20220830


 一年とちょっと前、夜に人を呼び出したことがある。とだけ書くとなんてこともない出来事のように思えるけれど、「深夜一時を過ぎた頃」に「ほとんど話したことのない相手」を呼び出したことがある、と書けばこれはもうなんていうか、一般常識という一線を優に越えている。越えてるな~と思う、他人事みたいに。誘った側がこんなことを言うのはアレだけれど、正直なところ、まさか本当に来るとは思っていなかったから。当時のことについて改めて話をする機会が少し前にあって、なのでそのように伝えたら思い切り笑われた。だって本当のことだから、と自分も笑った。一年前の夜のことは覚えていて、たしかあのときも御池通り近くの階段にいた。「これ、送っても大丈夫かなあ」という理性と「まあ別に断られてもノーダメだしな」という開き直りのジレンマがあったのはそうで、ところでああいうのは多分、言葉にして伝えること自体に意味があるんだと思う。なんていうか、仮にそれが社交辞令だったとして。そうであっても、その言葉のために動くだけの意思が自分にはあるという、そういう表明。うまくいかないことのほうがずっと多いように思うけれど、こういうのは。ところで、「うまくいかないことのほうがずっと多いよな」と思って何も行動せずにいたら、うまくいったかもしれない未来だってきっと見逃してしまうという、これはそういう話で。そんな気持ちで気まぐれに動いてみたら、なんかよく分かんないけどうまくいったっていう、ただそれだけの話でもある。万に一つくらいの可能性で乗ってくるかもしれないし、そうしたら今よりはもう少し仲良くなれるかもしれないし、くらいの。リスクとリターン。とはいえ、冷静に考えたらプチ踏み込みどころじゃないけど、こればっかりは。

 

 感情墓地というタイトルに付随するあらゆることについて、これは照れ隠しとかではなく本当に一切の記憶がない。たまに人から訊かれることがあって、そのたびに「いや、覚えてないんですよね」と返しているのだけれど、これは本当に事実として覚えていないからそのように答えている。なんなんだろう、感情墓地って。ちょっと昔の記事を掘り返してみたら「五秒くらいで適当に決めた名前のはず」と書かれていて、でもそれすら覚えていない。いやでも、ブログのタイトルをつけるときに迷ったような記憶は一切ないから、実際に五秒くらいで適当に決めたんだろうなって気がする。とはいえ別にタイトルに意味なんかなくたって構わないし、より大切なのはこの場所がどういうものかってことだろうし。このブログの存在意義についてはかなり昔、それこそブログを立ち上げた初期も初期の頃には既に書かれていて、大昔のことすぎて恥ずかしいので直接リンクを貼ったりはしないけれど。曰く「『友人』に出会えることを期待して」らしい。なにカッコつけたこと言っとんねんという感じでしかないけれど、四年前の自分なんてまあそんなものか。友人。そう、まあ、そうなんだろうな。要は色んな人と仲良くなりたかったんだよなって、当時の気持ちを(もうほとんど忘れてしまったけれど、書いた文章なんかを伝手に)振り返ってみて、いまはそう思う。仲良くなりたかったというか、仲良くなれる確率を少しでも上げたかった? 人間関係の始まりは興味、あるいは同じことだけれど関心の萌芽だと思う。「この人はどういう人なんだろう」って、それくらいのことから始まるのが人間関係で。それくらいのことでも、それ一つが欠けていれば同じクラスでも大学でも会社でも、どこにいつ居合わせたところで何も始まらないというのが人間関係で。ところで、それってほとんど運任せなんだよな。単純な接触回数をどんなに増やしたところで、そうすれば興味や関心が沸き起こるのかといえば必ずしもそうではなく。運任せ。状況によるし、相手によるし、偶然による。自分の場合、途方もないくらいの会話量がそれだった。三年間ずっと毎晩のように話をして、そうしてようやく他人の世界に興味を持ったのが自分。ところで、全人類を相手にそれを実行するのは不可能で。そもそも、その段階へ至るまでに既に一定以上の人間関係パラメータが必要で。じゃあどうすればいいんだろうという話で、その答えがこのブログ。壁に向かって話し続けているみたいな、感情墓地の正体がつまりはそれ。「不特定多数へ向けて一方的に話し続けることなら誰にでもできるよな」っていう。ずっと続けていたらいつかは誰かが自分に興味を持ってくれるかもしれないし、そうすれば『友人』にだってもしかしたらなれるかもしれないし。なんか、それくらいの雑な期待から始まったのがこのブログで。まさかこんなにも長く続けることになるとは思ってもみなかったけれど。もう五年目らしい、とんでもない話すぎる。でもなんていうか、このブログを立ち上げて、これまで継続してきて、よかったなーって思うことがここ一年くらい明らかに多い。最初からいままでずっと、一人で壁に向かって話しかけている感覚なのは変わらないんだけど。最初の頃は「ブログ読んだよ」って言われるの、めちゃくちゃに恥ずかしくて。誰かが聴いてくれたらいいな~って思いながら書いてるくせに。でも、ここ一年くらいは嬉しいな~って気持ちのほうがずっと強い。聴いてくれている人がちゃんといるんだなというのもあるし、それ以上に、こうして書き続けている謎文章のおかげで自分に興味持ってくれたのかなと感じる機会が少し増えたから。報われてる。報われてるな~って、そう思う。

 

「プチ踏み込みが上手い」と言われて、その瞬間は首を傾げた。自分じゃあんまり分かんないな、と思って。ところでしばらく時間が経ってから考えてみて、そうかもしれないな、とも思った。距離感、立ち位置、境界線。そういう類のことを指しているんだと思う、多分。他人から見下されているように感じるのは、自分自身が他人のことを見下しているから。自身の世界に根付いている感覚だからこそ、他人の世界にある似たようなそれにも気付くことができるのかも。だったら、あれもプチ踏み込みなのかもなって思う。思った。曰く「そういうことをされると大抵の人は嬉しいはずで」。ところで自分はどうだろうって、それについてをまず何よりも先に伝えるべきだったな~と帰り道に思って。マジでこんなのばっかだ、帰り道。こんなことばかりだから帰り道ってフレーズが歌詞における頻出語句なんだよな。いやまあそのことはこの際どうだってよくて、いや、嬉しかった、割と本心から。なんて返事したかあんまり覚えてないけど、眠すぎて、あと脚が痛すぎて。どうだろ、なんらかの絶望的事件が発生して、マジで超絶不仲の絶縁状態に陥るという可能性もなくはないけれど。だとしたらまあ、そうならないように心掛ければいいってだけの話なのか。散歩したいしな、普通に、来年の夏だってまた。いやさ、口約束なんて、本当にいくらだってあればいいって思う。叶ったり叶わなかったり、それは仕方のないことだけれど。でも、だからこそ、こういうのって言葉にして伝えること自体に意味があるんだろうと思うし。だから、受け取った分はちゃんと言葉にして返すべきだよなって、そういう話でもある。

 

 

 

