止まない雨

 

 止まない雨はないだとか、明けない夜はないだとか、そういったステートメントってあまりにも当たり前すぎるというかなんというか、要するにありきたりでつまらないと感じるわけですが、それ以上に不誠実だと思うんですよね。言葉を扱う上で誠実さなんて必ずしも求められるものではないのでしょうけれど、それにしたって、と思うことが多々ありまして、たとえば「止まない雨はない」と主張するのであれば「曇らない空はない」ということも知っておくべきだし、たとえば「明けない夜はない」と主張するのであれば「沈まない太陽はない」ということも知っておくべきだし、都合のいい側面ばかりを切り取って貼り付けることを繰り返すのは、だからつまり不誠実だろうという印象を自分は何となく持っています。といっても、何に対しての誠実さに欠けているのかと問われれば、そこはちょっとよく分からないんですが。なんでしょう。万物?

 

 止まない雨の話をします。

 

 物語には始まりがあって、始まりがあれば終わりもあって、そいつらは切っても切り離せない関係で、永遠なんてものはどこにもなくて、絶対なんてものもどこにもなくて、自分たち人間はいつか必ず死ぬし、惑星だって何億年かしたら勝手に滅ぶ。僕らはなにかと始まりのほうにばかり目を向けがちですけれど、しかし、だから、すべてが終わってしまう最後の一瞬にだって同じくらいの価値と重さがあるのだと思ったり思わなかったりします。その最後は美しく彩られている必要なんて全くないし、ハッピーエンドでなくともいいし、何なら全く無関係な終焉であってもいい。たとえば二時間半の作中世界を結ぶ簡素なエンドロールみたいに、よく知らない用語と知らない人の名前が聞いたこともないアーティストのサウンドとともに紹介されるだけの酷く退屈なものでもいい。形式やみてくれなんてどうだってよくて、はっきりとした終わりがあるということが何よりも大切。そう感じることがよくあります。最近は映画館に行く機会もすっかり減りましたけれど、多くは黒を背景に白文字が過っていくだけのアレを観て、それから映画館特有のだだっ広い扉を潜って、そうやっていつも通りの日常に帰る瞬間が昔から大好きでした。

 

 終われなかった物語が、何よりも最悪で、心苦しい。このブログでももしかしたら何度か書いているかもしれませんけれど、中学生の頃、自分にはほとんど唯一と言っていいくらいに仲の良かった奴がいました。そいつは当時からめちゃくちゃに頭が良く、それに絵が頗る上手く漫画を描いていたりもして、あとはピアノも弾けた。笑ってしまうくらいに自分の完全上位互換みたいなやつで、だから相性がよかったのかもと今にすれば思うわけですけれど、そいつとは高二高三くらいの頃を最後に一度も会えていなくて。つい最近購入した『神のみぞ知るセカイ』という作品を自分に教えてくれたのは他ならぬそいつだったのですが、だから読んでいると嫌でも思い出すんですよね。「アイツ、いま何してんのかなあ」みたいな。そもそも生きているのかも分からない。公立中学だったので実家から歩いて数分圏内にそいつの家はあるんですが、会えなくなって以来訪ねたのはたったの一度だけです。最後に会った時に話したことは今でも覚えていて、でもそれっきりで会えなくなるんだったらもっと他に話すことがあったのに、といまでは思います。

 

 勝手に始まって勝手に終わった物語が、つまるところ、止まない雨の正体だろうと考える自分がどこかにいて、そういう意味での止まない雨の止ませ方なら知ってます。終わりのないということが結局は唯一の問題であって、だから、終わらせればいいんですよね、全部を、自発的に。上に出したアイツの話を続けるのであれば、たとえば自分からアイツの家に訪ねてみればいい。実際に会える距離にいるのだから、もう一度会って、それで最後にしてしまえばいい。そう思って実際に家の前まで行ったことも何度かあるんですけど、でも、それを選ぶということはやっぱり怖くて、結局何もできずに家に帰るというところまでがテンプレです。ままならない。

 

 雨は嫌い。できれば止んでほしい。でも、雨を降らせているのは他ならぬ自分だったりもして、一層どうにもならない。雨を消す方法は知っている。だけど、終わりを受け入れるのは怖い。誰かに助けてほしいけれど、誰も助けてなんてくれない。一人で何とかするしかなくて、それもまた辛く苦しいから、だからずっと傘を差している。そうして傘の下で雨を凌いでいるうちに、雨の冷たさなんて忘れていく。悲しみは風化する。もうそれでいいのかもしれない。止まない雨はない。ないということでいい。そう決めたままでも、何とか生きていける。

 

 雨が止んだから傘を捨てるのではなくて、雨を止ませるために傘を捨てる。勝手に始まった物語を自分自身の手で終わらせる。この雨がいつか止んだなら、という言葉はそういう意味でした。

 

 自分はあの少女みたいに強くないので、ずっと傘を差しています。いまでもこうして思い出せるだけ、まだ救われているのかもしれないなと思います。