「あの日殺した少女はきっと」についての話

 

 こういうことはあまり言うべきではないのだろうと思うのですが、そうは言っても、かれこれ一年近くも前の作品だし、それについ昨日に行われた文章ゼミ「910文章うまうまフィッシュライフ」にて少しだけですが話をしてしまったので、もういっそのこと全部吐き出すことにします。

 僕はこれを比喩の話だと思っていましたが、はんなり豆腐曰くシンボルの話らしいです。シンボルというか、テーマというか、作品全体に一貫した血液のようなものについての話らしいです。作品にとってどうでもいい比喩とどうでもよくない比喩があって、僕がこれから話すのは、つまり後者についてのものです。

 可能であれば、以下の作品を参照しながら読み進めてください。ちょうど一年前くらいに書き出して一ヶ月後の十一月中旬に完成したやつです。えらく昔のことのように感じられますが、間違いなく僕の断片なのです。

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 本作のテーマは一文目に示している通り「大人になるとは何か」です。大学へ入ってから周囲の環境が一変し、そのせいか、さながら重力のごとく当時の自分を押さえつけていた問いの一つです。でもまあいくら考えたところで、それらしい答えは得られませんでした。それから八ヶ月ほど経って、僕はようやく自分なりの結論を手にしたわけなのですけれど、そして『夜明け色の空を探して』に繋がるわけですけれど、それはまた別の話です。

 そもそもどうしてこういう話を書こうと思ったのか、というアレがあります。いやまあ、たしかに当時ずっと考えていたとは言いましたけれど、それでもいきなりこんな暗い話を書こうと思ったわけではないです。ジュリちはが書きたかったんです。当時、とてもいいジュリちはを読んだ僕はそんなことを思っていました。『ギター少女と夢見る歌姫』という作品(頒布とSS投稿とで作品名が変わるパターン)です。最初は綺麗なジュリちはを書こうと思っていたんです。本当です。よもや一年も経ってから掘り返すことになるとは思ってもいませんでしたが、その証拠にこの作品を最初に書き出した時の前半数行を切り出してみます。

 

慣れないことはするもんじゃない。

あたしはこの言葉が嫌いだ。

だって、慣れたことばかりの毎日なんてつまらないじゃないか。慣れに溺れるくらいなら、いつだって新しいことに挑戦していきたい。少なくとも、あたしはそんな人生の方がきっと楽しいと思うんだ。

大人からすると、こんな考えは子供っぽいと映るのだろうか。

それでも、この考えを曲げる気はない。だから、あたしの信条をあえて言葉にするなら、むしろ『慣れたことはするもんじゃない』になるのかな。少し意味合いは変わるけど、先の言葉との対比だからいいだろう。

 

 いや、何がどうなったらこの書き出しがあれになるんだよ(文章の拙さについては目を瞑ってください。本当に勢いで書き始めた当時のもので推敲も何もしていないままなので)。

 多分当時の僕は、保身的というか現実的というか、そういう世界にうんざりしていたんだと思います。あるいは飽きていたんです。まあ何だっていいのですけれど、ともかくそういったイメージが先行していました。語り手としてジュリアが選ばれたのは、僕の中を漠然と漂っている不満のような何かに最も近しいキャラクターだと感じたからです。別にジュリアの話が書きたかったわけじゃありません。あとがきでも書きましたが(これは会誌を持っていないと分からない)、だから、ジュリアPの人は僕を見かけたら殴っていただいても構いません。嘘です。

 

 以上が前置きです。つまり言い訳です。以下、本題。

 

 この作品を書くにあたって考えていたことを、あるいは文章に込めた何かしらをとりあえず思い出していこうとしたのですが、フォルダを開くと当時の自分のメモがあったので、それを適当に張り付けていくことにします。以下に出てくる下線の引かれた文章は2017/11/21の僕が書いたテキスト(原文ママ)です。全部で六つあります。

 そうは言っても、いきなり本題から入ると何が何やらとなるでしょうから、先に簡単にまとめておきます。

 この作品、前半部は千早とジュリアの出会いの経緯、舞台設定なんかをつらつらと書いているのですが、本当に書きたかったのは後半部分、カフェでの会話シーンです。そこでは色々なものが出てきます。「カフェ」、「コーヒー」、「砂糖」、「白く曇った硝子」、「向こう側の世界」、「傘を差しながら街を行き交う人」、「雪」、「真っ黒な街」。こいつらをどういう意図で書いていたのか、ということを以下で説明していきます。これがシンボルの話です。

 

 そもそも、この作品のテーマは先述の通り「大人になるとは何か」ですから、作中では明確な対比構造があります。それは『子ども』対【大人】の図です(以下では、『子ども』側の要素を『』で、【大人】側の要素を【】で囲んで記します)。最も分かりやすいものだと、『ジュリア』と【千早】の対比です。

 

