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 百番目の記事らしいですね、これが。だから別に何があるって話でもないんですけど、今朝起きて思ったことを書こうと思います。

 

 何が綺麗で何がそうでないのか、なんか分かんなくなってきたなあ、というのが目覚めて真っ先に感じたことでした。何だろう。僕、朝起きてすぐにベッドから抜け出すのが無理で、だから目が覚めて最初にすることって音楽を聴くことなんですけど、今日は目覚めのアラームが『ray / BUMP OF CHICKEN』で、それから昨日買った『セブンティーナ / はるまきごはん』を聴いて、同じアルバムだからってことで『メルティランドナイトメア / はるまきごはん』を聴いて、何となく『Lemon / 米津玄師』を聴いて、それくらいの時間が経てば何とか思考できる程度にはなるんですが、そうは言っても考えることなんて、朝だなあ、くらいのもので、カーテンの外が明るいな、みたいな。多分晴れてるんだろうな、とか。そういえば、なんか工事の音が聞こえるんですよね。工事の音というか、金属をぶつけ合う音が。擦りつける以外の金属音はそんなに嫌いってわけでもないので、こういう朝もそれはそれで綺麗かもな、とか考えてたら、いや、綺麗って何が? みたいなことを考え始めて、それでいまですね。綺麗とか綺麗じゃないとか、結局、それは個人的な定規じゃないですか。僕、米津玄師はマジで凄い人類だと思っていて、尊敬してるかって言われると別にしてませんけど、でも、客観的に見て彼は凄いし(客観的には見ていない)、個人的にも好きですし、曲はそんなに知らないのでアレなんですが、それはそれとして、彼のことを毛嫌いしている人もそれはそれでいるわけじゃないですか。だから、分かんなくなってきますよね。絶対普遍的なものなんて存在しないことは理解してるつもりなんですけど、それでもこう、その事実をいざ突きつけられてしまうと怯んでしまうというか、自分が綺麗だと思っているものもそれが綺麗だと信じているだけなんだろうなと思ってしまうわけです。はるまきごはんはめちゃくちゃ良いトラックメーカーだと自分は思うんですけど、それも自分がそう思ってるだけだし。彼の作る音楽の良さは広く世に認められているわけですけれど、でも絶対的ではないよなあとか。それを嫌いな人がどこかにはいるんだよな、というだけの事実がもう十分すぎるくらいに辛くて、こんなにも綺麗なのになあ、とか考えて、それは自分がそう思ってるだけだよな、とか考えて、ぐるぐるぐるぐる、それでいま。自分にとっての綺麗なものが全人類にとってもそうであってほしいとか、そういうことを言っているわけじゃないんですが、何て言うんですか、ああでもそういうことを言っているのかもしれませんね。どうなんでしょう。知らないだけであってほしいな。好きだとか嫌いだとか、自分も結構言いますけれど、じゃあ嫌いな奴はどうでもいいのかといえばまあそんなことはないし、嫌いな相手だってできることなら好きでいたいし、好きになりたいし、だから、自分の知らない部分ではそうであってほしいなあとか考えてみるんですけど、でもこれについても以前言われましたね。人間はそんなに綺麗じゃない、とか。覚えてます。一応は自戒のつもりで。

  みたいなことを考えてたんですけど、どうやって飛んだのか、これまでにかかわってきた人たちのことを思い出したりして。大人からすれば二十年なんてまだまだなんでしょうけど、それでも二十年というそう短くはない時間を生きてきたわけで、主観で言えばそれは十分に長い時間で、自分にとっての綺麗なものというのはその道中で拾ってきた何かたちなんでしょうけれど、その中には誰かから分け与えてもらったものもあるんだろうなあと思ったりもして、というかそっちがほとんどなんじゃないかなあとか、自分で拾ったものなんてたったの一つでもあったのかなとか。そんなこんなでこれまでのことを思い出したりして、次の記事が百回目ってこともあったと思うんですけど、彼らのことについて書いてみようかなと思い立って、それでいまです。懐古とは違うつもりなんですが、それはそれとして、いまの自分がいるのは彼らのおかげだという気持ちはやはりそれなりに強いので、まあちょうどいいタイミングだったんじゃないかという気がしますね。

 

 とりあえず真っ先に思い出せるのは三人です。その三人について書こうと思います。

 

 一人目は、自分が確か中二のときにインターネットで知り合った相手です。もしかすると中三だったかもしれません。その辺りは曖昧です。高一か高二のときに一度だけ会ったことがあります。

