初めてこのブログを本来そうあるべき正当な用途として使おうとしている気がする。というのも、こういうところにでも書いておかないとこの話を外へ持ち出す機会もそうないだろうし、いや、特に言いふらして回りたいという思いがあるというわけでもなく、どちらかと言えば、いまこの瞬間の自分の感情を文章として残しておきたいという気持ちが大きい。以前も書いたけれど、記憶というものはどうにも信用ならないんだ。だから、なるべく新鮮なうちに具体的な何かとして決して忘れないような場所へアウトプットしておきたかった。以下に続く文章は誰かが読むことを想定したものではない。強いて言うのなら、未来の自分へ宛てたメッセージだ。こう考えた自分がいたことを忘れないように、あの日の自分をいつでも思い出せるように、そういった目的で書かれている。そういうわけで、この先にあるのはただの自分語りだ。長ったらしいと思ったら読み飛ばしてくれていいし、そもそも読むことを僕はお勧めしない。これはただの自己満足だ。

 それとこの記事では色々なことを包み隠さずに書くつもりなので、もしかすると不快に感じる表現があるかもしれない。それについては先に謝っておく。申し訳ない。でも、それらは当時の僕が感じ、考えていたという紛れもない事実だ。ここはそういう感情を留めておくための場所でもあることを断っておく。

 

 もしも京都大学に受かったら吉田音楽製作所(以下、吉音)に参加しようというのは、たしか高二くらいの頃から決めていた。11月祭に来たときにサークル一覧(そんなのあったっけ?)でその存在を知り、作曲サークルなんてものがあるのかと驚いたのを覚えている(音ゲーサークルがあるのだから、あってもおかしくないとは何故考えなかったのか)。それからしばらくして、この御時世、作曲サークルなんてどこの大学にだってあるのだということを知るわけだけれど、それでもなお『京都大学』という属性を有する吉音へだけ向けられていた特別な感情はきっと「上に行けば行くほど面白い人たちが多くいるに違いない」なんて幼稚な思考の産物でしかなかった。その名前を知っているというだけで、そこにいる人たちの曲を聴いたことがあるわけでもなかった。だから、京大合格後に吉音の新歓へ行き、その時点での会員たちが作った楽曲をまとめたCDディスクをもらっても、すぐに聴こうとはしなかった。吉音へ参加できることがほぼ決まった時点で僕の目的は果たされたのだから、いますぐにその先へ進む必要はなかった。

 CDを聴いてみようと思ったのはそれを貰ってから五日後、2017年4月15日のことだ。吉音では二十ヶ月に一枚ベスト盤を製作することになっていて、新しいベスト盤制作の対象になるのが五月締切のCDまでだった。吉音へ参加する気満々だった僕はそれに曲を次の目標として、とりあえずそのレベルが如何ほどのものなのかということを知るために、新歓で貰ったCDへと手を伸ばした。よく覚えていないが普段の僕の習慣からすれば一曲目から順に聴いていったはずだ。この曲はここが凄いとか、この曲はここが微妙とか、いまにして思えばお前は何様なんだよとなるようなことを考えながら聴いていた。合格したばかりで調子に乗っていただけなのでどうか許してほしい。まぁその話はともかくとして、とにかく僕はCDを聴いていたわけなのだけれど、五曲目に差し掛かったところで僕の認識は大きく変わることになる。

 一部の人は薄々感づいているだろうが、そのCDの五曲目に収録されていたのは霧四面体さんの楽曲『アオルタ』だ。

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こんなことを言うと各方面から怒られるだろうけれど、それを承知の上で書くけれど、CDを聴いていたと言ってもそれほど真剣に聴いていたわけではなかった。何かをしながら聴いていたとかそういうことではなく、音楽として聴いていなかったんだ。さっきも書いたけれど、僕は吉音へ曲を出すということのハードルはどの程度のものかということを評価するためにCDを聴いていた。いや、本当に何様なんだよお前は、と思うし、責められたら返す言葉もないけれど、あの時の自分は「これなら自分でもいけそうだな」なんて風に考えていた。要するに、ある意味では、その楽曲たちを下に見ていた(本当に調子に乗っていた)。そのことははっきりと覚えている。僕の認識が大きく変わったというのは、そういう意味での話だ。そんな僕のふざけた考えは『アオルタ』によって打ち砕かれることになる。