20220828


 群像劇が好き……というのは多分これまでのどこかで書いていたはずと思ってブログ内検索を掛けてみたところ、意外なことに「群像劇」という言葉自体が一度も使われていなかった。群像劇というのはいわゆる作品形態の一種で、とある一つの出来事に立ち会った複数の登場人物それぞれの視点から物語を描写するというもの。読んだことのある人にしか伝わらない話をすると、『とあるシリーズ』や『デュラララ!!』、最近に読んだものなら『空の境界』も近かった(これより登場人物がもう少し増えるとより群像劇っぽくなる)。そういった形式を好んでいることについて、どうしてだろうと考えたことはその実あまりないのだけれど、思うに、それが世界の構造として当たり前に起きていることであるのにも関わらず、一方で自身の日常に一切存在しないためだろうという気がする。何か一つの事件があって、いや別に事件ではなくとも、たとえば同じ遊園地にたまたま遊びに来ていたとかでもいい。そんな顔も声も名前もなにも知らないような相手は日々の中にたくさんいる。「世界の構造として当たり前に起きている」はそういう意味。ところで、そうして偶然同じ場所に居合わせただけの人たちが何の目的でここへ来たのかだとか、あるいはもっと簡単な何をみているのかだとか。そういった事実に触れる機会はほとんど皆無で、「自身の日常に一切存在しない」はそういう意味。いま一瞬すれ違っただけの誰かにも誰かなりの意図があり、目的地があり、人生があり、世界があり、でもそういうのを知ることって絶対にできないんだよなって。普段からそんな考えがあったりなかったりすることと、自分が「群像劇」という作品形態を好いていることは、強固な相関があるかと言われれば微妙だけれど、でも全くの無関係だともあまり思えない。だから、意外だった。一度もブログでそういう話をしたことがなかったんだな、と思って。とはいえ、「文章作品に関する話題を自分と何度か交わしたことのある相手なら、もしかしたら知っているかもしれないな」くらいの情報で、大げさな意味合いは特にない。実際、すこし前に話をした相手は、そういった自分の好みを記憶していたらしかったから。

 

 人の数だけの世界がある。より正確には、同じ時間を共有している集合の数だけの世界があると、そう思う。一人で街を歩いているとしたら、その個人だけにみえている世界がまず一つあり。それが二人になったならその二人にだけみえている、つまりは共有されている、そんな世界がたった一つだけあると思う。とはいえ、多くの場合において自分たちは同じものをみてはいなくて、「あの雲の形、良いね」と言われて目で追って、だけど隣の誰かの指先がどこを示しているのかがまるで分からないというのはよくある話。視界情報は主観の影響を強く受けるから、たとえばポイ捨てされたペットボトルたちをみて、「ちょっと嫌だな」と思う人がいて「これはこれで」と思う人もいて。そんな二人が街を一緒に歩いたとして、そうしてポイ捨てされたペットボトルをみつけたとして、これはこれで極論的だけれど、でもだからこの場合って「同じものをみている」わけではないよな、と思う。情報源は同じでも、それから受け取っている印象が違うから。みたいな考え方を前提としてみると、二人という最少人数でさえ、他人同士の間に共有され得る世界なんてほとんど皆無なのではという気持ちにもなる。二人で一緒に街を歩いたとて、みているものが違ってるんじゃそれって結局は一人と一人ってことじゃん、みたいな話。でも、なんていうか、自分はその前提に立った上でもそんな風に考えることはなくて。「世界の共有」という言葉をどのように定義するかに依るのかなと思う。自分にとってのそれは、同じ一つの世界の中に相異なる他人が同時に存在しているという意味ではなく。どうしたってぴったりには重ならない他人同士の世界の間に、互いに結び合う一つのゲートを通すみたいな。自分にとっての「世界の共有」という表現はそんな風の意味の言葉として登録されているし、同様に「世界」という単語もそういったことが可能であるものとして定義されている。要は、違いを較べあうこと。「あの雲の形、良いね」に対して「どの雲のこと?」と返すのは、相手の世界にあって自分の世界にない、そういった無数にある細かな差異のひとつひとつをお互いに照らしあうという行為なんだよな、みたいな。そんな感じの認識。それが三人になっても四人になっても、あるいはもっと大人数になっても同じことで。そうやって違いを較べあうことで生まれる世界が、それら複数人の間にたった一つだけあるはずという、そういう話。

 

 三年前。当時所属していたサークルでなにか一つの作品を作ろうという話になり、それで群像劇を提案したことがある。自分にとっては音楽における合作なんかもそうなのだけれど、それぞれがそれぞれの好きなように作品を作って発表して、それはそれで普通のことというか。ところで、せっかく同じ場所に同じ趣味の複数人が会しているのに、なのになんにもしないのはちょっと勿体ないな、みたいな気持ちもあり。それで、群像劇。一つの大きなイベントを設定して、各々の好きな視点からその出来事を観測した物語を一冊の本にしようという、そういう企画。提案した手前、全作品に共通する大きめの設定まわりは自分が考えることになり。様々を考慮した結果、2019 年 10 月 5 日(土)に開催される花火大会を「共通の事件」にしようということになった。つまり、各々の好きな視点からその花火大会に関する物語を作ってくださいということ。そういう話があった、三年前に。

 

 昨夜、2022 年 8 月 27 日(土)、淀川の花火大会へ行った。実を言うと花火大会そのものはかなり久しぶりで、久しぶりというか実質的に初めてで、まだ幼かった頃、地元で開かれた花火大会へ両親に連れていってもらったのが最初で最後だった。当時の記憶はあんまりない。曇ってはいない、ありきたりな紺を敷き詰めたみたいな夜だったように思う。恐らくは母親に手を引かれながら、幼少期に特有な日没後への高揚感と警戒心と、あと、自分よりもずっと背の大きい人間が周りにたくさんいて、花火なんかなくともずっと上を見上げていたような、そういう覚えがある。ところで、そんなどうでもいいことを覚えているのに肝心の花火については一切記憶していなくて、それが本当に花火大会だったのかさえ怪しい(たしかそうだったと思うけど)。というので、花火大会を中心にした群像劇を提案した人間が、実際には花火大会へ行った記憶が全くないというエアプもエアプの状態で(三年前の話で、いまは昨夜の経験があるのでエアプではない)。さて、当時の自分はいったいどんな作品を書いたんだっけなと思い読み返してみた、ついさっき。実際には花火大会の会場へ入場して、一面に芝生の敷かれた斜面に何とか座って、特有のディレイが効いたカウントダウンを聞き流しているときにはもう「そういえば、三年前に花火大会をテーマにして話を書いたことがあったな」と考えていたのだけれど、そのことを思い出したのが今朝に目覚めてからだった。その作品について、全体の大まかなストーリーは当然ながら記憶していたものの、一方で細かな描写だとか地の文だとかはすっかり忘れていて。九億年ぶりに pixiv を開いて、該当作品のリンクを踏み、真っ先に目に飛び込んできた書き出しからして驚かされた。そんなことあるんだ、と思って。

 

 終着駅。そのホーム。銀河鉄道。途絶えた線路の先にある高架橋。壮大な物語のために用意された舞台。知らない人たちの知らない一日。花火大会。本当の行き止まりみたいな場所。物語にとって理想の結末。気まぐれに折れただけの曲がり角。星が降る。同じ列車に乗って、同じ駅で降りる誰か。桜島、大阪港、河川敷、京都駅。浜に打ち上がった漂着物みたいなペットボトル。人のいない海、満たされた最後。同じ空間に居合わせた、各々がそれぞれに持っている世界について。乗客のいない列車と意味のない夜明け。