 自分が作曲に関心を持ったのは中学に入ってから知ったボーカロイドという文化が直接の原因だったのですが、一人目の彼がいなければ多分関心を持ってそれっきりで終わっていただろうなと思います。彼は僕の一つ上で、僕が知ったときには既に作曲を始めていました。彼は今でこそ(音ゲーをそれなりにやってる人なら恐らく知っている程度には)超有名なコンポーザーになってしまったわけですけれど、その当時からめちゃくちゃカッコいい曲を作っていて、その様に憧れたというか、自分で曲作れたら絶対楽しいじゃん! となったのは彼の音楽に触れてのことでした。僕がいま使っているDAW(曲を作るためのソフト。文章でいうwordみたいな)は彼が当時使っていたのと同じものですし、それは彼に勧められて作曲を始めたからなんですが、曲を作るという行為は現状自分の生活のそれなりの部分を占めていて、なんか、あのとき彼に出会ってなかったら今頃どうなっていたのかとか、ほとんど想像できません。どうなってたんでしょうね、本当に。京大を志した理由の一つに、現在所属している『吉田音楽製作所』というサークルがあるんですが、だから、彼と出会ってなければいまここにいる理由が二つくらい消えてしまうんですよね。それは怖い。なんだかんだここへは辿りついていたのかもしれませんけれど、そうでなくてよかったと思うばかりです。

 まだあと二人残ってるんですが、三人のうち彼との付き合いが一番長く、中二のときに知り合ったから今年で九年目になるんですかね。近頃は流石に以前のように夜通しで哲学的(年相応)なこと話したりとかはしなくなりましたけれど、彼も忙しそうですし、それでもたまに通話したりすると、やっぱ変わってないなあ、と思ったりもします。彼も彼で壮絶な人生を歩んでいるようで、多分僕なんかよりもよっぽど辛く大変な道のりをいまも前に進んでいるんだろうなと思います。彼から貰ったものといえば、何でしょうね。音楽に対する姿勢は間違いなく彼から勝手に受け継いだものだと思うんですが、それ以外にも、たとえば創作は命を削らなきゃやってられないとか、この辺りも彼の在り方と自分の性質とか結びついて出てきた考え方な気がします。彼は本当に実力の伴った作曲家で、それは身内ゆえの色眼鏡を通した姿ではなく、彼の能力は実際に認められていて、それ自体は僕も自分のことのように嬉しいんですが、一方で、付き合いが中途半端に長い分、そんな彼の裏側も多少は知っていて、いや、ほとんど赤の他人ですしまったく知りませんけど、でも多少は知っていて、そうやって広く認められる以前の彼はとても辛そうで、力はあるのに機会がやってこない感じの、本当にどうしようもない行き止まりみたいな。成功している人間のことを才能の一言で片づけてしまうのは簡単ですけれど、そうやって辛そうにしていた頃の彼と、それでも多大な努力を払い続けた(いまもそう)彼のことを自分は多少知っているので、だから何かから逃げたくなったときとかには彼の姿を思い出したりします。努力は必ず報われるなんて言葉は真っ赤な嘘ですけど、報われた人間は彼のように死ぬ物狂いの努力を重ねているのでしょうから。自分も頑張らなきゃな、って気持ちになります。

 

 二人目は、高一のときに知り合った相手ですね。媒体はTwitter。会ったのは二回。

 彼は自分の三つ下です。だから、当時中一。僕が浪人してるので、いまは大学一回生。そう考えると、まあヤバいですよね。今年で七年目の付き合いというと一人目の彼よりも短いのでそうでもないように感じるんですが、その間に自分は高校一年生から大学三回生になり、彼は中学一年生から大学一回生になり、時間の流れを否応なく感じさせられます。でも一方で、それだけ付き合いの長い相手がいるというのはかなり幸せなことだな、とも思います。僕は彼のことをあまり知りませんし、彼も僕のことをあまり知らないと思うんですが、このブログで度々登場するほうの彼の次に交わした言葉の多い相手といえば、恐らく二人目の彼なんですよね。三つ下なんですけど、まあ会話する上で年齢なんて関係ないですよね。そりゃそうだ。

