鍵。

分かりやすい言葉だ。

まあ解らなくてもいいけどさ、今日は鍵の話をしよう。

そういう気分なんだ。

想像してみてほしい。

日常で鍵を使う場面といえばたとえばどんなときだろう?

そんなに多くはない。

大事にしている鍵はいつだってポケットの奥で眠っているけれど、それを手に取って使う機会なんてそうそうない。

だけど、絶対にそうしなくてはならない瞬間が誰にだってある。

扉を開くときだ。

ほとほと疲れ果てやっとの思いで帰宅したとき。

あるいは、知らないうちに始まってしまった朝に運ばれて。

誰にも入ってこられないようにと厳重にかけたそれらを一つずつ外して、自分と外とをすっかり遮る扉をくぐって、そうやって一歩踏み出すために使うものだ。

だから、これはそういう話だ。

 

鍵。

その扉に鍵なんてものは実際のところ無くて、ただ開くことに臆病になっているだけ。

なるほど、たしかに。

その通りなのかもしれない。

しかし個人にとっての鍵が確かにそこにあるのだと、本人がそう主張するのであれば、それはやっぱり実体と質量を兼ね備えた物体だ。

重さがある。

重さがあるということは、つまり自分と自分以外とを遮る扉にはっきりとした意義を与えるということだ。

そういうものなんだろうなあ、と思う。

見えるか見えないか。

触れられるか触れられないか。

温かいか冷たいか。

そんなことは本当にどうだっていい。

あってほしいと誰かが強く願えば、それはきっとそこに生まれる。

いや、さ。

鍵なんていくらでもあるのが普通だと思うんだよ。

だってそうだろ。

自分と同じ空を見てる人間なんて、こんなにもだだっ広い世界のどこにもいやしない。

自分の全てを理解して、肯定して、受け入れてくれるような人間だなんて、そんな都合のいい相手が本当にいると思うか?

いない。

いるわけがない。

誰だって知っている。

意識的か無意識的かはさておき、何年も生きていればその程度の真理には誰だって気がつく。

自分の好きな服を、それでも嫌いだと叫ぶ人がいて。

自分の嫌いな料理を、それでも好きだと喜ぶ人がいて。

世界はどこまでも汚れきっていて、それでいて案外綺麗だったりもして。

自分には見えない何かを見ている人がいて、自分には見えるものが見えない人がいて。

こんなにも分かりやすく回り続ける世界は、だからこそ何よりも分かりにくく複雑に動いて。

無数の糸に全身を引っ張られているような気がするけれど、実はたった一本のピアノ線でしかなかったりして。

それはとても頑丈な繋がりで、でもどこか心許なくもあって。

時々不安になって自分の方から強く引いてみたりもするけれど、その強度故に人差し指を小さく切ってしまったりもして。

肌に触れた冷たさが嫌で、傷口から溢れ出た温もりが嫌で。

二度と傷つかぬようにと、何度呪ってもまるで消えやしないその糸を、傷口を、それでもどこか遠くへ消し去ってしまいたくて。

だから、鍵を作る。

誰かを傷つけるのが怖くて、誰かに傷つけられるのはもっと怖くて、だから鍵の向こうに閉じこもろうとする。

決して特別なんかじゃない。

それが普通なんだと思う。

貴方は普通だ。

 

鍵。

鍵なんていくらでも掛かってていいと思う。

しかも掛ければ掛けるほどいい。

だって、傷つかずに済むから。

別にそれでいいんだよな。

俺だって幾つも鍵を隠し持っているし、きっと誰もがそんなもんだって。

そんなに気にすることじゃない。

そのことを責める人なんていないし、そもそも鍵の存在になんて誰も気付かない。

鍵が掛かっているのかどうかってことは、外からじゃ判断できないんだよな。

鍵は見えないし、声は聞こえないし、ドアノブは金属質の冷気を閉じ込めるだけ。

嘘だと思うなら、自分の家の扉の前に立ってみろよ。

何も分からないだろ?

嘘みたいな一枚板がそこに突っ立っているだけだ。

鍵の存在なんて、鍵を掛けた自分にしかわからない。

内側に作ったんだから当たり前だ。

そのことに、しかし外側から気がつける人間がいるとすれば、それは勇気を振り絞って扉を叩いた人間だけだ。

扉を開こうとして、でも開けなくて、だから、ああ、この扉には鍵が掛かっていたのか、と解った人だけだ。

でもさ。

いないんだって、そんな奴。

だって、そういう人間の存在を否定したくて、鍵をかけたんだろ。

自分の代わりに鍵を開けてくれる救世主なんていない。

 

鍵。

そのままでいい。

自分以外の誰にも開けられないし、元より誰もそれを知らない。

自分が開けたくないのなら無理に開かなくてもいい。

開かずにいても誰も困らないし、開いたところで何も変わらない。

俺だって、その向こう側に土足で踏み込もうなんてつもりは毛頭ない。

見たいとも、知りたいとも願わない。

果たして開いたその扉を、誰も勝手に潜ろうなんて考えない。

誰もいない部屋に閉じこもっていた自分が外へ一歩踏み出すだけ。

それだけだ。

空の色も、冬の味も、街の喧騒も、誰かの笑顔も、何一つも変わりはしない。

変わるのは自分一人だけだ。

だから、鍵なんて掛かったままでいい。

開けろとは言わない。

扉の前で待つこともしない。

でも、もし開きたくなったのなら。

どうしても外の光を浴びたくなったのなら。

そのときは自分一人の力でやりきるしかない。

周りを呪っても仕方がない。

そこに鍵の存在を願ったのは自分だ。

誰も助けになんて来ない。

突き放しているんじゃない。

他の誰かにはどうしようもないことなんだ。

開きたいと願った時には、自分の両腕だけで扉を押せ。

 

 

これはエゴなんだよな。

何度でも言うけれど、俺は鍵なんて全く掛かっていていいと思う。

別に、その中を覗きたいわけじゃないんだ。

閉じこもった誰かを外へ引き摺り出したいわけでもない。

そこまで誰かのために動くことのできる人間じゃない。

そこまで誰かを動かすことのできる人間でもない。

開けろだなんて言わない。

開けてほしいわけじゃない。

だからエゴなんだよな。

そんなことは解ってる。

自分のためだけに扉を叩く。

うるさかった?

ごめんな。

 

解らないんだよ。

どこか遠くの世界を隈なく覆った空の色なんて、知る由もない。

でも、それでいいと思うんだよな。

これは本心からそう言っているのだけれど、解り合えなくていいんだよ、自分以外の他人となんて。

所詮その程度でしかない。

それ以上もそれ以下もない。

解り合えるようになんて、そもそも設計されていない。

これは絶望なんかじゃなくて、むしろ救いだ。

決して解り合えなくて、それでも解り合おうとして。

理解が得られたら喜んで、否定されたら傷ついて。

笑って、泣いて、そんなことを繰り返して。

だから、いま一緒にいられる。

一緒にいることに意味があり、価値がある。

そうは思わない?