 

 そんなことあるんだ、と思った。なんていうか、まるで日記を読んでいるみたいな。これが三年後の自分が書いたものであれば何とも思わないのだろうけれど、三年前らしい。なんか、なんだろうな。思うにそれは誰の意図によるものでもない、ただ偶然が重なった故の結果で。それぞれがただ目についただけの曲がり角をそれぞれに曲がったり、あるいは曲がらなかったり、それを繰り返しただけ。それらの合流地点に昨日という一日があって、でも、だとしたら尚更、それってものすごく奇跡的なことだなって。少なくとも自分にとってはそうで。別に欲しがったわけではないと思う、三年前の自分は、そこに書かれているような何かを。でも、そんな世界がどこかしらにあればいいのになって気持ちは多分あって、そうでないと作品なんて作らないから。そうして三年前に思い描いたっきりすっかり忘れてしまっていた風景の全部が、昨日という一日には在ったような、そんな気がしていて。それで、そんなことあるんだ、と思った。そんなことってあるんだね、本当に。

 

www.pixiv.net

 

 

 

daikichi18_第二回投票

 

 大吉 18 で投票した作品について言及するやつ、第二回です。

 

 前回はこちら。

kazuha1221.hatenablog.com

 

 どの曲に何点入れたかが目次をみた瞬間に分かるの、前回やってみてちょっと味気ないな~と思ったので、今回は入れるかどうかを迷いまくった曲も含めて収録 CD の曲目順に紹介しようと思います。どの曲に何点を入れたでしょうクイズ。

 

 

 

 

〇曲一覧

・176_4:Express / Σ

youtu.be

 入れるかどうかを迷いまくった曲。カッコ良すぎる! ドロップ(サビ?)終わりに入っているキメがマジで好きです。あの場所を聴くためだけにでも何度だってリピートしたい。

 

 

・176_11:sunset grow / マコトシアカ

www.youtube.com

 入れるかどうかを迷いまくった曲。サビが気持ち良すぎる~。なんか、たしか聴き大会かなにかのタイミングで「締め切りまで時間あるしって気持ちで作りました」みたいなことを言っていたような記憶があり、「軽い気持ちで良い曲を作るな~」って思いました(ところで、これは架空の記憶かもしれない)。

 

 

・176_17:帰り道 / 柳生一樹

youtu.be

 2 点曲。聴き大会で初めて聴いたとき、めちゃくちゃに衝撃を受けたことを覚えています。なんていうか、オーケストラならでは……なのかな。楽曲自体にもちゃんと一定以上の強度があり、それでいて楽曲そのものの立ち位置も明確になっているっていう。いや、ほんと凄いです。

 

 

・176_18:退場 / nion

www.youtube.com

 3 点曲。このあとに紹介するある楽曲とどちらを 3 点曲にするかでそこそこ悩んだんですが、様々を考慮した結果、こちらに軍配があがりました。なんか、なんだろ、nion 君の持ち味が余すところなく組み込まれている(ように感じる)楽曲というかなんというか。歌詞も含めて、楽曲の構成要素全てが。ほんと、めちゃくちゃに好きです。こんなにも素晴らしい楽曲をありがとう。

 

 

・ピコピコンピ_13:ハコビヤ / melY

youtu.be

 2 点曲。2 点以上を入れるかどうかで迷う曲は一聴したときのインパクト(=自分が受けた衝撃、主観)という判断要素がそこそこ支配的で。この楽曲は単純なメロディラインの美しさにやられました。ものすごく感情を揺さぶられるっていうか、たとえば子どもの頃に遊んでいたゲームなんかで聴いていたとしたら、きっと一生忘れられないくらいに好きになっていただろうなっていう。そういう気持ちで選びました。もっと色んな人に聴かれてほしい~! って思います。

 

 

・合作コンピ_3:colorful sky highway / air

youtu.be

 1 点曲。めっっっっちゃ好きです。思わず「これだよこれ!」って言いたくなるようなグッとくるポップスポイントが色んなところに散りばめられていて、聴いていて飽きないというか、最初から最後までずっと楽しい! この三人でまた曲作ってほしい~(良いので)。

 

 

・合作コンピ_4:鴨川夜行 / レペゼン吉音

youtu.be

 2 点曲。「退場 / nion」とのどちらへ 3 点を入れるかで迷っていた曲です。院生になってから開かれた聴き大会を振り返ってみて、思うに一番くらったんじゃないかってくらいに衝撃を受けた一曲というか。合作による意外性の爆発をちゃんと操縦しているどころか、むしろこなれている感さえみえてくるのが本当に凄くて。「俺たちこれまでもずっとこんな感じの音楽やってましたけど?」みたいな、なんていうか、余裕さ? マジで凄いです。

 

 

・合作コンピ_6:good day good bye / マコトシアカ+mamezo

www.youtube.com

 1 点曲。すごい。すごいの一言に尽きる。A メロの夜を歩く感、からの B メロのどこかに迷い込んだ感、からのサビの前を向き直す感(でもコードとメロのアレから微妙に後ろ髪引かれるみたいな感じもする!)。一連の流れが展開として完璧すぎて、「すげえ~~~~」以上の感想が出てこないです。もちろん展開だけじゃなく各楽器のフレージングや構成音のまとまり具合(一貫性?)もいつも通りに素晴らしく、いや~、すごすぎる。

 

 

・177_1:イロヅクセカイ-encore- / imanishiaka

youtu.be

 入れるかどうかを迷いまくった曲。本当に迷った。らしさがめちゃくちゃ出てる曲だな~と思い、それでいて「ここはこうでしょ!」というポイントはしっかりと抑えられていて。アウフヘーベン? 作家性と大衆性がちょうど心地良いところで交わってるな~~~って思います。

 

 

・177_4:Kamogawa Somato / kosamega

soundcloud.com

 1 点曲。kosamega 名義の楽曲、自分の好みドストレートな部分を一定以上のクオリティで貫いてくるので毎投票ごとにリスト上で睨めっこしてるような気がします。前回の記事で書き切ってしまったのであんまり書けることないんですけど、情景描写としての音楽ですよね、だから。自分の知っている鴨川とは似ても似つかないような鴨川があるんですけど、この楽曲の中には。でも、そんな知らない風景の中に連れていってくれるような気がして、そんなところがめちゃくちゃ好きです。……あと、言わずもがなすぎてもはや誰も触れないけど、普通にクオリティが高い。シンプルにそれもまた加点ポイントの一つでした。

 

 

・177_6:Starry Sky / なあむ&ソニオル&Noctavation

youtu.be

 入れるかどうかを迷いまくった曲。「イロヅクセカイ-encore- / imanishiaka」と同じく、作家性と大衆性がうまく調和している楽曲だなと思います。その作家性の中にも三人それぞれの "らしさ" が喧嘩しない領域で反映されていて、それが本当に好きです。全然関係ない話をすると、一個上の先輩三人組から出てきた曲という文脈も込めて個人的な好きポイントが激高の一曲です。