 彼は、というか、彼も、なんですが、例によって壮絶な人生を送っているようで、壮絶な人生を送っている奴としか仲良くなれない呪いに掛かってるのかってくらい。彼は、いわゆる不登校だったらしく、中学の頃から。知り合ったときにどうだったのかは知りませんけど。彼と最もかかわったのは、例に漏れず自分が高校生だった三年の間なんですが、その間彼は(立場上)中学生だったはずで、そのくせ自分なんかよりもずっと大人びた考え方をしているなと、当時の自分はそんな風に感じていたように思います。とても中学生とは思えないくらい。彼がどういった理由で中学へ通わなくなったのか、僕はまるで覚えていないのですが(そもそも聞いたことがないかもしれない。それすらも覚えていない)、いまにして思えば、いまの自分と同じような感じなのかなと思わなくはないです。勝手な想像ですけれど。生きにくさっていうんですか、あるじゃないですか、そういうのが。あるんですよ、普通の人は知らないかもしれませんけど。

 そんな彼も彼で創作(音楽)をやっている側の人間で、いまは距離を置いているようですけれど、また曲を作りたいみたいなことをそういえば先日言っていました。先日というか一昨日なんですが。久しぶりに通話しようよって話になって、向こうから、それでたしか八時間くらい。彼は多分自分と同じ類の人種で、向いている方向は割と正反対だったりするんですが、正反対なりに軸が一致していたりもするわけで、だから彼の性質には共感できる部分がかなりあるんですが、そういうわけで僕のほうも特に遠慮することなく話せたりもして、彼は自分の都合で相手を巻き込むことに多少気後れしていたようですけれど、まあ彼が何を気にするのかは彼が決めればいいんですが、僕の側から言えば彼との会話は他の人とはまた違った心地よさがあって好きですし、だから勝手に巻き込んでくれればいいと思うんですけどね。別に先輩面するつもりは全くないんですけど、今更そんなことを言うような付き合いでもないし、それに彼も自分と似たような感じだと思うので、助けになれるのならなりたいものです。自分は何度か彼に救われたことですし。

 

 書いている途中に一人思い出したので、間に挟みます。彼も例によってインターネット(Twitter)で知り合った相手です。彼とは何度か、少なくとも両手を使う程度の回数は会ったことがあると思います。

 彼は自分の、いくつ上なんですかね、三つくらい? 自分が高校生のときには既に成人していたような覚えがありますし、自分が一回生のときには社会人だったはずなので、三つ上ですかね。多分。彼とは創作の類で知り合ったわけではなく、音楽ゲーム繋がりでした。彼は嫌われ者、というとめちゃくちゃ失礼なんですが、二人目の彼とはまた違った意味で大人びた人でした。一つ上の層から物事を俯瞰しているような感じ。嫌われる。もう本当に思い出したくもないんですが、高校当時、特に一年生の頃とかの自分はマジの最悪で、彼には何度怒られたかことか分かりません。いや、多分そんなに怒られてないんですけど、でも覚えてるんですよね、色々と。後述の三人目が僕という個人を長い時間をかけて矯正してくれたとするならば、彼は何というか正論でぶん殴ってくる感じの、いまにして思えばそういう存在がいてくれたからこそ今の自分がいるんでしょうけど、うーん、って感じです。勿論感謝はしていますし、いまも好意的ですけどね。

 彼は別に壮絶な人生を送っているというわけではなさそうなんですが、でも就職してからの一年半くらいはめちゃくちゃ忙しそうにしてましたね。忙しそうにしてたというか、Twitterから消えちゃって。うわ、社会人怖、と思ったことを覚えています。彼は一応年上ですから、一応というか正真正銘疑いの余地なしにそうなんですが、だから彼にしか話せなかったようなこともそれなりにあって、そういう意味でも彼の存在はとても有難かったのだなと、本当にいまになってようやく思えます。三人目とのあれこれとか、僕と彼と三人目とはある意味で同じような空間で数ヶ月ほどかかわりあっていたので、その点、彼がもしいなかったらいまとはまた違った今があったんだろうな、みたいな気持ちになります。いまのほうが多分正解の未来だとも思います。彼とはまた会いたいんですけど、いや、一人目とも二人目とも三人目とも会えるものならいつだって会いたいんですが、でも彼についてはいまや普通の社会人なので難しそうだなあと思います。動機もないですし、場所も離れてますしね。僕は京都で、彼は広島。そんな簡単に会えるような距離でもないですね。本当に会おうと思えばきっとすぐなんでしょうけれど。

 