 『アオルタ』という曲は、誤解を恐れずに書くと、それこそニコ動やYouTubeなんかで何十万、何百万回と再生されている楽曲たちのようにクオリティがめちゃくちゃ高いというわけではない。チープというと聞こえが悪いが、でも、聴く人によってはそう聴こえるかもしれない。そんな曲だと思う。でも、僕は『アオルタ』を初めて聞いた時、ひどく心を打たれた。本当に不思議だった。音の良さという一点だけで比較するのなら、そのCDにはもっと他にも秀でている曲があったはずで、自分の好みの音楽という点で考えても『アオルタ』は該当しなかった。それなのにどうしてこんなにも頭に焼き付いて離れないのだろうかと思った。それからしばらくはずっと『アオルタ』をリピートしていたと思う。当初の目的なんて完全に忘れていた。そこで綴られている歌詞を知りたくて、ネットに公開されていた動画をわざわざ見つけ出したりもした。夢中だったんだ。そして、ふとした瞬間に僕はこう思った。吉音のCDは自分の曲なんかが入ってもいいものではない、と。正しくは、音楽を平面的にしか捉えられないままの自分の作った曲なんかが、だ。音の良さとか、そういう分かりやすい対象よりももっと考えるべきものがあるに違いないと、『アオルタ』に触れた僕はそう考えた。だから、それに向けて作っていた曲は没にした。この曲を完成させてしまっていなくて本当によかったと心底思った。

 吉音に初めて出す曲は歌モノにしようと決めた。元々歌モノがやりたかった――僕がDTMを始めたのはボカロがきっかけだ――というのもあったけれど、どちらかといえば霧四面体さんに影響されてのことだった。音のクオリティや曲のカッコよさという面からじゃなく、『アオルタ』のように誰かの心に響く曲を作ってみたいという気持ちからだった。その機会は意外と早くやって来て、それが吉音一回生合作企画として提出した『カナタ』だった。といっても、あの曲で僕が担当したのは主に編曲だったから、満足したというわけでもなかった。もちろん作品に不満があるとかそういうわけじゃなくて、自分一人だけの力で作ってみたいという思いがあった。だから、次こそは一人で作り上げた歌モノを提出してやろうと考えていた。

 夏はBOFUで忙しかったので、それに向けて本格的に取り組みだしたのは九月の終わり頃だ。十一月に開かれる聴き大会に提出するつもりだった。サビとそこに当てる歌詞だけは何故か一瞬で作れた。しかし、まぁこれは単に僕の能力不足なのだけれど、歌モノを作ろうとするとコード進行を真面目に考える必要があって、それが楽器経験のない自分にはかなりハードルが高かった。ならばと簡単なコードを付けてみても、特にBメロ辺りは「いや、これは歌えねぇだろ」というようなメロディしか作れなかった。結局サビしか満足にできないまま当日を迎え、その日は総会へ出席せずに帰宅した。やるせない気持ちだった。

 そこからはNFやボーパラなど、曲提出案件を馬鹿みたいに詰め込んでしまい、かつ自学習の時間を取る必要や別サークルのタスクなどが相まって全く手が付けられなかった。それでも、この曲は三月までには公開しないといけないんだという思いがあった。霧四面体さんが卒業する前に出してしまわないと、この曲を作った意味が完全になくなってしまう。これはそういう歌であり、そういう曲だった。そこで目を付けたのが、吉音で毎年やっている(らしい)三月ライブだ。三月に開かれるCD収録曲の募集に出すことを目標にしてもいいけれど、どうせなら大々的に公開してやろうと思った。ただの自己満足だ。でも、きっと三月ライブが霧四面体さんに会える最後の機会になるのだろうし、だから、むしろちょうどいいと思った。僕が九月からずっと作っていたのは別れの歌なのだから、これほど相応しいシチュエーションはない。そうして僕は三月ライブに出演することを決意し、そこで完成したこの曲を流すことに決めた。初めにあったのは、ただそれ一つだけだ。

 三月ライブに出るぞとなって自分が掲げた目標は「この一年にできなかったことをやり切ること」だった。たとえば、六月ライブの場で次こそは出演すると言ったのに結局出なかったNFライブのこととか、必ず出すと決めたのに結局出せていなかった一人で作った歌モノのこととか、あるいは、ずっとやりたくて、それなのに最初の一歩を踏み出せないままでいた霧四面体さんとの合作とか、そういったものだ。それらすべてを清算して、一年という区切りを前向きに飛び越えていくための機会にしようと思った。僕が霧四面体さんに合作の話を持ち掛けたのは2017年12月10日のことだ。ボーパラ用の楽曲を作っている途中だったので作業に取り掛かるのは一月からということにしていたけれど、話をするのは早い方がいいだろうと思ってのことだった。

