眠れない

 

 

 言葉にしたからって別に何が解決するわけでもない。それは本当にそう。一方で、言葉にすることで何かを果たしたような気持ちになることもある。それもそう。だから、こうやって何でもかんでも書き殴ろうとするのは大分前から止めている。普通によくない。よくないというか、なんだろう、いや、よくないんだけど、もっとこう、適切な表現があるような気もする。でも、いまは思いつかない。なんだろう。とにかく、これで解決させた気には全くなっていないということだけ、ちゃんと書いておく。

 

 なるほどなあ、と思いながら自分のことを振り返ってみたりした。なるほどなあ、と思った。余計な荷物を勝手に押し付けるなって話。それはそう。当たり前じゃん。誰だって嫌だし、俺も嫌。なんか、そこまで考えが至らなかった。こう書くと、お前は馬鹿か、という気持ちになる。いや、でも、実際そうで、ああいうのって真夜中の帰り道とかに死ぬほど後悔するじゃん。でもそのときにはもう誰もいないし、それは逆で誰もいないから後悔があるんだけど、今更遅いなあと思う。普通に申し訳ない。

 

 これまでにも何度か言われていたし、うん、まあ、実際その通りだなという気がする。そんな風に言われるのは普通にショックだけど、面と向かってでないだけマシか。あれが嫌、これが嫌って、なるべく言わないように努めているつもりなんだけど、だって、それを言ったところで何の解決にもならないし、九割悪い方向へ進むし。だからといって嫌なものは嫌だし、言わないだけで、ずっと思ってる。察してくれとかは別に思わない。それだったら多分、もう少し分かりやすいアクションを起こしてる。どうにかなってくれとも、もう思ってない。どうにもならないし。どうにかしてくれとも、全く思ってない。自分が間違ってるとは思ってないから。

 

 いや、間違っていないというだけで悪ではあるけれど。無関係な人間を巻き込むのはやっぱり悪。第一、それを一番嫌っているのは、他ならぬ自分だし。あれが嫌、これが嫌って、俺のいないところで勝手にやってくれよって、まあ思ってる。多分、同じことを思われてる。つまり最悪。なんで思い至らなかったんだろう。いや、なんでとかどうしてとか、そういうことを言っている時点で自己愛の塊というか、ちゃんと鏡を見ろよという話。要するに忘れてたんだよな。全部自分が悪い。あれだけの言葉を交わして、まだ足りてなかった。引き摺ってる。

 

 なんていうか、正直に言えば、勝手に安心してた。一年? 自分が嫌いなもののこと。違う。それが嫌いな自分のことを知っている誰かの存在に救われることがある。ことがある、というか、そうでしかない。でも、だからって、一方的に巻き込むのはよくないよ、本当にそう思う。だからそもそも、自分がそれを嫌っているから。そっち側からみたらこんな感じなのかって、昔のことを思い出して、なるほどなあと思った。そりゃ嫌だ。笑える。

 

 嫌いなものがあるなら離れればいいって、それは本当にそうだと思う。そうしてる人もいるし、というか、それでまあ全部が解決とは言わずとも、水面の奥底くらいへは沈んでくれるわけで。嫌いになりきれないってのがある。好きと嫌いって、別に両極にあるものじゃない。どちらかというと、赤と青の絵具みたいな。大体、紫色。たまに片方に偏る。好きに偏ることもあるし、嫌いに偏ることもある。たとえば後者を赤として、そうして頭いっぱいに広がった赤を眺めてさ。それが黒色なんだって心から信じられる人間は相当強い。無理。だって、放っておけばまた紫へ戻って、青くなることもあるんだろうなって思うし。要は一時的。誰だってそうじゃない? そうじゃないのかも。まあ、青信号を信じて渡ってみたら途中で赤に変わって、そのまま事故るってケースが圧倒的に多い。自覚はある。

 

 いい迷惑だよな、と思う。他人事みたいに。それは散々聞いた。なんか、それでも今日まで一緒にいてくれたんだから、それだけで感謝しなきゃいけないんだろうなって気持ちにもなる。多分しないけど。されたくもないだろうし。でも、感謝はしてる。してるからって、迷惑をかけていいってことにはならない。反論の余地なし。だから、もう少しだけ考えてみる。期待とかは特にない。

 

 でも、多分だけど、それについてはただの勘違いだと思う。多分だけど。