 三人目。ブログで度々登場する彼ですね。知り合ったのは高一のとき、Twitter経由の音楽ゲーム繋がり。同い年。

 といっても、彼について話すことなんてもう何もないんですよね。彼についてはこれまでに散々話してきましたし、何の意味があるんだろうなと思いながらも話してきましたし。意味。自分のことを話す上で彼の存在を避けて通ることはできない、ということは多分このブログの最初のほうで書いたように思いますし、そもそもこのブログを始めた動機だって彼との関係の延長線上にあるわけで、いまの自分が持っているほとんど全部は彼から貰ったものなんじゃないかとさえ思えます。でも、何だろうな。百回目にして言うことでもないんですけど、これって結局は思い出に浸ってるだけだよなあみたいな気持ちも心のどこかにはあるわけで、自分なりに前を向いて歩いているつもりなんですが、どうなんでしょうね。自分の内側を掘り進んでいくとどうしたところで彼の影に突き当たるし、歌詞とか文章とかを書いてるときにそれはよく感じるんですけど、自分がこれまでに書いたSSのほとんど全部が実はそれだって話はもうしましたっけ。ここではまだしていないような気がします。というかSSって名前も何だか軽くて嫌なんですけど、なんかこう、自分の中から何かを引っ張ってこようとするとどうしても一緒に出てくるんですよね、彼が。箪笥を引っ張ったら一つ上の段も一緒に引っ張られてくるみたいな。これは西尾維新物語シリーズで使っていた比喩ですが、たしか傾物語の冒頭辺りで、でも感覚としては正しくそれで、殊更話題に上げようとしているわけでもないのに、切っても切り離せない存在というか、三人目はそんな感じの人です。

 本当にもう何も言うことがないので別の話をするんですが、言うことがないっていうか、これまでに散々話してきたし今更書くこともないかなみたいな、そんな感じで別の話をするんですが、彼は彼で就活に忙しいらしいです。一方の自分はといえば、そっか、あいつも就活かあ、みたいな気持ちですね。どの辺りに就職するつもりなのかとかは全く訊いてないんですが、先日は東京まで行っていたようなので、そうなると来年以降はますます会えなくなるのかなとか考えたり考えなかったり。一人目の彼も、二人目の彼も、間に挟んだ彼も、こちらが少し勇気を奮えば友人と呼べる相手だと(少なくとも自分は)思っているものの未だにそう言えずにいるんですが、三人目の彼は、向こうがどう思っているかはさておき、僕は友人と呼んでいます。そうやって気兼ねなく友人と呼べる相手はさほど多くないわけで、それに彼とは会おうと思えばいつでも会えるような距離にあった分、来年以降のことを思うと結構心苦しくなるといいますか、何だかなあ、という気持ちです。変化が必然であることは百も承知なのですが、それはそれとして。会えなくても生きていてくれたらいいというのは本音なんですけど、でも会えるものなら会いたいですよね、やっぱり。

 彼のことを彼と呼んでいる理由とかは特にないように思うんですけど、というか最初にそう言い始めたのは去年五月頃の自分なので、当時の自分はどういった心理状態だったんでしょうね。あまり触れられたくないって感覚がまだ強かったんですかね、あの頃は。でも、いまの自分からすれば、それももういいかなって感じではあります。それは今更どうこうって話ではなくて、彼とのあれこれが軽くなったからとかでもなく、なんか、ようやく自分の中で消化できてきた気がするというか、二年近くかかりましたけど、この二年間で何度も文章に書き起こしましたし、音楽にもしましたし、夜明け色の空とか青空の夢とか、自分の中に在る彼へのあれこれはああいった感じで形になったし、だからもういいかなみたいな気持ちがあって、だからまあ、もういいって話なんですけど。彼のことを代名詞で指すのであれば本当は彼女のほうが正しくて、なんで最初からそうしなかったのかとかは本当に覚えてないんですが、何だろう、でも彼を彼女として語る必要がどこにもなかったというのはあるような気がします。実際ないですし。自分にとっても、彼にとっても、誰にとっても。性別が必要でないのと同じように、名前もまた必要でない。彼の実存的な正体が果たして何だったのかとか、そんなのは本当にどうでもいいんですよね。心底どうだっていい。僕は彼という概念そのものをずっと追いかけていたわけなので。

 多分今後もずっと追いかけていくことになるんだろうなあという気がします。青空と同じような感じで。それはそれで楽しいから構わないんですけどね。

 

 百番目の記事らしいですね、これが。だから何があったって話でもないんですけど、百番目に相応しい内容にはなったんじゃないかなあという気がします。いや、微妙かも。どうなんでしょう。