 まぁそこまでは順調だったのだけれど、一月はボーパラの曲を完成させるのが遅くなったり、試験勉強で異様に時間を割いてしまったり、二月は二月で下宿先を探すのに奔走したり、あと実は『RTA』のアレンジを作っていたり、三月初めは引っ越し作業に追われたりといった感じで、全く作業する時間が取れなかった。いや、これはただの言い訳で、作業自体はちゃんとやっていたんだ。それなのに曲が完成しなかったのは、偏に僕の作業スピードが遅いというのと、あとは絶対に妥協したくなかったからというのもあるように思う。だって、こんなの二度とない機会だ。そこで手を抜くなんて有り得ないことだと思っていた。ムンベを作ったことは一度もなかったから、色んなリファレンスを並べてベースの置き方とか処理法とかを何回も試行錯誤した。霧四面体チックなピコピコを再現するために氏の楽曲をひたすら聞き漁って、時には耳コピしたりもした。そんなことをやっている傍らで、例の歌モノも作っていたわけで、いや、お前は馬鹿なのかといまでは思う。二月の終わり頃に『RTA』のアレンジの完成を泣く泣く諦めて合作曲と歌モノの方に専念するも、切り替えが遅すぎたせいで引っ越し作業に時間が食われ、ちゃんと取り組みだしたのはこっちに住み始めてからのことだった。とりあえず絶対に出すと決めた歌モノの方は完成させて、合作の方をギリギリまで粘ることにした。霧四面体さんに色々と無理を言いつつ頑張ったものの、締め切りに追われて作るよりもひと段落ついてからゆっくり作ることにしようという話になり、合作曲を三月ライブで公開することは断念した。

 三月ライブではずっと作り進めていた歌モノである『キミとボクと時の箱庭』を無事に流すことができた。そして時は流れて、それから二ヶ月後の五月総会では霧四面体さんとの合作曲である『終末的存在仮説』を公開することができた。この二曲はともに同じCDに収録され、しかも何故かトリに連続で並んでいる――これには全く関与していない。割と嬉しい――ということで、最終的には満足のいく形で終わった。一年間の清算というには少し遅くなってしまったけれど、何にせよ初めに決めたことはやりきれた。だから、僕はいまこうして一年間を整理する記事を書いている。

 

 少しだけ、あの二曲のことについても書いておく。

 『キミとボクと時の箱庭』は「別れ」をテーマにした曲だ。サビのメロディと歌詞が同時に決まった曲で、つまり、あの曲で何よりも伝えたかったのはサビで綴った詞だけだった。僕がこの曲を作ったのも、こうして完成させることができたのも、そしてそれを吉音へ提出できたのも、すべてはここを去っていく「キミ」のおかげだった。あれはそういう歌だ。あとは余談だけれど、サビ以外の一部の歌詞は氏の楽曲から引っ張ってきていたりする。一番気に入っているのは「移ろう歯車」。

 『終末的存在仮説』は「終わり」をテーマにした曲だ。その理由は言うまでもない。全体的な雰囲気に関しては、中二病全開な感じでいきましょう、と氏に言った記憶がある。作るのには本当に苦労した。吉音に入ってから作った曲はどれもこれも一からの挑戦でやっているつもりだけれど、それにしてもかなり苦労した。『キミとボクと時の箱庭』とは対照的に、こちらではオケの方で氏の楽曲へのリスペクトを混ぜている。 

 

 以上で、この記事で書きたかったことは大体終わりだ。勢いだけで推敲せずに書いたからところどころ変な文章があるかもしれない。まぁこうなるとは思っていたが、それにしても長々と書いてしまった。この時点で5,000字以上ある。本当はさっさと書き切って誰も見ていないであろう深夜のTLにひっそりと流すつもりだったんだ。なのにもう六時じゃねぇか。今日提出のレポートまだやってないだろお前。何してんだよ。そういう思いがないわけでもないけれど、でも、こうしてアウトプットする機会はいずれ設けようと思っていたから、仕方がない。一度くらい出さなくても大丈夫だろう。

 

 

 自分の音楽観を大きく変えたと感じる曲がいくつかある。DJ YOSHITAKAの『Evans』、cosMo@暴走Pの『』、daiの『hope』、そして霧四面体の『アオルタ』だ。僕が京都大学を志した理由の一つに「退屈な日常を変えてくれるような面白い人間に出会いたいから」というものがあって、だから、僕はとても幸せだった。だって、それ以上の存在に出会うことができたのだから。こんな気恥ずかしいことをTwitterの鍵垢以外で発信することになろうとは思っていなかったけれど、それでも、この想いを忘れないようにここへ残しておく。

ありがとうございました。