 

 

・177_7:No Room / motakine

soundcloud.com

 入れるかどうかを迷いまくった曲。本当に迷った、というかギリギリまで 1 点を入れるつもりでした。自分は根が音ゲーマーなのでこういうテイストの楽曲がめちゃくちゃに好物なのですが、そういった私情を抜きにしても一つ一つの音の完成度や展開の魅せ方なんかがあまりにも素晴らしいなと思って。いや~~~、マジで好きです。ピアノはピロピロしていればいるほど良い!(あとリズム隊がマジでキマリまくっていて好き)

 

 

・177_8:夜の公園 / あげまそっく

youtu.be

 1 点曲。「自分が大吉に収録されてほしいと思う楽曲を選んでください。」とのことだったので。なんていうか、カッコいいとかカワイイとかオシャレとか最悪治安とか、それらはたしかに音楽の一要素ではあるけれど、でもそれだけが音楽というわけではないよな~という気持ちがあり。素朴だからこそみえてくるものみたいな、精進料理? 違うけど、でもそんな何かを感じさせる楽曲がひとつでも大吉に入っていたらそれって素敵だな~って。そして、この楽曲にはそれだけのポテンシャルがあるな~と(個人的に)感じたので、そういった理由から選びました。

 

 

・177_12:中途半端なマイノリティ / さめこうもり

www.youtube.com

 1 点曲。普通に好きすぎて選びました。特別な仕掛けは一切ないのに、なのに頭の中へ一発で入ってくるメロディーラインがマジですごいなと思って。なんか、魔法みたい。よく分かんないです。よく分かんないけど、それでもめちゃくちゃに好きです。

 

 

・177_15:薄明 / nazushiron

soundcloud.com

 入れるかどうか迷いまくった曲。様々を考慮した結果として選べなかったんですが、でも聴き大会で初めて聴いたときにはかなりくらったという記憶があります。特に B メロ。必要十分すぎる。

 

 

・177_16:Ulysses / motakine

soundcloud.com

 1 点曲。前回の「 Dummy Head /  MOAN Sound 」と同じような理由から選出しました。なんていうか、あまりにストイックすぎる。耳まで届く音のひとつひとつに楽曲のストイックさに適うだけの強度が宿っているみたいな。異世界の洞窟から拾ってきた闇をそのまま閉じ込めて音楽にしました、みたいな。……だし、後半から入ってくるバイオリンのフレーズが本当に綺麗すぎる~! 完全に光と闇の調和。めっちゃくちゃに好きです、本当に。マジでもっと色んな人に聴かれてほしい!!

 

 

・177_18:Over the Sky / arakistic

 3 点曲。今回の投票で迷わずに点数を決められたのは「帰り道 / 柳生一樹」とこの楽曲の二曲だけだったと思います。「夜の公園 / あげまそっく」でも同じようなことを書いたのですが、素朴な音で紡がれる楽曲だからこそ内側に想起される感情ってあるよなと思っていて。仮にこの楽曲がそれこそプロクオリティの編曲をなされていたとしたら、自分は恐らく「あ~、いいね」くらいで止まっていたんじゃないかなと思います(分からず)。なんていうか、それこそ DS とかの、幼い頃に遊んでいたゲームの BGM に当時感じていた情緒に近いものがあるというか。これは「ハコビヤ / melY」のところでも同じことを書きましたが、仮に子どもの頃にこの楽曲に出会ったとしたら、きっと自分は人生を歪められていたに違いないなと思って。……という感じで、これまでに紹介した点数曲のいくつかに感じていた要素を全部拾っていた(もちろんただの主観)ので、だから 3 点を入れることに迷いがありませんでした。本当に好きです。

 

 

・177_19:Anti-pleroma / Σ

www.youtube.com

 2 点曲。マジでめちゃくちゃカッコいい!!!!! カッコいいの一言に尽きる。「 "カッコいい" って音楽の一要素ではあるけど、でもそれだけが全部ってわけではないよね」みたいなことをこれまでのどこかで書いたんですが、いやでも良いものは良いんだよな……って気持ちにさせられるというか。聴き手にそう思わせるだけの威力? 強度? 説得力? 説得力だ。そう、説得力があるなって。クリエイターは作品で語ってこそと思うんですが、それでいうなら「 Anti-pleroma / Σ 」は段違いだなと思い、なので 2 点曲に選びました。めっちゃくちゃ好きです。カッコいい!

 

 

〇終わりに

 というわけで、投票先は以下の通りです。

 

・3 点曲
176_18:退場 / nion
177_18:Over the Sky / arakistic

・2 点曲
176_17:帰り道 / 柳生一樹
ピコピコンピ_13:ハコビヤ / melY
合作コンピ_4:鴨川夜行 / レペゼン吉音
177_19:Anti-pleroma / Σ

・1 点曲
合作コンピ_3:colorful sky highway / air
合作コンピ_6:good day good bye / マコトシアカ+mamezo
177_4:Kamogawa Somato / kosamega
177_8:夜の公園 / あげまそっく
177_12:中途半端なマイノリティ / さめこうもり
177_16:Ulysses / motakine

 

 曲数自体は前回よりも少ないはずなのに、前回と比べてはるかにしんどかったです。あと二回! やってくぞ~。

 

 

 

 

性別とか


 性別という括りが、本当に煩わしくて仕方のない瞬間がある。別に社会全般からそういった分類を排除したいだとか、そんなことは全く思っておらず、なんていうか、社会としての構造的な部分に性差が絡んでくるのはもうどうしようもない話で、当たり前だけど。たとえば日本中の銭湯がある日を境にすべて混浴になったとして、そんなのは普通に嫌だし。だからまあ、そういうことを言いたいわけではないのだけれど。思うのは、よりもっとミクロな関係においてのことなんだよな。たとえばとても仲の良い相手がいたとして、「〇〇(君/さん)のこと、自分は好きだけどね」と言ったとして。全く同じ言葉を全く同じ抑揚で全く同じ場面に口にしたとして、そうであっても、指名した相手が同性なのか異性なのかで、言葉の意味合いが勝手に変異してしまうような気がするっていうか。いや。気がするじゃなくて、実際そうだろと思っていて。自分にそんなつもりがなくたって相手に誤解させるかもしれないし、あるいは自分と相手の両方にそのつもりがなくとも聞きつけた第三者が誤解するかもしれないし。そういうの。そういう配慮を思うたびに「性別とかいうの、邪魔だな~~」ってなる。なんていうか、好きな人には好きって言いたいんだよな、普通に。人として「この人のこと好きだな~」と思う相手なんて本当にたくさんいるし、そういう気持ちは(何度も繰り返し交わす必要はないけれど、ただ)一度くらいちゃんと伝えておきたいって気持ちがあって。あるのに。あるのにな~って。社会の構造に性別が絡むのは仕方がない、それはそう。でもそういう、社会的な営みから切り離された夜くらいもっと自由になれたらいいのになって、そう思わなくもないんよな~って話。……ところで「それはお前の自意識の問題では?」という指摘が当然あるはずで、……はい。いや~、自意識だよな。自意識なんですよね、結局、真に破壊すべきものがあるとすればそれは。

 

