プロローグ、そして後日談

 

 

 望月伍冴という後輩について、ここら辺で話しておくべきなのだろう。朝の通学路で出会い頭にいきなり延命治療に関する意見を問うてくるような彼のことを、きちんと説明しておく必要があるのだろう。というのも、このまま彼のことについて何も触れないでおくというのも何だか気持ちが悪いし、それに、先日誤って外せない用事をダブルブッキングしてしまったとき、彼に僕の代わりをお願いしたところ、それはもうよくわからないことをべらべらと一時間もの間ずっと捲し立てて帰ってきたという話を聞いて(他の誰もない伍冴くん本人からだ)、やってしまったという思いに駆られたという理由もある――どちらかといえば、その謝罪がしたくて、謝罪というよりは釈明がしたくて、だからわざわざこんな場を用意したのだ。そうは言っても、しかし、あの場にいた人がこの場にもいるとは限らないわけだけれど、これぐらいしか僕には打つ手がないのだ。だって、彼が誰に向かって話していたのか、実のところ僕は知らないのだから――実際には行けなかったわけだけれど、僕にしたってそこに誰が来ているのかは行ってみるまでのお楽しみだったのだから。そういうわけで、ここで彼個人のことについて、そしてあの場で彼が話したらしいことについて、ある程度の釈明をしたいと思う。そうすることで、愚かな僕自身を許してやりたいと思うのだ。

 望月伍冴。もちづきいづさ。それが、彼が僕に語った名前だ。本名かどうかは知らないし特に興味もないので、僕は彼のことを彼自身から推奨されたとおりに伍冴くんと呼んでいる。今年の春に僕と同じ大学へ入学した彼と最初に知り合ったのは、たしかとある勉強会でのことだった――彼は、まあ僕も同じなのだけれど、数学を深く学ぼうと志して今の大学へと進学してきた人間であり、その勉強会とは数学についてのものだった。大学のカリキュラム的には三回生相当の分野を扱う会だったのだけれど、僕も含めて二回生で参加した人間が数人いた――その中でさらに年下の、つまり一回生の参加者は彼一人だけだった。だから、というとおかしな話で、もちろん紆余曲折はあったのだけれど、そういう次第で、僕は彼と親しい間柄となったのだった。

 彼の人格といえば、延命治療の一件を聞いてもらえばすぐに分かるだろうが、どこかズレている風なところがある――彼だって僕みたいなやつには言われたくないだろうけれど、しかし、彼は致命的に、あるいは決定的に周囲からズレているのだ。こう言うと勘違いされそうだけれど、彼がズレているというわけでは決してない。そうではなくて、むしろ真逆で、彼以外の何もかもがどうしようもないほどにズレていて、そして間違っている――彼を目の前にすると、否応なくそう思わされてしまうのだ。たとえば、法定速度を無視して高速道路を走っている車に、あるいはそれを許容する社会に対して声を上げ、問題を提起する――様々な間違いをなあなあで呑み込んで、それでも何とか廻っている世界に、お前は間違っている、という苦言を呈し続ける。まるで規則という概念を具現化したような存在――それがきっと望月伍冴という個人なのだ。

 先日、僕が代わりをお願いした件について、彼はそこで『行間を読む』ということについて語ってきたと言っていたけれど、そこで話したらしいことを後になって僕自身も彼から聞かされたのだけれど、結局、あれにしたってそうで、彼はいつだって当たり前のことを当たり前のように言うだけなのだ。わざわざ取り立てて話すほどのことでもないと誰もが思うようなことを、それでもわざわざ取り立てて話したがるのが彼という人間だ。あれぐらいことは誰だって少しくらい考えれば分かることなのに、と僕なんかは思うけれど、しかし、彼ならそんな僕の返事すらも笑い飛ばすのだろう。こんな風に。