・メモ1

・コーヒー

ジュリアは飲めない。千早は飲める。

コーヒーといえば苦い。子供は飲めないし、大人は飲める(あくまで世間一般的に)。

これを本文中で現実のメタファーとして使う。

ジュリアは現実を受け入れたくない夢見がちな少女として、千早は夢が見られない現実志向の少女として書く。

 

 メタファーという用語はもしかすると正しくないかもしれません。よく分かってないのに調子乗って使ってるだけです。無視してください。比喩というかシンボライズというか、要するにこれが象徴の話です。『コーヒーが飲めない』と【コーヒーが飲める】の対比です。これは僕の勝手なイメージですけれど、でも、よく言われることでしょう。僕は当時コーヒーが飲めませんでしたし、いまも飲めません。

 

・メモ2

カフェへ行けば大体コーヒーが置いてあるが、そもそもジュリアはコーヒーの味を知らない。

メタファーとして対応させれば、ジュリアは現実の苦さを知らない。夢ばかり見てきたから。

千早はコーヒーの味を、つまり現実を知っている。

ジュリアは子供で、千早は大人。

 

 二文目の通り『夢』と【現実】の対比があります(これは作品冒頭で示唆しています)。『子ども』にとっては苦すぎてとても飲み込めない【コーヒー】を、【現実】と対応させています。苦い現実ってたまに聞くじゃないですか。あれです。また、途中で【コーヒー】のことを「冷めた苦味」と表現している箇所がありますが、これは【現実】(=【コーヒー】)は【冷めた】ものだというイメージから来ています。

 

・メモ3

コーヒーを甘くする砂糖やミルクは白い。

そういえば英語では『罪のない嘘』を『white lie』という。

だから苦味を緩和するそれらは、現実を甘くするための嘘のメタファーに使えないか?

雪も白いからそれもメタファーにできるね。

 

 『夢』と【現実】で、【現実】に【コーヒー】を対応させたなら、『夢』に対応し、かつ【コーヒー】と対になるような何かがないとダメだなと思ったのであろう当時の僕は、『砂糖』と【コーヒー】の対比を考えたらしいです。さらにそのあとで『白』と【黒】の対比に持っていっています。罪のない嘘とはつまり『夢』のことで、だから『白』が子ども側の要素になります。連想ゲームだと思うんですよ、こういうのって。まあ、そうでなくとも、黒と白の二色を並べられて、どちらがより大人っぽいか、あるいは子供っぽいか、と問えば、152.7°くらい斜に構えている人でもいない限りは、百人中百人が僕と同じ風に考えると思います。『砂糖』と『ミルク』の二択で『砂糖』を選んだ(作中でジュリアは『ミルク』の使用を拒絶している)のは、後半で出てくる『雪』のイメージにつなげたかったからです(作中では『砂糖』に対して「粉雪のよう」という喩えを当ててみたりして、微妙に示唆したつもりでした)。

 ついでに補足しておくと、その喩えを使った直後に【コーヒー】を「底の見えない黒」と描写して【黒】を回収しています(またこれは最後のシーンの喩えにもつながっています)。

 

・メモ4

ジュリアがコーヒーを飲み干すということは、現実を受け入れたということ。

ジュリアは、バンドとして一から成功を掴む『夢』と、

バンドを抜けて事務所のスカウトを受ける『現実』の二者を天秤にかけ、最終的に後者を選ぶ。

 

 勢いで頼んでしまったコーヒーをジュリアが飲み干すシーンがあります。直後の千早のセリフにもあるように、ジュリアは既に現実を選ぶことに決めていたので、割と早い段階で飲み切っています。『ジュリア』が【コーヒー】を飲み切ることが、ジュリアが『子ども』側から【大人】側へ動いているという暗示のつもりでした。やっぱり比喩の話ではないですね、これ。作品のテーマをどう表現するかみたいな話っぽいです。

 

・メモ5

『曇りガラス』→「ルビーの指輪」:『「つまらない現実」と「幸せの象徴の街」の境』

 

 「絶対に気づかれないんだろうなあ」と思いつつも、当時の自分が「上手くまとまった」と(実際上手いかは別の話として)ニヤニヤしながら書いたのが、カフェでのやり取りを終えてジュリアが窓の外を眺めるシーンでした。そこで最初に出てくるのが「白く曇った硝子」です。これは寺尾聰さんの「ルビーの指環」という楽曲の歌詞で用いられている比喩です。そこでは「硝子」を『夢』と【現実】を遮るファクターとして描いていて、僕もまたそれに則りました。「白く曇った硝子」が何故白く曇っているのかというと、まあ室内の方が高温だからなのですけれど、わざわざ『白く』と言っているのはつまりそういう意図で、『カフェ』が子ども側の要素で、一方の【向こう側の世界】が大人側の要素になっています。で、ジュリアはその『白』を振り払うわけですよね。これも暗示です。

