大学って何なんすかね?

 

 

 大学って何なんすかね?

 

 思ったことないですか? いや、誰にだってあるはずですよ。ない方がおかしい。こんなにも異常な空間を異常だと認識できないのは、相当に真面目な人間か、あるいは相当に盲目で無責任で愚かな人間かのいずれかだと思いますし、その場合、恐らく大半の人間が後者です。それこそ日夜学問に励んでいるような真面目な人でもない限りは。

 講義へ行ったり、あるいは行かなかったり。行くなら行くで真面目に聴いたり端末を弄っていたり。行かないなら行かないでバイトを入れてお金稼ぎをしたり、あるいはそのお金で友達と遊んだり。期末が近づいてきたら思い出したように勉強をし、適当な答案やレポートを提出し、単位が来たり来なかったり。結局何を身につけたのかと問うてみれば、その実、何も身についてなんかいない。訳も分からないまま四ヵ月弱にわたる半期が終了し、その次にやってくるのは長期の休暇。その間に課される課題なんてもの、大体の場合は存在せず、大半はバイトなり旅行なり引きこもるなりで、日々を何の生産性もない行為で無為に貪り、そして気がつけば大学が再開する時期になっている。

 

 いやさ。

 何、これ?

 って思いません?

 僕はたまに思うんですよ。たとえば、地元へ帰った時とかに。地元の知人たちの中にはもうすでに就職している人も数人いて、一方の自分はといえば大学へ通っているわけですけれど、その知人たちの方がよっぽど真っ当で正当だと思うことがあるんです。自分は京大なんてなまじっか有名なところへ通っているから、それだけで意味もなく褒められることがあるのですけれど、そのたびに「いや、俺なんかより、あいつらの方がよっぽど偉いし賢いよ」と思うわけです。もちろん本心から。

 大学へ通っている程度のことの一体何が偉いんだよ。何をやってるかって、そりゃ勿論勉強はしているけれど、でも、こんな記事を書こうと思ってしまう程度には堕落した生活を送っているんだぜ。そんな人間の一体どこがどう偉いってんだ。やっていることなんてきっと同じで、そこには大した差異がなくて、それなのにむやみやたらと持ち上げられる。

 意味が分からなくないですか。

 いまの自分の想いをはっきりと書いてしまうと、自分にとって大学という場所は京大卒という肩書を得るためだけに存在するとすら思っています。就職の時に有利になるっていうしな、くらいの感覚。馬鹿だろ。舐め腐ってる。死んだほうがいい。

 あいつらの方が自分なんかよりよっぽど重宝されるべき存在なんですよ。それなのに、高校時代にちょっと頑張ったからってだけで就職活動が有利になるのってバグってません? 異常ですよ。大学時代に何をしていましたか、と訊かれたとして、高卒時点で既に働いていた人間以上の価値がある行いを答えられる大学生が、果たしてこの世界にいくらいるんだろうって話です。勉強してましたって? 嘘つけ。勉強なんて大してやっていないどころじゃない。微塵もやってないだろうが。一般に大学生と定義づけられるための最低条件であるところの勉強さえもまともにやっていない人間が、高校卒業と同時に世の為にと真面目に働くことを選んだ人間よりも重宝される道理なんてないだろ。ないんだよ。あってたまるか。

 

 ふざけんな、と思うんですよ。やり場のない憤りというか、宛てのない思いというか、根拠のない不快感です。火のないところに煮え立った怒りです。もちろん自分も含めてですけれど、堕落しまくっているであろう大半の大学生という存在が、したり顔で社会へ出ていくのが気持ち悪くて薄気味悪くて異常で異質で仕方がないという感じがするんです。その四年間、あるいは六年間で、大して何も得ていないくせに。こういうことを言うと、自分は人間的に成長しただとかかけがえのない友人を作ることが出来たとか吐かす馬鹿が出てくるのでしょうけれど、いや、知らねえよ、そんなこと、って感じですね。聞いてない。聞いてないし、興味もない。社会を動かす歯車になるという一点において、一個人の個性なんて、ましてや人間関係なんてものはどうでもいいんだわ。それが何の役に立つって? 局所的に見れば影響を及ぼすのだろうけれど、大局的に見れば誤差でしかない。そうでしょう?

