イツハの冒険

 

・前日談

kazuha1221.hatenablog.com

ところで、前日談という言葉は元々あった後日談に対応して作られた造語だという話を聞いたことがある。本当なのかどうかは全く知らないのだけれど、もしそれが事実なら不思議なことだなあと思う。というのも、プロローグというやつはエピローグと同等以上に大切なものじゃないかと僕は思うからだ。まあ恐らくは他にそれを指す言葉があったというだけの話なのだろうから、この指摘は全くの的外れに違いないのだけれど。

上のリンク先で「高校生の頃~」から始まる段落に書いた話が今回の前日談にあたる。前日談というよりは、伏線というか、あるいは因果律のような何かだ。ざっと要約すると、高二のある日、僕は道に迷った。そして山奥の駅に辿りついた。たったそれだけ。たったそれだけのことで、でもたったそれだけじゃないことらしかった。

ちなみに、これが当時のツイート。

馬鹿がよ。

今日、ふと思い立って四年前の自分がやったことをなぞりたくなった僕は、しかし自転車は京都の下宿に置いてあるので、徒歩でそれを実行することにしたのだった。目的地も其処までの経路も、あえて調べずに行くことにした。いま思えば馬鹿だと思う。馬鹿は死ななきゃ治らない。

写真をいくつか撮ったので、説明を添えつつ時系列順に貼っていく。今回の記事はそのためだけのものなので、いつもみたく気取った文章は書かないつもり。

 

 

・初めから終わりまで

14時50分頃、家を出た。出たはいいものの何処へ行けばいいかが全く分からない。僕の目指すべき場所は一体どこなんだ? 強いて言うとしたら、記憶の中のそれは南東に建っているという情報たったそれだけが手元にある。そこから考えるしかない。数秒ほどそうしていると、四年前の自分はたしか母校である中学校の東側を通って行ったような気がしてきた。だから、とりあえずは中学校を目指すことにした。

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中学校を出てすぐ東に見える風景。田舎。

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そのときの空。太陽がちょうど雲に隠れていて綺麗だった。

 

中学からさらに南へ歩くと、こんな景色に出くわす。

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山の斜面に並んだ家屋がめちゃくちゃ良いんだよね。実はこのすぐ右側には古墳がある。そのときの空がこれ。

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めっちゃ綺麗。

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せっかくなので古墳に立ち寄ってみた。埴輪みたいな土器みたいな何かが写っているけれど、これがずらっと並べられている。

 

古墳を出てさらに南へ進んでいった。しかし、途中で平坦な道に飽きてしまって山の方へと爪先の向きを変えた。しばらく登っていると、めちゃくちゃ綺麗な空に遭遇した。

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ヤバくね?

 

まだまだ登る。後になってこの上昇は全くの無意味だったことが判明するのだけれど、このときの僕はそれを知らず、とりあえず上に行けばええやろという安直な思考に基づきただ上を目指した。馬鹿と煙は何とやらというやつに違いなかった。もちろん僕は煙じゃない。

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途中でいくつか見かけたので写真を撮った。どうやら史跡の道という名前がついているらしい。

 

かなり登った。これ以上上へ行くと民家が消失し、流石にやべえなと今更のように思い至った僕は、そこで再び南へと歩を進めることにした。そのとき西側に見えた空。

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稲荷大社へ行った時もそうだったけれど、高所からは地上を照らす太陽光がはっきりと見て取れる。

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これは南へ進む途中で出くわした風景。やばい。語彙を失った。ヤバくないか、これ? 「上り坂」、「下り坂」、「フェンス」、「青空」、「雲」、「橙」、「電線」、「無人」。僕の好きな要素がこれでもかと詰まっている。本日最大のエモ。

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そこからさらにもう少し進んだところ。異世界にでも来てしまった気分だった。どこだよここ。本当に俺の地元か?

 

しかし、今日の目的は「いつかに出会った山奥の駅」へ辿りつくことだ。どこだよここと思いながらも、頑なに文明の利器には頼ろうとせず、ふらふらと歩き続けるとしばらくして分かれ道に直面した。その傍にはこんな看板が設置されていた。

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服部川駅」と書かれている。これが僕の探している駅なのかは定かでないけれど、しかし、たった一つでも駅に出られればあとは線路沿いに進めばいいだけだし、この案内に沿って次の進路を決めた。

 

登ったり下りたりしつつさらに南へ歩いて行くと、いよいよそれ以上は進めなくなってしまった。具体的には「山を登る」か「山を下りる」の二択、つまり東と西にしか道が伸びておらず、南へはどうやら行けそうにないという場所に出た。

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これは真南を向いて撮った写真だ。いや。マジで異世界への入り口かと思ったわ。やべえだろこれ。ここだけ空気が違う。東の方を見ると明らかに行き止まりっぽかった(電柱がなく道が細かった)ので、素直に下へ降りればよかったのだけれど、とりあえず中へ入ってみた。もしかしたら通り抜けられるかなと期待しての行動だったのだけれど、侵入するや否や現れた謎の中年男性に「この先は危ないから入れないよ」と、RPGでテンプレ的に用いられる忠告を受けた僕は、結局すごすごと立ち去るしかなかった。ちらと見ると「イノブタ注意!」と書かれた何かが貼りつけられていた。なるほど。それはたしかに危険だ。

 

位置エネルギーが下がっていくなあなんてことを考えながら、足を痛めつつ坂道を下っていくと、南へ進むことのできる道に出られた。そこを直進していくとまたも分かれ道があって、その片方の先にはこんな場所があった。

