もっと頭を使って考えろよ。

 

 諺というのがこの世にはあるでしょう。僕はいわゆる名言とかいうのが大嫌いなのですけれど(何回も書いてる)、一方で諺は割と平気です。結局はそこに発言者というファクターがあるかないかという話に落ち着くわけですが、誰々が言ったからこれはいい言葉で、誰々が言ったからあれは信用に値しなくて、そんな感じで世に蔓延った思想が心底苦手なんですよね。お前がナポレオン三世の何を知ってるんだよ、何も知らねえだろうが、自分にとって都合のいい言葉ばっかり切り抜いてんじゃねえぞ、と思います。思うだけで言葉にはしませんが。

 数ある諺の中でも特に共感できるものを二つ挙げろと言われれば、僕は「人のふり見て我がふり直せ」と「類は友を呼ぶ」の二つを答えるのですが、そもそも諺にしたって僕は大して好きではなくて、嫌いではないにせよ特別好きというわけでもなくて、だからこの二つぐらいしか自分に馴染んでないですよね。もちろん意味を知っている諺は他に幾らだってありますけれど、しかし意味を知っているからといって、その言葉を知っていることには必ずしもなりません。

「人のふり見て我がふり直せ」については、胸の奥が痛むほどには思うところがあります。鏡なんですよね。他人というのは自分自身を映す鏡だと思っています。自分の嫌いな人種を想像してみてください。何でもいいですよ。たとえば、ちょっと自分の都合通りに事態が動かなくなったからってすぐに口汚い言葉を吐く人間とか、人身事故で人に溢れる駅のホームにはいるでしょ、こういう人間。Twitterにも、何ならかつて身近だった人の中にすら腐るほどいますね。ああいう奴らです。僕はそういう人を観測する度にとても不愉快な思いをして、その一方で、でも自分も彼らと同じだなあ、と思うんですよね。そりゃあ、急ぎの道で急遽電車が動かなくなったりしたら誰だって多少は怒りますよ。事故を起こした人間に何かしら思うところもあるでしょう。それを抑え込むことができるか否かの違いでしかないと自分は考えていて、別にその感情を持つこと自体が悪なのではなくて、そういった行き場のない感情を自分の内側で留めておけないことが悪なんですよね。分かりますか?

 悪口は一度口に出してみれば一時は気分がスカッとするかもしれませんけれど、周りの無関係な人間はその得体の知れない悪意に一方的に巻き込まれて滅法不愉快になるし、なんなら誰にだってその程度の経験はあるでしょう? 悪口ってやつは、その感情を共有できる人間との間でのみ交わされるべきものであって、陰でこそこそやる分には勝手にすればいいと思いますけれど、だから無関係な他人を巻き込むものではないんですよ。それが「人のふり見て我がふり直せ」ってことなんですよね。お前がやってるのは人身事故を起こした誰かとまったく同じ行為なんだぜ、って話です。そんなことも解らないのかな、解らないんだろうな。自分を頭の悪い人間(正しくは思考力のない人間)ではないと評価しているのならちょっと考えてみてください。

 つい最近、身の回りでちょっとしたあれがあって、そのおかげでそんな感じのアレになったのでこんな記事を書いてみました。いよいよ呆れた、って気分でした。まあ向こうからすればそんな風に言われる筋合いはないという感じでしょうけれど、こっちからすれば、そんなことを言われてもな、って感じです。俺にこうさせたのはお前だからな、という気持ちです。

 

 本当にさ、自分の感情を、特に負の感情をまるで抑制できない人間はヤバいと思うぜ。そりゃさ、嫌なことがあったらその分気持ちよくなりたいよな。解るよ、それは。人間としてものすごく自然なことだと思う。というか俺だって昔はそうだったし、いまもそうだし、去年にしたって三、四回くらい、あるいは両手じゃちょっと足りないかもしれないくらいの場を踏み違えたよ。何もかも嫌になってさ、何かに、誰かに八つ当たりしたくなって仕方がなくて、次の日には我に返って数時間前の自分を呪いに呪った。俺もまだまだ下手な方だよ、周りの人と比べてみたら。だから俺も同じで、誰だって同じで、つまり鏡なんだよな。そういう人と出会うたびにこうはならないようにしようと自戒にして、それでもやっぱり間違えることもあるんだけどさ、それでも数は随分減ったと思うよ。少なくとも数年前よりは。もうニ十歳だろ? もっと頭を使って考えろよ。多分、お前が考えてるほどには全然難しいことじゃないからさ。