 たぶんちょうど一年くらい前からだと思うけれど、それからずっと疑問に思っていたことがあって。いや、未解決のまま積み上げられている疑問なんてそれこそ無数にあるのだけれど、そのうちの一つを外へ出す機会が最近にあり。誰かに話してしまった以上は自分の胸だけに留めておく必要もないなとなり、だからここに書いてみるのだけれど。いや、ずっと疑問に思っていたこととして。男性であれ女性であれ、大してよく知らない異性と二人きりで人通りの少ない夜道を歩くのって普通に怖くない? 怖くないのかな。怖くない……なんてことある? 本当?(ところで本当に怖くない人は普通にいるらしく、マジで人に依りそう) これもまた、だから性別という属性が絡んでくるけれど、いや、同性同士なら別に警戒も何もないなって感じで。まあ、女性二人で人通りの少ない夜道を歩くのは普通に危ないだろってツッコミがあるけれど、それは一先ず置いておくとして……。少なくとも、隣を歩く人間に払う警戒心はそれほど持ち合わせていなくても構わないと思う。ところで。ところで、なんだよな、だから。非対称性があるよなと思う。具体的には、男性視点と女性視点とでは話が変わると思っていて。男性的な目線で言えば、異性に襲われたところで正直に言えば(相手がヤバい武器を所持していたり、あるいは不意をつかれたりしない限り)力で勝てそうな気がするし、というか(足を怪我するなどしていない限り)普通に走って逃げられそうな気がする。だから、そういう意味で過剰に警戒する必要はないのかなと思うのだけれど(ところで、強固な敵意を以てして用意周到を徹底されたら普通にやられると思う)、一方で女性の側は一般にそうではないよなという気持ちがあり。馬鹿にしているとかではなく、本当にそんなんじゃなくて、これは生物学的にどうしようもないこととして。……いや、だから怖くない? 自分がその立場だったら……、多分だけどめちゃくちゃ怖い。めちゃくちゃってことはないかもしれないけど、でも警戒はすると思う、かなり。って自分なら思うんだけど、でも気にしすぎなのかな。みたいなことを、だからちょうど一年くらい前に考える機会があり、とはいえ、それを本人に直接訊ねるのは流石に自意識過剰が過ぎてて気持ち悪いなと思ったのでやめた。世の中、そんなに良い人ばかりじゃないのにな~と思いつつ、思うだけに留めつつ(自分の周りにいるのは良い人ばかりだけど)。なんていうか、思うんよな。良い人のふりをしてるだけかもしれないじゃんって。他人の本性がどこにあるのかなんて外からじゃ分かりっこないんだし、なんなら自分自身、常に疑っている。本性の在処なんて自分でも分かんないし。だからつまりは、加害可能性の話でもある。いつそっち側の人間になるかなんて分かんないしな~と思うから、だからこういうことを考えたりもする。……、あるいは。あるいは自分なら、信用できない他人と二人きりで会うときには個室を避け、比較的見晴らしがよくて、それでいて複数の脱出経路がある場所を選んだりとか。まあ仮に襲われても順当に逃げられるかなって想像したりとか。なんか、自分はそういうことを平気でする人間だからって、そういうのも関係あるかもしれない。でも、これはこれで人のことを信じていなさすぎかな。

 

 

 

代理戦争


 夜、ありえないくらいに月が綺麗で雲も散り散りで、なんていうか、空が凪いでいた。川沿いのベンチから星を探して、代理戦争みたいだな、と思ったりもした。代理戦争の正確な意味を知らないまま雰囲気で使っているけれど。実際、何の代理なんだよって感じはするし、そう考えると別に的を射た表現でもなんでもないなって気持ちにもなる。マジで向いてないな、こういうの。なんていうか、いったい何が誠実で何が不誠実なのか、分かんなくなってくる。というか、考えれば考えるほど少なくとも誠実では決してないよな、こんなの。単に、そのままだと何となく嫌だから、って理由しかない。なかった。いやだから、そう、だから代理戦争なんだよな。戦の相手は自分自身だけど、だとしたら鏡の向こう側はいったい誰の代理なんだろうな。

 

 秘密。誰にだって秘密にしていることの一つや二つはあるよなと思っていて、それはそう。その秘密を共有することになった人は可能な限りその存在を秘匿すべきだろうし、それもそう。でも、これはもうどうしようもないこととして、人間はたとえば機械のように定めた通りにのみ動くような代物ではなくて、要は他人の口に戸は立てられず。いやもちろん共有者の秘匿意思が薄弱という場合だけじゃなくて、「この人には話してもいいかもしれない」みたいな、そういった前向きな判断に基づいて秘密の在処が伝播することだってあるはずで。そんなの、共有者が勝手に判断していいことではないのだけれど、とはいえ、そういうことが起こり得るのが人間関係だろうとも思うし。でも、だからそうなった場合、次のような構図が生まれ得るわけで。『 A さんの秘密を知っている B さん』と『 B さんから A さんの秘密を教えてもらった C さん』と『 B さんしか秘密を知らないと思っている A さん』。A さんと C さんが全くの無関係なら、まあ不都合らしい不都合は何も起こらないだろうと思う。けれどそうでなかった場合、なんか、なんだろうな。率直に言って、対等でない。対等じゃないじゃんか、だってあまりにも。こういった非対称に陥ることは先に言ったように、人間関係を構築していく上で珍しくもないはずと思っていて、でも、だからこうなったとき、次にどう動くかというのは選びようがあるよなと思っていて。責任の取り方っていうか、B さんにはそれを決定する義務があると思っていて。これまでに C さんの位置に立たされたことは何度かあってそのたびに、どうするんだろう、と思っていた。その秘密を自分が知っていることを元々の持ち主に教えなくていいのかな、って。というか、そのようにしてほしくて。自分が A さんと接触するときに色々考えちゃうから。「自分はこの人の秘密を知っているけれど、この人は自分が秘密を知っていることを知らないんだな」みたいな、後ろめたさにも似た何か。そういうの。あくまで自分に限った話だけれど、純粋な友達同士ではいられなくなるんよな。なんていうか、そういう非対称性があると。だから、自分が秘密を知っていることを、ちゃんと元々の持ち主に知らせていてくれていたら、自分はかなり安心できる。対等なままでいられるなーって思う。思った。いま、天を衝く勢いで自分自身を棚に上げている。

 

 何をどうすることが誠実なのかって、そんなの自分の言動ひとつを切り取ってみても判断できないし、ましてや。そもそも人に依るはず、そういうのは。だから、自分が正しいと信じられる結果を選び取っているならそれでいいんだよなとは思う。たとえ他の誰かの目にはそうみえなくたって。でも。でもなあ。でもなあって思うこともある。対等と非対称。場合に依るし、人に依るし、気分に依るし。そうして並べたいくつかの中の、じゃあいったいどこに誠実さは宿るんだろうって考えることも、そういう夜もあるにはある。

 

 

 

20220813


 そういえば一、二年ほど前に「一葉は何を話しても "無関心" でいてくれそう」みたいなことを言われたなと思い返していた(ここでの「無関心」は辞書通りの意味ではない)。自分自身を本当の意味で客観視することはできないから、だから自分だと全然分かんないけれど、その辺のこと。ただ、過去から現在に至るまで、そのほか様々な人々からそれに類することを度々言われるので、自分じゃ分かんないってだけで、少なくとも周囲の人の目にはそう映っているってことなんだろうなとぼんやり考えている。