 

 だからって、高校卒業と同時に働き始めるのが正解だって言いたいわけじゃないですよ、もちろん。もしも僕がここまでに書いた文章を読んでそういう印象を受けたという人がいるのならば、日本の国語教育を、とりあえず中学校辺りから受けなおすことをオススメします。誰もそんな話はしていない。

 じゃあ、言いたいことは何なのかって? だから、初めに言ったじゃないですか。試験時間が始まったらまずは文頭と文末、それにタイトルを確認して、その文章の主題をおおまかにでも掴めってのはセンター国語の基本戦略でしょう。筆者の主張を確認したいのならそれに従えばよくて、要するに『大学って何なんすかね?』ってこと一つです。学びたいこともないのに大学へ何となくで進学して、友達付き合いを増やし、遊ぶ金欲しさにとりあえずバイトをして、講義は適度にサボり、期末試験はギリギリで赤点を回避し、レポートは付け焼刃の知識を振りかざしながら徹夜で仕上げ、長期休暇にはやっと解放されたと言わんばかりに旅行しまくり、遊びまくり、そんなことを繰り返しながら数年の月日を過ごし、いざ社会へ出るとなれば虚虚織り交ぜの作話をし、実際には大学生活において大したことなんて何もしていなかったのに、いつしか自分もその嘘に呑まれ何かを成し遂げたような気になって、何もないはずの手のひらに残った架空の残滓を手放すまいと必死になる。その程度の人間に、あるいはそんなことに、何の価値があるんだろうか、って話です。大学の名前なんて関係ないんですよ。

 ここまで聞いても、考えたことがない、と言いますか? だったら、あなたは相当に真面目な方の方なのでしょうね。尊敬します。僕は不真面目極まりない学生なので、こういうことを考えてしまうんです。自分なんかがここにいていいのか? こんなにも価値のない自分が? 何故ここにいることを許されている? その理由は? 意味は? 意図は? いったい誰がどうして? そんなことを考えています。真面目な方はそういうことを考える必要がないんだろうな、と思います。いや、これは「考えていないのだろうな」という主張ではないですよ。そりゃ考えもするでしょうけれど、でも、それでもすぐに歩き出せるに違いないと思うのです。僕はそうでないから、ずっとここで立ち止まっている。考える必要がないってのは、そういうことです。

 

 大学への不信感がいよいよ爆発したのは、今年度前期の成績が発表されたときです。いや、それはもう目を疑いました。

 何で単位来てるの? あれだけ不真面目だったのに? ベクトル解析に至っては初週しか出ていないし、試験勉強だって当日の一時間半程度しかやっていないのに? それでどうして単位があるんだ? 教育社会学概論にしても。授業中で課されるミニレポートを五回中一回しか出していないのに、それで88点? なんで? 何が? いったい何をどう評価した? 「いや~、あれだけサボったけど単位がちゃんと来ててよかったよ」なんて思えない。きわめて不可解だし、何なら不愉快ですらある。その評価は真っ当か? 正当か? 信じていいのか? いや、信じられるわけがないだろ。自分がどれだけ不真面目な学生だったかなんて、自分が一番よく分かっているのに、それなのに、どうして評価されているんだ? どうして許されている? 全員受かったってわけじゃない。単位を落とした人だっている。それなのに、だ。どうして?

 こんなことをずっと考えてました。一回生のときはそんなことなかったんですけれどね。それだけ自分の不真面目度合いに拍車がかかったということなのでしょう。残念ながら。

 

 大学って何なんすかね?

 もう分からないです、自分には。分からないし、最早分かろうとも思えなくなってきたし、どうでもいいやって気にすらなっています。よくないんですよね、これ。卒業へのモチベーションが失われつつあります。あと二年半、院進するならあと四年半、それだけの月日を費やす価値が果たしてあるのかという気になってきています。いや、だからって中退することはもちろんないですし、ましてや就職するなんて有り得ないですけれど、それにしても留年くらいなら平気でやってしまいそうです。よくない。

 というわけで、誰か教えてください。お願いします。