 ちなみにですけれど、何故いきなり「ルビーの指環」なんて曲を持ってきたのか、と思われている可能性があるので、そこを説明しておきます。これは僕が寺尾聰さんのオタクだからというわけでも、80年代初期のサウンドが好きだからというわけでもなく、強いて言うなら僕がミリオンライブのオタクだからです。ミリのオタクの人は「曇った硝子」って言葉に見覚えがあったりしませんか? 答えをバラしてしまうと、楽曲「瑠璃色金魚と花菖蒲」一番サビ(ミリシタだとバースト直前)の歌詞に「曇った硝子を溶かすほどの秘密 もしかして私 持ってますか」というフレーズがあります。僕が最初に「曇った硝子」という言葉を見たのはここで、その(多少説得力がありそうな)意味を知ったのはこのサイトでの考察を読んだときのことでした。以来、絶対にどこかで使ってやろうという気持ちだったのですが、いよいよここで使ったという次第です。アンテナ、大事ですよ。ちなみに上で知ったような顔で話していた比喩は、ほとんどこの考察サイトからの引用です。ごめんなさい。ぶたないで。

 

・メモ6

雪:綺麗。白い。降ると辺り一面を白に染めるもの。

↑↓

街:別に汚いわけでも、黒いわけでもない。

人々(特に大人、街は人が構成するものなので)

:現実を生きる大人たち。夢が見えない。

 

街に雪が降る。≒人々に雪が降る。

人々はそれを見上げない。:夢を持っていない(夢は見上げるものなので(一般的に))。

街には何の感情もない。≒人々には何の感情もない。:「夢」への関心がない。

 

 最後、ジュリアが窓の外を眺めるシーンは『雪』と【街】の対比になっています。ここら辺になってくると、いよいよやけくそというか破れかぶれというか、どうにでもなれという気持ちで書いています。今までの対比にある程度気づいていないと意味不明な文章の羅列になっているかと思います。僕はこういうことをよくやります。そういう人間です。

 【街を行き交う人々】が傘を差しているのはそういう意味です。

 「降りゆく白は積もることもなく、真っ黒な街に呑まれてゆく」って文章、言っているのは「都会に降る雪は大体の場合、積もらずすぐに蒸発して消える」ってことなんですが、ここまでの対比が見えていれば全く違って見えるかと思います。ぱっと見は『雪』と【街】、あるいは『白』と【黒】の対比ですけれど、本当は『夢』と【現実】の対比です。どんな『夢』も【現実】に呑まれてしまうということが書きたかったんです、本当は。ちなみに、前の方で微妙に仄めかしましたが、この文章は『砂糖』と【コーヒー】の対比を引き摺っています(コーヒーに砂糖を入れると、積もったままにはならず液中へ沈んでゆく)。

 『雪』を「無垢な色」と表現したりしていますが、これは『子ども』のイメージがあるからです。

 最後に、「それがきっと現実だ」という言葉を置いておいて「街って実は現実のことなんだぜ」とアピールしたつもりになってました。多分誰にも伝わっていないと思いますけれど、所詮は自己満足なのでそれでいいのです。

 

 

 メモはこれで終わりなので、大体これで話はし尽くしたということになります。まあ、まだ紹介していないところ(たとえば前半部)もあるんですが、全部言ってもなあという気がしますし、既に5,000字を超えているし、いい加減にお腹が減ったんでここら辺で筆を止めておきます。

 いまのところ、文章ゼミ「910文章うまうまフィッシュライフ」において、こんな話はほとんどしていません(これはどちらかというと「応用編」なので)。でも、ゆくゆくはこんな話ができたらいいなあ、という気持ちを少なくとも僕は持っています。その人はどんな想いを込めてその一文を書いたのか、みたいな話です。無意味な文章もそりゃあるとは思いますけれど、同じくらい有意な文章もあるはずで、しかし一読者に読み解ける範囲って限られているんですよ。どうせなら知り尽くしたいという強欲が僕の中にはあるので、作者の人さえよければどこかで話してほしいなあ、なんて思っています。奥ゆかしさとかいうやつは邪魔なので、さっさと燃えるゴミに出してしまいましょう。

 上で書いた『』と【】の対応をまとめておきます。

 

・対応

『子ども』と【大人】

『ジュリア』と【千早】

『コーヒーが飲める』と【コーヒーが飲めない】

『夢』と【現実】

『砂糖』と【コーヒー】

『白』と【黒】

『カフェ』と【向こう側の世界】

『雪』と【街】

 

 これはどうでもいいのですけれど、僕はどうやら「雪」という言葉に対して「子ども」のイメージを持っているっぽくて、なおしほで書いた「白い雪に舞う青色は」とかがモロにそうです。あれも最後の場面で、それまでの流れを(作者と同レベルで)掴んでいないと意味不明な文章の羅列をやってしまっている(しかも、あれでも傘を持っていたりいなかったりの話をしている。被ってんじゃねえかよ)ので、あっちの話もいつかできたらいいな、とふと思いました。それだけです。

 最後に。

 #910文章うまうまフィッシュライフ をよろしく。