 

 信頼……、信頼って何だ? なんか、たまに怖くなる。人望とかって言葉にも同じことを思ってるんだけど、なんていうか、それほどの何かを預けられるに足るだけのことを自分は本当に果たしたのかなって。果たして果たした。いやまあ、全く何一つだってしていないだなんて、そんなことは言わないけれど、流石に。そこまで自分のことがみえてないわけでもなくて。でもなんか、なんていうか、要するに、本当に釣り合ってる? ってことなんだと思う、引っ掛かっているのは。なんかもう、マジで何も分かんないなーってずっと思ってて、半年以上前から。いっそ本人たちに直接訊けたら早いけど、「貴方はいったい、自分の何をどうして信頼してるんですか」って。みたいなことを言ったら相手にウケた。疑ってるわけじゃない。疑ってるわけじゃないんだけど、でも。釣り合ってるかなあ、と思ってしまう、どうしても。そんな大層な人間じゃないのにな、とも。

 

 最近なんとなく自分の書いた歌詞を読み返していたのだけれど、「こいつ、めちゃくちゃ手を繋ぎたがるな」という感想が湧いて出た。それで考えてみたのだけれど、自分にとって「手を繋ぐ」という行為は、なんていうか、「世界の共有」みたいな意味合いが強いのだと思う。世界。自分たちは同じ地球という星の上に生命活動をしている同士なわけだけれど、ところで生きている世界って一人ひとりで別物だよなって、そんな感覚があって。太陽の眩しさに救われる人がいて殺される人がいて、そういう話。なんていうか、「手を繋ぐ」という行為によって、その瞬間だけお互いの認識世界を行き来するためのゲートが生まれるような、そんな気がするっていうか。体温、脈拍、機微、「世界の共有」。『繋いだこの両手が 灯りを見失っても / ステラグロウ』、『不意に結んだ手に 触れる君の鼓動 / cor 』、『繋いだ手を 確かめあって 歩くのさ / 星降のパレーシア』。全部そう。二人がいまを生きているということを確かめ合うための方法の一つなんよな、自分にとっての手を繋ぐという行為は。

 

「お別れの唄ばっかり作ってるな」とも思った。これはまあ、ずっと昔から思っていたことだけれど、改めて。究極の命題。そう、そうなんだよな、だからつまりはそれ自体が。必然的に訪れる最後の瞬間に対して、自分はいったいどんな姿勢を取るべきだろうって話。たとえば『ステラグロウ』は肯定で、たとえば『 cor 』は否定で、たとえば『星降のパレーシア』は沈黙で。そんな風に、選ぶスタンスは曲ごとによって変わるのだけれど、でも、いずれにしたって「最後」をテーマにしているという事実には変わりなく。おんなじことしか書けないや、と思う。思いながら歌詞を読んでいた。でも、どうなんだろうな。自分とは違う、他人が読んだとしたらどんな風に感じるのだろうって、そういう好奇心があるにはある。おんなじことばっか書いてんなーって、やっぱり自分と同じでそうみえるのかな。

 

 

 

daikichi18_第一回投票


 大吉音 18 収録にあたって投票した曲について、公言してもよい(もちろん、しなくてもいい)とのことだったので開示ついでに感想戦をします。

 

 

 

〇入れるかどうかを迷いまくった曲

 毎回のことなんですが 2 点、3 点の曲はあまり苦労せずに決まり、一方で 1 点曲を絞り込むのに無限時間かけています。以下で紹介するのは、数ある「 1 点入れるかどうか迷った曲」の中でもさらに「 1 点入れるかどうかをマジでめちゃくちゃに迷った曲」です。マジで迷った! 仮に 1 点曲を 11 曲まで選んでよいという投票設定だったら全部に入れてました(意味ない)。

 


172_19:世界革命 / nion

youtu.be

 自分の中では長らく「 nion といえば『サイント』!」という気持ちだったのですが、コサメガ主催の『 172 号聴く会』へ立ち会ったときに「めちゃエエヤンケ……」となり、結果、ギリギリまで迷う羽目になりました。陰鬱な A メロからのサビの解放感!(開放感でもある!) ……と言いながら A メロが一番好きです。

 


173_4:Follow my heart / パリ

soundcloud.com

 パリが全然ライブで歌わないので記憶から消し飛んでいたんですが(責任転嫁)(嘘で、ひとえに自分のせいです)、コサメガ主催の『 173 号聴く会』ですべてを思い出し、「そういえばこれがあった~~~~」という気持ちでした。「好きだから」という理由だけでゴリ押すかどうかを悩みまくり、悩みまくって。悩みまくった末に断念しました。いやでも、マジで好きなんですよね、この曲。なんていうか、「音楽が好きです!」って感じが一曲を通してめちゃくちゃに伝わってきて(自分が勝手に受け取っているだけかもしれないが)。クオリティは無論のこと大切なんですけど、でも忘れちゃいけないものって他にもたくさんあるよねという。

 


174_4:BoundForUnknown / MES19

youtu.be

 これね~~~~~~~~~。聴き大会のときも「ぐわ~~~~~~~」ってなった記憶があるんですが何故か記憶が消し飛んでおり、これもまたコサメガ主催の『 174 号聴く会』へ立ち会ったときに「ぐわ~~~~~~~~~~~~~」となってすべてを思い出しました。クラブミュージックへの造詣が深くないので用語が分かんないんですが、後半のエキゾチックサイケペペペペーシンセゾーンがマジ好きで。シンプルでカッコいい! こういうの、自分は作りたいと思っても絶対に作れないので本当に尊敬してます。

 


・174_9:Kamogawa Hallucination / kosamega

youtu.be

 いや~~~~、これマジで好きで。『On the Last Day』に端を発する光の差す感じの破壊と創造 kosamega ミュージックというよりは、ただただ静かな停滞と緩やかな破滅があるだけって感じの。なんていうか……、陰鬱? でもないんだよな。妙に気怠い午後三時、廃校になった校舎の二階をひとりであてもなく歩いてるみたいな。なんか、そんな感じの気分になる。なんていうか、風景を想起させられる(=疑似的に視覚に訴えることのできる)音楽ってほんとにすごいな~と思っていて(こっちが勝手に妄想してるだけだけど!)。やっている音楽がそもそも違うというのは勿論あると思うんですけど、それはそれとして、これもまた自分には絶対にできないことなので。

 


・175_16:深海魚 / Σ

www.youtube.com

 聴き大会時の記憶が頭の片隅に留まっており、コサメガ主催の『 175 号聴く会』で再会して「うわ~~~~~~~」になりました。Σ君といえばエレクトロ系のイメージがどうしても強いんですが、その点、『深海魚』はマジ往年のベリーグッドボーカロイドミュージックを地で行っていて。最後、落ちサビから溜めに溜めての転調とかね(ネタバレ)。これもこれでマジ大好きな一曲で、本当にギリギリのギリギリまで入れるかどうか迷っていました。

 