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これまた異世界感があってふと写真を撮ってしまったのだけれど、何だかこの風景には気味が悪いほどの既視感があった。帰りの電車で調べてみると、やっぱり四年前にも来ていたらしかった。

当時のツイート。その直後に、こいつはこんなことを吐かしている 。

馬鹿がよ。

 

もう片方の道は下りだった。それをずっと進んでゆくと、いよいよあいつが見えるポイントに差し掛かった。

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踏切だ。この瞬間の僕が如何ほどのテンションだったか、想像がつくだろうか。そりゃもうヤバかった。小さかった頃の自分はキラキラしたものが大好きで、そういうものを見つけるとよく拾って帰ったりしていたのだけれど、まさしくそんな感じの気持ちだった。飛び跳ねたよね。やべえ。

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テンション上がり過ぎて、近づいてからもう一枚撮った。こんなところに踏切があるの、意味不明過ぎて面白いんだよな。山奥だぜ?

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普段なら絶対にしないけれど、電車の気配が全くないので踏切の上から線路を写真に写してみた。これは北側に伸びた線路。

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で、これが南側。先の方に小さな橋が架かっているのが分かるかと思う。あの場所だけは家を出た瞬間にも、いやきっと四年前の日からずっと忘れないで覚えていた。四年前の自分は間違いなくここへ訪れた。真下を通り過ぎてゆく電車を、たしかにあの上から撮ったんだ。

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その橋まで歩いた。直線的には動けず少しだけ回り道をする必要があったけれど、何のことはなかった。あの場所にもう一度立ってみたいとしか考えていなかった。目的地へ近づくにつれて、茫洋とした記憶の海が縁どられていく感覚を覚えた。

 

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あの橋の向こうからその先へは進めないことを覚えていた。この先へ行くには線路沿いの細道を歩いていかなくてはならないのだ。

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着いたのは「信貴山口駅」だった。近鉄の路線だったのかと思った。四年前、たしかにここへやってきたけれど、でも僕の目的地はここじゃなかった。あの日の自分が対面したのはもっとちっぽけで古ぼけた駅だったはずだ。

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これはその駅で撮った料金案内が添えられた路線図。僕の最寄駅からたったの四百円足らずでここまで来られるのだという事実に、何だか笑ってしまった。当時高校生だった自分にとっては、地図もなしに徒歩でここまでやってきた自分にとっては、この駅は日常から途方もないほどに遠く離れた異質な空間なのだけれど、しかし、現実はどこまでも淡々としていて、どこまでもつまらなかった。

でも、悪いことだけでもなかった。この路線図で見るべき点はもう一つあって、それはこの駅からたった一駅だけ挟んだところに「河内山本駅」が記されていることだ。地元の人なら知っていることなのだけれど、河内山本駅はここ周辺の駅にしては規模が大きめなのだ。それはつまり多くの人が使うということで、要するにこの山をすっかり下りきったところに建っている駅ということなのだ。だから、この瞬間に、僕が目指すべき場所は一体どこなのかという冒頭の問に対する答えが与えられたということになる。僕の記憶に合致する目的地はたった一つしかない。それは「服部川駅」だ。

 

そうと知った僕は、来た道を戻り線路沿いに逆行していった。辺りは静かで、でも、あるとき、地響きにも似た轟音が周囲を埋め尽くした。

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飛行機だ。高地に立っているせいか、普段よりもかなり近くに感じた。その音が大きかったのは、山を覆った静寂のためだけではなかったらしい。

上の写真を撮った直後のことだった。

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服部川駅」があった。空は馬鹿の一つ覚えみたいに晴れていた。飛行機はまだ其処にいた。周囲の風景はなんだか記憶と違っていた。それは僕の記憶力の問題か、あるいは建て替えが進んだか、そのどちらかなのだけれど、しかし間違いなく前者なのだ。記憶というのは大体が自分にとって都合のいいように書き換えられていくからだ。

これが当時のツイート。四年前、偶然ここへやってきた自分は、四年も経った後になってここまでわざわざ歩いてやってくることになるとは思ってもいまい。どうしてこんなにもありふれた駅のことを、それでも僕はずっと覚えていたのだろう? 少し不思議だ。

これはどうでもいいことなのだけれど、ツイートを遡ってみた限りでは、四年前の自分は「服部川駅」→「信貴山口駅」という順で進んでいったらしい。彼がいったいどういう経路を辿って其処まで至ったのかは分からないけれど、多分、今日の自分みたく唐突に山へ登ったりはしなかったのだろう。四年前は自転車での挑戦だったのだし、冷静に考えてみればそれは至極当然のことに思える。自転車で山道を登ろうとする馬鹿はいない。

あと、帰りは流石に電車に乗った。足が疲れていたから。帰りの電車には、何故か僕の乗った車両にだけ誰もいなかった。いい気分だった。

 

 

・まとめ

以上が、今日の僕が過ごした午後だ。久しぶりにこういう時間の使い方をした。楽しかった。子どもじみた感想しか出てこないけれど、それもそのはずで、今日一日の僕は間違いなくただの子どもでしかなかった。二十歳にもなって、と思う自分は否定できないけれど、しかし、ニ十歳になった今にこそ、という気もする。前だけを向いて歩くのはどうしてもやっぱり疲れてしまうから、たまには後ろを振り返って、現在の自分へまで繋がっている何かを拾いなおしてみるのもいいと思う。それはきっと無駄なことなんかじゃないはずだ。

この記事の最後は彼の言葉で締めくくろうと思う。こんな記事をここまで読んでくれた人がもしいたのなら、ありがとうという気持ちでしかない。

では。