好き嫌い

 

 自分が本当に好きなものについて熱心に語る人の話が、あるいはその文章が僕は大好きだ。その想いを僕自身も共有できるとは必ずしも限らないわけだけれど、その人がこれまでに注いできたのであろう情熱に宿る暴力的なまでの温かさに触れるだけで、自分の奥底をどんよりと澱んでいた何かが緩やかに浄化されていくのが感じられる。もちろん最低限の線引きは存在するけれど、しかし、それが何であれ、真正面から正々堂々とぶつかっていくことのできる人は凄い。そういう人や意思の存在が少しでも感じられたのなら、それだけで僕は幸せな気分になれる。

 

 この世界は何を取っても嘘だらけだという観念が、幼い頃からずっと自分の内側を深く満たしていた。母親は受話器を取った瞬間に声の調子がくるりと変わったし、父親は他人に厳しい割に自分には甘い人間だったし、祖母は両親の前でだけ良い人ぶって実際には性根の腐りきった人間だったし、姉は都合のいいようにばかり立ち回っていたし、同級生たちは上辺だけを綺麗に取り繕って裏では教師の陰口ばかりを叩いていたし、ゴミを道路へ棄てるなという簡単なルールはその実まったく守られていないし、どころか規則を破った奴は偉いという意味不明な風潮すら蔓延っていたし、人は人を平気で裏切るし、人は人を平気で騙す。一方的な好きだ嫌いだで周囲の人間関係をめちゃくちゃにして、好きだと言った相手のことを数日後には呪い、嫌いだと言った相手のことを数日後には褒めたたえる。あいつは嫌い。あの子は好き。本当はどうでもいいけれど、でもあいつは頭が良いから多少利用できる。嘘ばっかり。

 この手のエピソードは腐るほどある。自分の人格形成に関与しているに違いないと確信している出来事。あれはたしか小学生以前のことだったと思うのだけれど、しかし今でもはっきりと覚えている。うちの母親は毎年お正月になると黒豆を作るのだが、その年は多めに作り過ぎたのか何だったか、祖母の家へお裾分けすることになったのだった。祖母の家は比較的近いので車で行ける。僕はその日父親と二人で祖母の家へ行き、従兄弟たちと数日間を其処で過ごした。祖母は父親の持ってきた瓶を当然ながら感謝を交えつつ受け取ったわけだけれど、その数日間のどこかでこんなことを言っていた。「こんなに持ってこられても要らんねんなあ」と、こんなことは口が裂けても言えないから代わりにまだ幼かった僕に当てつけてやろうと、そんな薄汚い魂胆が見え透いた口調でそう言った。数日後、帰宅した僕はその事実を全くそのままに母親へ告げた。いまの自分なら絶対に黙っておくけれど、しかし当時の僕はそうしなかった。結果、母親は泣いた。その晩はずっと泣いていたと思う。それを見て僕は、取り返しのつかないことをしてしまった、と今更のように後悔した。

 これも小学生くらいの頃の事で、しかも祖母の家での話。そのときは従兄弟やその両親などの親族が一堂に会していた。理由は覚えていない。何かの記念日だったのだろう。その手の会合というやつは子どもにとって往々にして退屈、というか窮屈極まりないものであり、実際、僕も従兄弟も例に漏れず退屈で、外へ遊びに出たのだった。祖母の家はマンションの二階の角部屋だった。どういう経緯だったのかは本当に微塵ほども記憶にないのだけれど、隣にいた従兄弟が何を思ったのかいきなり植木鉢を柵の向こうの地上へ落としたのだ。隣の住人の玄関にあった植木鉢を、だ。その後どうなったのかは恐らくご想像通りで、当然家族会議が行われた。この場合は親族会議と言った方が適切かもしれないけれど、ともかくその場に立ちあわせた僕らを糾弾するための場が設けられた。そこで従兄弟が言った言葉だ。今でも忘れない。「こいつもやった」。そもそもその場に居合わせたのは僕と従兄弟の二人だけだった。僕は一心に否定を重ねたけれど、当時の親族たちとっては僕が嘘を吐いているだけのように見えて仕方なかったのだろう。散々な言葉を浴びせられた。嘘つきは泥棒の始まりだの、さっさと認めろだの、挙句の果てには従兄弟の方が可哀想だとか何だとか。ウケるよな、マジで。

 幼い頃から、親には「平気で人に嘘を吐くような人間にはなるな」と強く言われていた。実際、当時の僕は大なり小なりその言葉に影響を受け、嘘を吐いたことがないなんてことは天地がひっくり返っても言えないほど数多くの嘘を吐いたけれど、でもなるべく誠実であろうとはしていたつもりだった。祖母の言葉を母親に知らせたのだって、実際に祖母がそう言っていたから、という理由でしかなかった。それで? その結果があれだぜ。嘘を吐き続けた従兄弟は全員から同情を受けたってのにな。それからもうずっとだよ。もうずっと建前と本音ってやつが嫌いで嫌いで仕方ないんだわ。本当に、心底嫌い。社交辞令とかな。滅べよ、マジで。それほどまでに目に映るものの何もかもが嘘なのだとしたら、一体じゃあどれが本物なんだ。あいつは好き。あいつは嫌い。嘘ばっかり。口先だけでさ。終わってるよな、こんな世界。終わりきってんだよ。分かるだろ?

  

 本物ばかりを探している。この話は何度も書いていることだけれど、でも、この先も何度だって繰り返し書くだろうと思う。本物だけを探している。誰かと話すことが好きなのは、その人間が胸の奥のさらに奥に隠している刃に一瞬でも触れられるような気がするから。椎茸殲滅が好きだったのは、あんなにも無意味なことに時間を注げる人間の存在が嬉しかったから。冒頭で話していた、自分が本気で好きなものについて熱心で語る人の話が好きということにしても、そこに全くの純粋な温度を感じることができるから、だから好きなんだ。この世界は嘘ばかりで、どうしようもなく偽物で、救いようがなくて、だけどそれでも、限りなく本物に近い何かだって探せば何処かにはある。そう思わせてくれる。

 子どもっぽいなあとは思うけどさ、でもこういう自分らしさみたいなものを無くさないままで大人になりたいと願う今日この頃。

 

 

・補足

 下の記事がめちゃくちゃに良かったので勝手に宣伝をします。僕はこういう文章が大好きです。

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