〇 1 点曲

 マジで迷いまくった末に残った曲です。言うほど強く意識しているってわけでもないんですが、投票曲はジャンルがなるだけ偏らないように、という気持ちで毎回選んでいます( 2 点、3 点も同様)。

 


・171_6:宵の明星 / mamezo

www.youtube.com

 クラシック調(?)枠。たしか自分が四回生の、だから二年前の九月ライブで流れたような流れなかったような、そんな記憶が曖昧ながらもあるんですが。ともかく、初めて聴いたときからめちゃくちゃに食らった曲でした(マジで食らった)。全部良い。全部良い。全部良いですよね、なんか、怖いくらいに。自分は普段こういう曲全然聴かなくて、だからなんていうか、この楽曲を称賛するための言葉も素養もまるで持ち合わせていないんですが。それでもそれなりに感じたことを書き起こすとすると、ピアノのフレーズがまずもってめちゃくちゃ綺麗だなと思って。弦へ主旋律譲るとことかもめちゃグッとくるんですけど、いやでもやっぱピアノのラインが綺麗すぎる~、全体を通して。その、たとえば二点、三点を入れるくらいに推している曲だったとしても、仮にそういう曲を自分が作れるようになったとして嬉しいかといえば、必ずしもそうではないみたいな話があって。でも、一生に一度でもこんな曲作れたらめちゃくちゃに楽しいだろうな~って、『宵の明星』は聴くたびにそう思います。

 


・173_3:できそこないフライト / Imanishi

youtu.be

 疾走ロック枠。最初聴いたくらいの頃から既に「ぐわ~~~~」となっており、早く mix しなおした音源を YouTube に公開しなさ~~~~~いって一年以上前から言い続けています、本当に。真面目な話、展開の魅せ方が好きで。特にサビ前の七拍子。ああいったトリッキーさは当時の Imanishi 曲の特徴の一つかなと思うんですが(本当?)、それを大してカッコつけることもせずにサッとこなし、そのままサッと次の展開へ行くのがもうマジでカッコいい! こういう変拍子の組みこみ方、なんならめちゃくちゃ教えてほしいくらいです。

 


・175_3:Summer Cocktail / なずしろ

www.youtube.com

 通常歌モノ枠。この曲、マジでめちゃくちゃに好きなんですけど、投票結果みてみたら自分以外の人も大概好きらしくて笑ってました。終始おしゃれなフレーズを奏で続けるピアノとか、なんかよく分かんないけど良い感じの動きをし続けるベースラインとか、程よい余韻を残して消えていくリードギターとか、なんかもう全部が好きで。なんか、なんだろ。「なんかもう全部が好きで」以上に言うこと特にないんですけど。強いて言うなら、この曲もこの曲で『Kamogawa Hallucination』みたいに情景を想起させられる楽曲だな~と思っていて。思うに、自分はその要素をとても気に入っているのだろうっていう。あと、これは完全に関係ない話なんですが、『Summer Cocktail』と『深海魚』のどちらに 1 点を入れるかで最後の最後まで悩んでいました。

 


・175_11:Dysnomia / Mint

soundcloud.com

 ハードめクラブミュージック枠。公開当時からめちゃくちゃに好きでした。適切な用語を扱えているかという問題はこの際置いておくことにして、なんていうか、ハード系(メタル系?)のロックサウンドからワルいシンセの犇めくドロップへ雪崩れ込む楽曲が本当に好きで。というのは単純な理由としてあるんですが、他に推したいポイントとしてはロックパートのドラムスのフレーズですね( Mint 君がドラマーであることに関係する?)。リズム隊がマジでキマりまくってるんですよ、この曲。特に 1st drop のあと。なんか、あまりに自然だからサッと聴き流しちゃうんですけど。自分で曲作るときに毎回毎回ドラムの打ち込みで悲鳴を上げている身としては、「やってんな~~~~」って感じです。なんだろ、リズムそれ一つだけでも十分成立するくらいの、それくらいの強度があるなって。そういうのも含めてお気に入りの曲でした。

 

 

・175_13:夜と傷 / 人間マン

youtu.be

「好きだから」という理由だけでの投票枠。毎回毎回、好きだからって理由だけでクオリティ等の一切を度外視して票を入れる曲が一つあるんですが、今回は人間マンくんの『夜と傷』がそれでした。『Follow my heart』のところでもちょっと書いたんですが、音楽としてのクオリティはもちろん大切で。それを蔑ろにすることは違うと思うんですが、一方でそれはそれはとして、他にも忘れちゃいけないものがたくさんあるだろ! という気持ちもあるにはあって(誰への叫び?)。そんな大切を自然と思い出させてくれる音楽が自分は本当に大好きで、クオリティとか関係なしに。そういう意思表明としての 1 点です(誰へのアピール?)。……この曲、『夜と傷』は聴き大会で聴いたときから、何ならライブで初めて聴いたときからかなりの衝撃を食らっていて(聴き大会の discord チャンネルをみにいったら、この曲の好きなところを全部むかしの自分が書き込んでいた)。「自分が大吉に収録されてほしいと思う楽曲を選んでください。」(投票フォームに掲載されていた文章)というのであれば、この曲を入れないと全部が嘘になる! とそう思えたくらいには好きな楽曲です。

 


・175_14:Dummy Head / MOAN Sound

youtu.be

 BGM 枠。本人たちはおふざけ(?)で作ったらしいですが、自分としてはとても好きな一曲です。いや真面目な話、この曲めちゃくちゃ良くないですか? 探索系ゲームのマップ BGM みたいっていうか、こんな良い BGM の流れるステージがあったら入り浸りますって、間違いなく。ジャンル的には Ambient ……で合ってるんですかね、分かりませんけど(ホンマに合ってる?)。『宵の明星』と同じで、自分で作れたらマジ楽しいだろうな~~~、って思います。特にカッコいい展開やキメキメのフレーズが詰め込まれているというわけでもないのに、というかむしろ単調なくらいなのに、なんだろ。飽きさせないというのとはまた違っていて、飽きる飽きないとかじゃないっていうか。自然? いや、だからそれこそ BGM なんですよね。ものすごく自然に四分を経過する。すげ~。

 


〇 2 点曲

・172_20:On the Last Day / kosamega

soundcloud.com

 穏やかインスト枠。マジで好き!!!!!!!!! マジで好きです、本当に、嘘偽りなく。初めて聴いたときからもうめちゃくちゃに好きで、何が好きかってオタク語りをするんですけどこれから。『Kamogawa Hallucination』や『Summer Cocktail』でも同じことを言っていたんですけど、情景描写としての音楽!!! 『On the Last Day』はその一点があまりにも極まっているなと思っていて。その、どんな音楽でもイヤホンをして目を閉じてって、そうしたら幾つかの景色は大なり小なりみえてくるはずと思うんですけど(嘘で、人に依るかもしれない)。なんていうか『On the Last Day』は、そう、感覚的には映画の域なんですよね。あるいは夢? いや、自分で言っといてなんですけど夢のほうが感覚的に近いです、自分的には。よく言われますけれど、夢って体感時間上は長く感じても実際にみている時間はほんの数分だとか。いや、だからそれなんですよ、『On the Last Day』って。たった七分弱の間に一時間半くらいある映画を観たみたいな、そういう気分。伝わってほしい~~~。最後の最後に満を持して展開されるピアノフレーズもかなり好みで、起承転結~~~~。起承転結。夢遊? そういうの!

