いや、五限へ出ろよ。

 

 さっきまでSSを書いてました。ところがしかし残念ながら、二時間張り付いて200字くらいしか書けてないんですよね、これが。いや、もう何やねんって感じです。まあ平均時速が正義だとは露ほども思っていないし、速度優先で中学生みたいな文章生成しても後でCtrl+A→Deleteをするだけなので、ゆっくり書いていこうと思います。

 文章を書いていて感じることとして、当たり前の事を当たり前のように書くことができる人は本当にすごいなあということがあります。BUMPの藤原さん(詞を書いている人)なんかはそこら辺の感覚が尖りまくっていて、彼の綴る言葉は特段深いわけでも穿ったものでもなく、恋愛脳みたく上っ面だけの言語武装を重ねているわけでも全くなく、ただ当たり前のことをただ当たり前のように文字へ起こしたものなのだと僕は思っています。何て言うんですかね。気取らない強さというか、普遍性というか。ツイッターとかによくいるじゃないですか、言葉だけ達者で中身が伴っていない人間って。彼らは言葉を自在に操っている自分は他の人間よりも秀でているのだと、そのことで意識的なり無意識的なりに自身を正当化しようとしているのかもしれませんけれど、でも何度も言うように操られているのは他ならぬ彼らであって、そもそも本当に言葉を自在に扱える人間であれば言葉が自在に扱えるような代物では到底ないことくらい知っていると思うんですよねえ。まあ、なにとは言いませんけれど、最近はよくそういうことを考えます。頭だけ無駄に良くても結局何もできねえんだよな、という気持ちです。

 一ヶ月半ほど前に没にしたSSの導入シーンを供養します。いま読むと「何書いてんだ、こいつ」と自分でも思うんですが、さて、以下の文章はいったい何を表現したものでしょうか? 暇な人は是非考えてみてください。答えは文章のあと。

 

 

 小さく踏み出した右足が真下のコンクリートを叩いた瞬間、あまりにも季節外れの熱が不意に全身を満たしていった。後悔だとか未練だとか、あるいは憧憬だとか思慕だとか、そういったありきたりな言葉では到底言い表せないほどに、正負様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざりあったような、きっとそんな熱だった。爪先を伝って、深紅の潮流に乗って、心臓の奥の奥へまで還ってきたそれは、やがて私という意識を尽く焦がして一面の灰色へと塗り換える。小さく微弱な脈を打つように夜の底は曖昧に揺れて、嘘みたいな真っ暗闇が辺り一面を呑みこんだ。だんだんと遠のいてゆく光を、薄ら暗いトンネルを貫き進む電車の窓からしんと眺めている気分だった。ある日突然に世界の電源が切れてしまったとしたら、その一瞬に訪れるのは、たとえばこんな感覚なのかもしれない。

 

 

 当たり前のことを当たり前のように書くのが本当は一番難しいんですよ。焦燥感とか、頭痛とか、気温とか、空模様とか、息苦しさとか、切迫感とか、恋情、憧憬、何もかも。誰かと会うためのたった十分程度の待ち時間、たった一人だけで取り残されたような気がした夜のこと、二人きりで歩いた夜の匂い、砂利を蹴っ飛ばす音、呼吸の音、水流の音、遠くで響くタイヤが擦れる音、すれ違った人の吐いた息の色、見上げた星空の色、水平に架かった橋を照らす街灯の色、たまに吹きつける風の冷たさ、ポケットに突っ込んだ右手の温かさ、背負ったカバンの重さ、歩を進める脚の軽やかさ、わざと渡らなかった青信号にわざと渡った赤信号。取るに足らないはずの何かを拾い集めて言葉に直すのは本当に難しいと思います。言葉というものに強度という概念を定義するのであれば、僕はきっとその普遍性を以て定義するのだろうと思います。綺麗に着飾っただけの言葉なんて結局は誰の心へも届かなくて、届くわけがなくて、誰もが知らないような、それでいて誰もが知っているような、そういったことを表現した文章こそが本当に価値のあるものだろうと、僕はそう思います。

 さっきの文章を要約すると「久しぶりに思い出の場所へ来たらあまりにも懐かしすぎて立ち眩みを起こしたような錯覚に陥った」です。よろしくお願いします。

 

 ところで話は変わるんですが、『Ctrl+A→Delete』ってめちゃくちゃかっこよくないですか? 曲名とかに使いたいな。