「ええ、そうですね。誰だって考えればすぐに分かることです。小学生でも分かるとまでは言いませんが、それは過言が過ぎますが、それでも中学生にもなれば理解できるはずのことでしょうね。でも、実際はどうなんしょう。少なくとも僕の目からは、そういうことを理解している人間が大半だとはとても思えません――言葉の裏を勝手に読んで、あるはずもないものを幻視して、そんなことに悲しんだり怒ったり、そういう人ばかりじゃないですか? そういうつまらないことで、間違ったことで、世の中溢れかえっているじゃありませんか。つまり、考えてないんですよ、誰も。誰もがその程度のことと切り捨てるようなことを、しかし、誰も考えていないのです。だから、この程度の些細なことでも大声で主張していかなきゃ駄目だと言うのです。そういう人間がこの世界に一人くらいは必要なんですよ。自分が理解できるからといって、全人類がそうだとは限らないのです――全員が全員そうだと願っていたいという気持ちはお察ししますけれどね。しかし、それは期待が過ぎるというものです。救いようのない馬鹿ってやつがこの世界には腐るほどいるのです――けれど、救いようがないからといって、救いの手を差し伸べなくていいということにはならないでしょう。盲目で愚鈍な彼らでも気づくことができるように、誰かが大声を上げなくてはならないのですよ」

 間違いを間違いだと言い続け、理想的な正しさを追求し続ける存在――それが望月伍冴だ。彼の前では、どんな体裁を繕っている日常でも途端に綻びを見せる。彼の前では、どんなに些細な間違いでも結局は間違いでしかなくて、許容されることなど、ましてや見逃されるなんてことは決してないのだから。何一つも欠けることのない――さながら満月のような完璧さを、彼は求めている。

 僕が彼について、あるいは彼が先日話したことについて語れるのは、いまのところはせいぜいこの程度なのだけれど、後日談というか何というか、あの後、僕が彼からその日の話を聞いていた時に、彼はふと思い出したようにしてこんなことを話していた。最後にその言葉を一通り紹介しておいて、この場はとりあえず解散とすることにしよう。望月伍冴という個人について、僕はここまであれこれと語ってきたわけだけれど、しかし、彼という人格を紹介するのであれば、きっと彼自身の言葉に語ってもらった方が正確に伝わるだろうから。

「行間なんて、あるいは言葉の裏なんて、ですかね――そんなものは、見えてしまわないように、覗こうとも思わないくらいに埋め尽くしてしまえばいいのですよ。まあ覗かれたいと思っての言葉ならまた別なのでしょうけれど、しかし、そんな独り善がりな言葉を投げかけるのは些か不親切が過ぎるというものです――自分の言葉の裏に潜めた感情を読み取ってほしいと切望する人は少なくないようですが、僕から一言言わせてもらえるとすれば、そんなことを相手に期待するだけ無駄だってことですね。むしろ自分の首を絞めるだけじゃないですか? 相手に伝わるのは不完全な情報であり、不正確な情報であり、不必要な情報でしかないのです。本当に伝えたいことを直接伝えるのは無粋だとする風潮が日本には古くからあるそうですが、正直言って馬鹿げているとしか思えませんね――伝いたいことなんて、直接伝えないと伝わらないに決まっているのです。それを、勝手に行間を読んで推し量ってくれ、だなんて自分勝手が過ぎる――その程度の勇気すら持てないのなら、その程度の誠実さすら持てないのなら、そもそも何かを伝えたいだなんて思うべきですらないでしょう。誤った情報のせいで何かが狂ってしまう人だって、どこかにはいるのでしょうから。そういった可能性を考慮できないのは、独善的云々以前にただ未熟なだけです――というようなメッセージを、実はあの話の裏には隠していたのですけれど、先輩は気づいていましたか? 頭脳明晰博学多識な先輩のことですから、きっと見透かしていただろうと信じていますけれど、つまり半分くらいは疑っていますけれど、一応念のために答え合わせをしてみました。行間というやつは読者に一存されると僕は言いましたけれど、でもそれは読者に非があるわけでは必ずしもないのです――むしろ非があるのは往々にして筆者の側でしょう。大抵の場合、読者は何も悪くありません。そんな誤った読み方をさせてしまう筆者の方が悪いのです。だから、行間なんてものはなるべく埋めてしまった方がいいのですよ。何かを伝えたいと思うのは良いことですけれど、尊重されるべきことですけれど、しかし、その場合には行間を埋める努力を怠ってはならないのです――読者のためにではなく、自分のために、です。まあ、そんな僕のメッセージも、あの話から読み取れた人がいるとすれば先輩くらいのものじゃないかと思いますけれどね。行間なんてものを読む気が起こらない程度には長々と話しましたし、僕という個人の性質を知らないのでは表面だけで理解した気になってくれることでしょう――まあ僕はそのメッセージを誰かに伝えたかったわけでは決してないですし、強いて言うのであれば先輩にくらいは言っておいてもいいか程度の意識だったので、だからあの場では行間を読ませないように話を展開し、かつこの場ではネタばらしをしておいた、というわけです」