公園、空、少女の影。2

 

 僕と彼女の関係はとても曖昧で、ちぐはぐだ。道理や法則といった、現象の行間を補うための論理的な解釈は、しかし何一つもありはしなくて、それに比べれば、その辺りに浮かんでいる酸素分子の方がまだ幾分か説明しやすい。高校化学で習うことだけれど、酸素原子は不対電子と呼ばれる不安定要素を持っているため、それ単体では存在し得ない。だから、彼らが存在するためには自身の欠落を埋めてくれる対が必要不可欠であり、それ故に酸素分子は酸素分子として存在している。彼らはいかにもロジカルで、理に適っている。一方の僕らはといえば、どこまでもいっても非論理的だ。理に適っていない。それについて彼女がどう思っているのかは分からないけれど、もしかすると何とも思っていないかもしれないけれど、少なくとも僕に関して言うならば、わざわざ彼女に会いに行っていることの最たる理由は、彼女がいつも其処にいるから、なのだ。つまり、僕と彼女を繋いでいるのは、あの公園という閉じた空間(ちなみに僕はあの公園の名前を知らない。少し調べれば分かるだろうけれど、そもそも名前なんてあるのだろうか?)、彼女が其処にいるという絶対的な事実、その二つくらいのもので、あとには万有引力のような自然法則しか残らない。僕は彼女のことを何も知らないし、彼女だって僕のことを何も知らない。僕らは、お互いが其処にいるという理由だけで関わり合っている。だから、この関係は、高度八千メートルに漂う大気なんかよりもずっと希薄で、それなのに――いや、だからこそ、きっとこの世界の何物よりも穏やかで、こんなにも心地よいのだろう。

 自分の記憶がぎっしり詰まっているような箪笥があったとして、彼女について考えようと引き出しを開けてみると、どうしても一緒になって開いてしまうような引き出しがいくつかある。たとえば、僕は彼女を思い出すときに一つのサッカーボールを思い描く。それは僕が初めて彼女の姿を見たときに抱いた印象だ。あるいは、土砂降りの雨を思い描く。それは僕が初めて彼女と接触した日の空模様だ。そして、灰色の空を思い描く。空は彼女がいつもそれを見上げているからであり、灰色はきっと彼女が纏っている窒息してしまいそうなほどの閉塞感によるのだろう。そんな風にして、彼女の存在に付随する因子を色々と取り出してみると、僕の中における彼女の像は、どうやら空というたった一つのファクターに集約されてしまうようだった。虚空、空虚、あるいは虚無――空っぽで、虚ろで、何も無い。在るのは、かつて其処に何かが在ったというどうしようもない喪失感だけ――それが僕の目に映りこむ彼女の全てだった。

 ソラ。僕は彼女のことを内心ではそう呼んでいる。名前なんて必要なかったのかもしれないけれど、しかし、彼女だとか少女だとか、曖昧で誰でもない言葉ではなくて、もっと直接的な言葉で彼女を定義しておきたかった。宙に浮いたままになっている彼女の影を、少しでもはっきりと形にしておきたかった。そういうわけで、彼女が自分の名を教えてくれるまでの間だけ、僕は彼女のことをソラと呼ぶことに決めた――もちろん、それを彼女本人に伝えたことも、ましてや彼女を実際にその名で呼んだことも一度だってない。当たり前だ。それは僕が勝手に決めた名前なのだから。彼女には彼女自身に与えられた名前があるはずで、でも、僕はそれを知らない。それだけの話だ。

 

 

 伍冴くんの言葉が忘れられない。彼が僕に投げかけた、彼女は本当に存在しているのか、という問いかけに対して、しかし僕は胸を張って肯定を返すことができなかった。彼女はいつだって石段の上で誰かの忘れ物みたく座っている。そうしてずっと空を見上げている。たしかに其処にいる。いるはずだ。

 それでも僕が彼からの問いを肯定できないのは、偏に疑念があるからだ。伍冴くんの話が本当かどうかなんて何ら問題じゃない。それよりももっと根本的な部分で、僕は揺らいでいる。

 だって、そうだ。言われて考えてみれば、おかしなことだらけじゃないか。

 どうして彼女はいつもあの公園にいる?

 雨が降っていても傘を差すことすらせずに、空を見上げていた理由はなんだ? 

 今更だけれど、学校などはないのだろうか?

 いや、そもそもの話、彼女は何歳で、一体どこに住んでいて、何という名前なんだ? 

 何故、彼女は何も話そうとしない?

 どうして?

 意味の分からないことだらけだった。

 伍冴くんは彼女のことを、何の実存性も有さない、と表現したけれど、まさしくその通りで、彼女の存在を保証してくれるものが何一つとして手元にないのだ。だから、僕は彼女の存在を確信できない。肯定できない。たしかに其処にいたはずなのに、本当に其処にいたのかが分からなくなる。考えれば考えるほど、彼女の影は思考の闇に滲み混じって溶けてしまう。

 彼女は本当に存在しているのか?

 ひとたび滴下された疑念は、小さな波紋を描きながら深くまで沈んで、水の意識を単一の黒へと染め上げてゆく。

 深く、深く、どこまでも深く。