夏を食べている

 

 これは昨日のことなんですが、とは切り出したものの、この記事が投稿される頃には一昨日になっているだろうとは思うのですが、とりあえず体感的には昨日のことで、そんな大したことがあったわけでもないんですが、コンクリートの壁に蝉の抜け殻をみつけたんですよ。もしかしたらこれまでにもどこかで目にしていたのかもしれませんけれど、その空っぽを二、三十秒ほどまじまじと観察していたのは、多分小学生とか、もしかするとそれよりももっと小さい頃以来だったんじゃないかなあ、なんて思います。あれって、なんか不思議ですよね。何がって、まあ色々あるんですけど、たとえば抜け殻なのに壁に引っ付いたままで落ちないこととか。詳しいことは何も知りませんが、それはでも多分きっと恐らく想像するに、虫が硝子の上を歩き回れるのと同じような原理で、壁の細かい穴なんかに腕の先が食い込んでいたりするのでしょう。だからどうってことはないんですが、もっと不思議なのは、その抜け殻が綺麗な形のままで残っていることのほうなんですよね。具体的には腕の辺りです。成虫は脱皮するときに背中から外へ抜け出していくわけですけれど、腕の殻とかってその過程で普通に壊れそうじゃないですか? だって、あんなに細いし。なのに全然、壊れるどころか芸術作品かよってくらいそのままで残されていて、なんだか不思議だなあ、という気持ちになりました。昨日の、正しくは一昨日の、午後七時頃の話です。

 その日、吉田音楽のほうの総会がありまして、南のはずれにあるボックスとは名ばかりの機材収納部屋に、両手があれば数えられるくらいの人数がところ狭しと集まって、試験期間によって停滞していた何やかんやをあれやこれやと話し合いました。自分は人の多い空間がどうにも苦手なんですが、正しくは人が密集することによって形成される騒音こそが苦手の対象で、別にそれは誰々がどうとか何々がどうとか一切関係なく嫌いで、いや勿論、不快の度合いは各々の場合によって左右されますけれど、しかしどんな場合であってもその針が快に触れることはまずなくて、それの何が嫌かって話なんですが、音って否応なしに意識へ介入してくるじゃないですか。聞き耳を立てているとかそういうわけじゃなく、意思なんて無関係に勝手に入り込んでくるでしょう。道ですれ違った人とか、電車で偶然同じ席に座った人とか、教室の後ろ側に屯する集団とか。こっちの拒絶なんてもうお構いなしにずけずけとやってくるじゃないですか。勝手に聞こえてくるじゃないですか。意識がそっちに引き摺られるじゃないですか。自分の場所が分からなくなるような、そんな感覚ってないですか? 全人類に遍く備わっている感覚だと自分は思っているのですけれど、実際はそうでもないんですかね? 気になるとか気にならないとかじゃなくて、気がついた時にはテリトリーの中に入ってきてるんですよね。そんなの、どうしようもなくない? だから、そういうときは大体の場合イヤホンで耳を塞ぎます。そして、それができないときが一番つらい。外へご飯を食べに出てるときとか、あれは完全に詰み。

