シグナス

  

 十年以上前のこと、僕が小学生あるいはそれよりも幼かった頃の話だ。当時の自分が何を考えながら生きていたかなんて僕はこれっぽっちも思い出せやしないけれど、それでも、何を眺めながら生きていたかくらいなら多少は想像ができる。といっても、結局は完全な憶測であり、推測であり、つまりは当てずっぽうであり、取ってつけた都合のいい物語なのだけれど、恥を忍んで書き起こすとするならば、当時の僕はきっと遠くの空に浮ぶ星だけを眺めていたのだと思う。無駄に大きくて、やけに煌々としていて、笑ってしまうほどにチープで、誰からしても馬鹿らしくて、なのにどこまでも真っ直ぐな、そんな星のことだけをきっと真夜中の光に描いていた。いつの日か手が届けばいいと思っていたし、一方でそれが永遠に叶わないことも知っていた。だから、あの星はいつかの憧憬ではあったけれど、だけど未来ではなかった。本気で追いかけようだなんて微塵も思っちゃいなかった。だって、あの遠くに見える真っ赤な星は幼い僕が勝手に描いただけの架空の星なのだから、だから遠くの空にふわふわと浮かんでいるだけでよかったんだ。

 

 寂しかった。認められたかった。居場所が欲しかった。いったいどこで間違えたのかと、何度だって考えた。理由を見つけたかった。自分が決して其処にいられない理由。自分がいま此処にいなくてはならない理由。自分がそれに選ばれた理由。自分がそれに選ばれなかった理由。何でもいい。納得なんて出来なくて構わない。高尚な理屈を求めていたわけじゃない。ただ自分の存在を簡潔に説明できる言葉があればそれでよかった。たった一文でもあればよかった。だけど、そんなものはどこにもない。考えても考えても見つからない。見つかるはずがない。ただ一通りの答えだなんて分かりやすい結論は、そもそも用意されてすらいない。なあ、こんなことが許されるのか? 誰かが仕組んだわけじゃないっていうんなら、どうしていま自分は此処にいるんだ? どうしていまの自分はこんななんだ? 何かを選んだ? 何も選んでいない。何かを棄てた? 何も棄てていない。何かした? 何もしていない。ただずっと歩いてきただけだ。歩かされていただけだ。たったそれだけのことなのに、どうしてこの眼に映る世界はこんなにも白く濁っている? どうして僕自身はこんなにも黒く濁っている? 真っ直ぐに敷かれたはずのレールの、いったいどこで間違えたっていうんだよ? 僕は駄目で、アイツは良くて、彼は嫌われて、彼女は好かれて、その間に在る違いはいったい何なんだよ? 誰でもいいから説明してくれよ。それすらも教えてもらえないっていうんなら、この先も歩いてゆくことに何の意味があるって言うんだ。

 

 一人で眺める夜空はやっぱり物寂しい。あの夜、手を高く伸ばした真っ赤な星は、そんな僕が生み出した一つの幻だった。自分の居場所なんてどこにもないと思っていた僕が、それでも其処に立っていることの建前ほしさに吐いた嘘だった。だからいまとなっては、あんなにも広い夜空の隅っこにさえ見えやしない。それでいい。だって、いまの僕には全く違う星が見えているから。それはやっぱり無意味に大きくて、鬱陶しいくらいに眩しくて、紛い物の宝石みたくチープで、誰かにとっては馬鹿らしくて、それでもいまの僕にとっては何よりも大切なもので、いつかのそれとは全く正反対の青い星だ。視界に映り込んだ瞬間に、この手で触れてみたいと強く感じた。遠くで浮かんでいればそれでいいだなんて、そんなことはとてもじゃないが思えなくなった。誰にも奪われないうちに自分で奪ってしまおうなんてことを考えた。それほどまでに、あの青色は僕の心を惹きつけたんだ。だから、真逆なんだ。あの赤い星は未来ではなかったのだから、だから、きっとこの青い星こそが僕の未来だ。

 なあ、その青色を僕に見せてくれたのはいったい誰だと思う?

 見え透いた偽りだったとしても、一瞬限りの嘘だったとしても、この夜空の色を僕に教えてくれた。それはいったい誰だと思う?

 気づいてないんだぜ、きっと。