実家

 

 

 実家という空間が齎すエトセトラを、しかしながら、僕は何一つとして穏やかな気持ちで享受することが出来ない。気が立つというか、あるいは気が気でないというか、落ち着かないというか、そわそわするというか。だから、実家に帰ろうとは露ほども思わない。思わないし、思えないし、思いもしない。帰ったところで何かまたよからぬ感情を植え付けられるのが目に見えているからというのもあるし、より簡潔には居場所がないからというのもある。

 居場所がない。物理的な話じゃない。いや、物理的にも僕の居場所は実家には最早ないのだけれど、でも、これはそういうことじゃなく、もっと精神的な面での話だ。僕はこの感情を、つまり何だか家にいたくないと思ってしまう感情を、全人類に普遍のものだと思っているけれど、どうなのだろう。まあ言われてみればそう思うこともあるという人ならそれなりにいると思う。だが、僕の場合はそれが常だ。家にいたくない。自分の居場所がない。そんな気がしている。ずっと昔から。

 思えば、姉が家を出ていった頃から、具体的には僕が中学一年生くらいの頃から、実家というさほど広くない空間において僕が根城としていたのは自室だけだった。気を落ち着けていられるのが自室だけだったという意味だ。居間に自分の居場所はないと思っていた。これは精神的な話ではなく物理的な話だ。というのも、僕の実家はかなり散らかっている。腰を落ち着けられる場所なんて、そう多くはないのだ。だから、自室に籠るようになった。学校から帰ってくると自室へ直行し、漫画を読んだりして時間をつぶし、風呂の時間になれば風呂へ入り、晩御飯は部屋で食べ、寝る時間になったら自室の布団へ潜り込み、朝起きたら学校へ行く。そんな感じ。

 中学の頃はまだ居間に居座ることもあったような気がするけれど、高校に入ってからは完全にそれだけになった。そういうわけで、実家において僕の居場所と言えるのは凡そ自室だけであったのだ。

 それが受験生時代になると変わってきた。いや、僕が受験生になったということは全く関係がなくて、それはどうでもよくて、単に年月が経過したというのが重要だ。人は歳を取ると耳が遠くなるせいか、やたらと大きな声で会話をしようとするようになる。それがうちの親にも起こり始めたのだ。うるさい。騒がしい。僕の実家はマンションの一室であるので、ドア一枚隔てた向こう側が居間なのだ。そこで大声を出されるものだから、それはもう鬱陶しい。鬱陶しいと思うのが筋違いだと分かってはいてもそう思う。受験期にはCDプレイヤーにかなりお世話になったけれど、それはつまりそういう意味なのだ。煩わしい声を意識の外へ追いやりたかったのだ。

 だから、受験生の頃、特に浪人中には家を出たくて仕方がなかった。浪人時代に足しげく自習室や図書館へ通っていたのだって、別に僕が勉学に真剣だったというわけでは決してない。単純に家にいたくなかったのだ。平日だろうと休日だろうと、そんなことは関係なしに、あの家にいたいとは思えなくなった。受験が終わり、大学生活が始まってもなお、その感情は残留したままだった。というか、実家から大学まで片道約二時間もかかるということもあって、家を出たいという感情はますます大きくなっていった。

 そして、今年の三月、ついに僕は下宿を始めたわけだけれど、それはもう予想以上に快適過ぎたというのが本音だ。自炊やら洗濯やら、面倒なことは増えたけれど、しかし、一人で落ち着くことのできる時間が保証されているということ以上に大事なことなんてものは、少なくとも僕にとっては存在しなかった。

 こんなことを言うと親不孝だろうと思うけれど、でも、やっぱり実家へは帰りたくない。切実に帰りたくない。こんなことを書いている僕が、では現在どこにいるのかと訊かれれば、まあ実家にいるわけなのだけれど。実家の、以前は僕の部屋だった空き部屋の中にぽつんと置かれた椅子に座っているわけだけれど。しかし、下宿へ戻りたくて仕方がない。早くあの部屋のベッドに転がりたい。はんなり豆腐を抱きしめたい。何なら洗わずに放置しているペットボトルを洗うことですら進んでやりたい。そう思ってしまう。だって、ここには、つまり実家には、僕の居場所がないのだ。それは精神的にもそうであり、そしてついには物理的にもなくなった。僕の部屋が最早存在しないのだ、この家には。だから、帰ってきてもなお帰る場所がないという感じがする。ここは本当に僕の家なのか、と思う。そわそわする。ちぐはぐ。ふわふわ。

 十九年ほど住んだ家よりも、住み始めてまだ半年足らずの下宿の方にいたいと強く願っているという現状には、僕が他ならぬ自分自身の名前を忌み嫌っている現象とどこかしら似たような何かを感じる。微かに、だけれど。何だかんだと理由をつけはしたものの、やっぱり結局のところ、ただ単に僕は昔の自分という存在を否定したいだけなのかもしれない。そう思った。

 明日の昼には京都へ帰る。