 話が完全に脱線してますが、その総会が終わって、真っ先に部屋を飛び出したんですよね。あ、先に長々と述べていた自分の集団嫌い話はこの行動と何ら一切関係なくて、総会後には晩御飯を食べに行くというお決まりの流れがあるということと、あとは自分が割と扉の近くにいたので最初に出るなら自分だと思ったというだけです。実際、あの空間は非常に落ち着いていたので精神衛生にはよかったです。で、そのときに見つけたんですよね、蝉の抜け殻。入ってくるときには気がつかなかったんですけど、扉を外へ潜り、角を折れて駐輪場へ抜けるところの壁にそいつがいました。それをまじまじ見ていたのは先述の通りなんですが、まあここに立ち止まっているのも邪魔だろうなと思い、駐輪場を通り抜け、黒いアスファルトに出たんです。そしたら半分に欠けた月が薄らと暗くなった空に浮かんでいて、来るときにはどちらかといえば青白い色を帯びていたんですが、そのときにはすっかり見慣れた色へ近づいていました。あれもあれで、なんだか不思議ですよね。あの、月が欠けた部分って普通に空が映ってるじゃないですか。いや、考えてみれば至極当然のことなのですけれど、その瞬間の自分にはひどく奇妙なことのように感じられて。そこに月はあるはずなのに、とか、まるで最初から何もないみたい、とか。でも、やっぱりそれは当たり前で、というかこの宇宙にはほとんど無数の恒星がある一方で、僕らが普段見上げている夜の空に映されるのは無数のうちのほんの一部だけですし、残りのほとんど無数はまるで最初から存在していないみたいに真っ黒で塗りつぶされていて、だからそれは別に月に限った話ではなくて、しかし、月みたいなひときわ大きい球体がその対象になると、なんだか途端におかしなことのように思えてきますよね。そういえば直接の関係はあまりないんですが、オルバースのパラドックスってのがあるんですよ。個人的に気に入っている逆説の一つです。気になった人は調べてみてください。星空にまつわる話です。

 そよぐ風に揺れている細い枝先を眺めていると、なんだか風の音が聞こえてくるような気がしませんか? 葉の擦れる音とか、あるいは風が耳元を切る音とかじゃなくて、純粋に風そのものの音が。実際は何も聞こえないんですけどね。だから、気分の問題です。そんな気がするってだけです。部屋を出たはいいんですが、蝉の抜け殻、欠けた月、揺れる枝先ときたのに、他の人が一向に部屋から出てこなくてですね。もしかしてまだ何かやることがあったのかなあ。でも、総会はこれで終わりですってたしかに言ってたし、何かやってるとしたらたぶん雑談だよなあ。そんな感じのことをぼんやりと考えつつ、耳にはよく馴染んでいるのに名前も何もまるで知らない虫の鳴き声を聴いていたんですが、というかそこで気がつくべきだったんですが、部屋のほうから話し声だとか物音だとかが一切届いていなくて、なんか、めちゃくちゃ変な気持ちになったんですよ、そのとき。部屋から歩いたのなんて、だってたったの二十歩くらいのものなのに、それだけでこんなにも綺麗に切り離されたみたいに音ってなくなるものなのか、と思って。何て言うんですかね。自分一人だけ夏の下に爪弾きされたみたいな。見渡す限り誰も何もいないし、夢か、あるいは幻みたいなそんな感じの。だから、というかなんというか、そのせいってわけでもないんでしょうけれど、一層考えてしまったというのはあるような気がします。月とか風とか、そういうの。賑やかな空間から弾き出された瞬間に、ああいった思考の強度はより鋭く増すような感覚があるじゃないですか。知人の家からの帰り道とか、飲食店から夜の歩道へと降りたときとか、たとえばそんなとき。実際、来る途中に欠けた月をみたところで、青白い色味の月には海月のような月って比喩が似合うなあ、くらいのことしか考えませんでしたし。定期的に誰かと会うのが必要だっていうステートメントには、個人的にはこういう側面も割とあるなあと思ったり思わなかったりします。ちなみに、他の人たちはどうやら花火をするための道具を探していたらしいです。てっきりコンビニで一式揃えるのだとばかり思っていたのですが、どうやらボックスに花火の在庫があったらしいですね(でも結局、コンビニでもう一セット買った)。

 

 夏を食べているという感じがするんです。蝉の抜け殻も、欠けた月も、揺れる木々も、聞こえない声も。朝の窓に映る青空とか、嘘みたいな夕立とか、絵筆で彩ったような午後六時とか。なんかそういった夏の要素すべてを、こう、あえて言い表すなら「食べている」っていう言葉が一番近いかなと思って。書きたかったのは、結局それだけのことです。