も繋がってないのに何かが繋がってるような、そんな感じで誰かと一緒に走っていくことができたらきっと楽しいんだろうな、みたいなことを考えて、一方で自分の隣には誰もいないのだというただ其処に在るだけの事実を寂しく感じたりもする。そりゃたまには誰かが隣にいることもあって、それはほとんど偶然で、その時々は楽しく話せたりもするんですけれど、気がつけばその人もどこかへ行ってしまっていて、結局は一人で走り続けなきゃいけない。隣に誰もいないことに気付いた時ほど怖いものはなくて、それが何度か連続して降りかかってくると、流石にちょっとは堪えるというか、誰に言っても仕方のない弱音を吐きたくなるんです。大声で泣き喚いてやれば誰か一人くらいは気づいてくれるのかなと思いもしますけれど、年々、歳をとるにつれて涙の流し方を忘れていく自分がいて、忘れてはいないけれど、でも忘れていて、どれだけ泣きたいと願ったところでまったく思うようには泣けなくて、だから、こうやって無機質な文字列を書き並べる以外には何も出来なくて、何も伝わらないんだろうな、と諦めつつもいまはこの文章を書いてます。何も伝わらなくていい。解ってくれなくていい。助けてくれなくていい。こんな文章のことは十分後にでも綺麗に忘れてくれていい。本当は解ってほしいし、認めてほしいし、受け入れてほしいし、思いきり右頬を殴ってほしいけれど、そんなことは何一つも求めない。知ってほしい。見ていてほしい。たったそれだけのことで、でもそんなのは幼稚な自分の我儘で、だから誰を一方的に巻き込むわけにもいかなくて、肩を叩いて相手を振り向かせるなんて尚更。相手の目を見て話さない自分がこんなことを言うのは本当に傲慢というか、説得力がないというか、自分に出来ないことを他人に求めるなという感じですけれど、それでも願ってしまうことがあって、それは誰かに見ていてもらいたいということで、誰かに見られるのはとても怖いけれど、それでも一人で走り続ける方がよっぽど怖くて、よっぽど寂しい。応援なんていらない。励ましてほしいわけじゃない。自分のすぐ隣を一緒に走ってくれていなくてもいい。ずっと前でもずっと後でも、何なら全く別の道を走ってたっていい。目的地なんてどこでもいい。自分以外の誰かと一緒に走っていてもいい。たとえいまは地球を挟むほど離れていたって全然気にしない。空も地面も何も繋がっていなくていい。自分のことなんて覚えていなくたっていい。それで構わないから、だから、自分のことを見ていてほしい。どこかでいまも何かを創ろうと必死になっていて、どこかでいまも楽な生き方ができないかと考えていて、どこかでいまもずっと死にたがっていて、どこかでいまもずっと息をしている、そんな自分のことを見ていてほしい。それだけなんですよね、結局。こんなことを吐き出したところで何も変わらないし、変わりようがないということは痛いほど解っているのに、それでもこんなにも独りよがりな弱音を吐き出さずにはいられなくて、仮面を被って強がることは簡単ですけれど、それに手を伸ばすことにも疲れてしまったというか、文字はどこまでも無機質で無感情だから、きっとこれを読んでいる人の中には平然とした顔をした自分が想起されているかと思うのですけれど、まあ、そんなことはありません、割と。