 


・173_1:回想車 / マコトシアカ

www.youtube.com

 真っ直ぐポップス枠。もはや逆に何も言うことないです。嘘で、言いたいことはめちゃくちゃあって、というかどんだけ良い曲作んねん!!!!!マコトシアカ!!!!!!! って気持ちです、とりあえず(呼び捨てにしてごめん)。こんなこと言うのもアレですけど、なんていうか、マジのマジに自信(?)を粉々に打ち砕かれた一曲で。後にも先にも、この曲以上にそういったインパクトを食らう楽曲はないんじゃないかって気さえします。それくらいやられた。いまだから言うんですけど(マジ全然関係ない話なんですけど)、『回想車』で自信をズタズタにされ「このままじゃダメだ~~~!!!!!」って気持ちになって、それを一因として『リスティラ』が生成されました(当初『リスティラ』のリファレンスには『回想車』があった)。でも、全然勝てた気がしない! 音楽って勝ち負けじゃないけど! じゃないけど、それはそれとして! いや、本当に凄いと思います。こんな素晴らしい楽曲を生み出してくれる人と同じサークルにいれて、マジで幸運だな~とも思います。

 


・175_2:しゃぼん玉フロート / マコトシアカ

www.youtube.com

 オシャポップス枠。こういった曲調の音楽を自分は普段全然聴かなくて、そんな人間であってもそれでも惹きつけて離さないだけの魅力と強度があるな、と思います。街で偶然耳にして shazam するみたいな、そういう意味。何様だよって目線のコメントをしてしまって申し訳ないんですけど、いやでも、そのくらい完成度の高い、それでいて単に完成度の高いというだけでない楽曲だなと思っていて、本心から。いや~、めちゃくちゃ好きです。ボーカルのニュアンスもちゃんとこだわってるっぽくてすごいな~というのも勿論あり。自分はかなり適当に済ませてしまうので。三分弱の曲なのに一回聴いただけでもすげ~と思う要素が多すぎて、いちいち全部に触れてたら言葉があまりに足りないよ~って感じです(いま思い出したけど、尺が短いのもすごい。いや正しくは、三分足らずしかないのにそうと思わせない構成力がすごい)。ほんとにすごいと思う、マコトシアカ君。

 


・173_14:Finalizer / ITSUHA.+Rakuno.α

soundcloud.com

 疾走インスト枠。「自分の曲に票入れるのどうなん~」って後ろめたさにも似たささくれがありつつ、それはそれとしてこの曲は(これまでも何度か言っているんですが)九割くらい(控え目に見積もっても八割くらい)Rakuno.α の曲で。自分の携わった曲としても勿論好きなんですけど、それはそれとして Rakuno.α の制作した曲という側面をしてもめちゃくちゃに好きな曲で。なんていうか、音ゲー曲に課せられた「二分以内」という制約の中で、それでも全体を通してそれなりにうまくまとまっているように思えるというか(手前味噌っぽいですけど……)。そういう意味で自分の中での評価値が高かったです(一般に、二分以内で展開のまとまった曲を作るのはムズい)。……曲がりなりにも自分が関わっているのであんまり語ることないな。結構色んな人に投票してもらえてるっぽくて嬉しかったです、ありがとうございました。

 


〇 3 点曲

・172_3:Come Tonight / Noctavation

www.youtube.com

 横ノリダンスミュージック枠。どこが好きって言われたら難しいんですけど。いや、本当は全然難しくなくて、むしろ一言で説明できるくらい単純なことなんですけど。聴いてるとめちゃくちゃ自然に身体が動くな~、っていう、言ってしまえばただそれだけの。でも逆に言えば、一見たったそれだけのことに思えるような理由だとしても、それでも迷わず 3 点を入れたくなるくらいには、自分にとってはとても魅力的な楽曲なんですよね。なんかもう、『Come Tonight』をバカでかいスピーカーで一生聴いていたい以外の感情がないし、それはそれとして夜の散歩中にもずっと流していたいです。って話だけで片づけるのもあれかなと思うのでここ好きポイントを挙げておくと、一曲を通して Bass(で合ってる?)の存在感が絶妙だなってのと、あとは 2nd drop で一瞬だけ変なピッチ感になるベースラインがあまりに好きすぎ。補足で、パーカッションのアタック感がシンプルかつ小気味良くて。そういった諸々から生じているのであろう横ノリ感っていうか、心地良さみたいなのが何よりも好きです。

 


・175_15:Looking for / がき

youtu.be

 バラード枠、……というとちょっと違う気がしますけれど、気持ち的にはそんな感じで選びました。これに関しては、なんかもう、どうして選んだのか自分でもよく分かってないです。ただなんていうか思うこととして、好きなものに順位をつけたいわけじゃないんですけど、結果的にはそれと変わらないことを自分は(あるいは、投票者全員が)やっていて。別にライブや何やがなくたって、バイト先へ向かう途中の電車だとか散歩中だとか、日常生活の合間合間に何度も繰り返し聴くくらいには好きだった曲はたくさんあって。投票した曲としてこれまでに紹介したものの中にも、あるいは今回は投票を見送ったものの中にも、本当にたくさん。でもなんていうか、そういう一切を全部ぶち破ってきたのがこの『Looking for』で。当時の聴き大会時点で記憶に引っ掛かってたってのは当然あるんですけど、ただ、例の『 175 号聴く会』で聴いたのが本当に久しぶりって感じで。たぶん半年ぶりとか、それくらい。なのに、「ああ、3 点入れるとしたらこれしかないわ」って。本当にびっくりするくらい自然な感覚としてそういう気持ちが在って、いつの間にか。他の投票曲は勘違いに思い込みを重ねたものだとしても、「こういうところが良いと思ったから」って主張できるくらいには自分なりの理由を以て選んだつもりだったんですけど、なんていうか。それで言うなら『Looking for』はものすごく本能的に選んだな~って感じです。「あれが好き」「これが好き」って感覚をすっ飛ばして選んでしまう程度には突き刺さったっていうか、自分の心臓にめちゃくちゃ近い音楽だなあって。本当に、順位をつけたいわけじゃないんですけど、本当に。ただ、どうしても言いたいので先のように断った上で書くことにするんですが、第一回の投票対象曲の中で一番好きな楽曲でした。

 


〇終わりに

 好きなものに順位をつけ、さらには取捨選択をし、しかもその結論が間接的に相手へと伝わり。この地獄は? って気持ちです、いつもいつも、大吉投票のときは。でも、だけど決して無意味ではないよなと思っていて。こうして選ぶ必要性に迫られて初めて、自分の中にある曖昧なままの「好き」が整頓されていくっていうか。……2021 年聴いた音楽 BEST10 のときも同じようなことを思った気がする(気がするではなく、間違いなく同じことを思っていた)。

 あと三回もあるんですね、これが。やば~。残りの投票も真面目に考えます。今回みたいに投票先を開示するかどうかは、そのときの気分次第ですけれど……。