今週読んだ本についての話1

 

 暖房を23℃に設定すると快適に起床できるという事実が最近の個人研究により明らかとなったのですが、本日早朝、当研究に対するアンチテーゼとして『暖房が快適過ぎてベッドの上から動かなくなる問題』という論文が発表されたようです。自分の風向き調節が下手なのか、あるいは元からそういった設計なのか、我が下宿の暖房くんはベッド周辺を温めることばかりに躍起になっていて、肝心の作業スペース周辺は依然として南極ばりの冷気に包まれています。作業机と窓がべらぼうに近いということも寒さの一因にはあるのでしょうけれど、しかし、おかげで全く作業する気になれません。まあ、やるべきことはちゃんとやってるんですけどね。

 

 嘘です。来週提出のレポートが二つほど残っています。ガロア理論、何も分からん。

 

 

 今週は『風牙 / 門田充宏』を読みました。

www.tsogen.co.jp

 工業規格によって定められた用紙の大きさを区別することが僕は未だにできないのですが、宛てにならないことに定評のある僕の勘が正しければB6サイズです。比較してみたところ物語シリーズと同じサイズでした(でかい)。そのうえで本書は350ページ近くあるので、それはもう読むのに結構な時間を使いました。と言っても八時間弱ほどのような気がしますけれど。

 

 とりあえず購入に至った経緯なんかを書いてみようと思います。毎週一冊、本を読もうぜ的な企画を絶賛進行中*1だというのは先週の記事で触れた通りなのですが、本書を購入したときにはそのような思惑は一切なくて、諸事情あって梅田に在る某書店内をうろうろしていた際に、不意に「いや、SF読みてえな」と思い立ったその勢いに押されるがまま購入しました。某書店はめちゃくちゃに広いので、偏にSFと言っても候補は他にも大量にあったのですが、その中でもこれを選んだのは表紙のイラストに釣られたからです。主人公の女性で、関西弁を話します。可愛い。イラストに釣られたというのは二割くらい冗談だとして、帯に書かれていた謳い文句が気に入ったから、というのがより大きな要因です。『あなたの記憶をお預かりします。』というやつです。これはちょっとした自分語りになってしまうのですけれど、一年半ほど前の自分はいわゆる感情だとか心だとか、もっと言えば自己という認識だとか、そういった非論理的な代物は実際問題この身体のどこにあるのだろうかということを考えるのに少しハマっていて、それで脳科学だとかの本をちょっとだけ読んで――まあ普通に投げ出したわけなんですが*2、だからというか何というか、根源的に興味のある話なんですよね。記憶とか何だとかって話題は。そういうわけで購入した次第です。

 

 内容についても話します。まだ一度しか読めていないので、どこか間違えたことを書くかもしれません。許して。

 本作はSFなので例に漏れず科学技術がめちゃくちゃに発展しているわけですが、この世界では、本来は個人の中にしか残らない代物である記憶を第三者にも観測できるように抽出し変換するという技術が存在しています。そして、それを執り行うのがインタープリタと呼ばれる記憶翻訳者たちであり、本作品の主人公である女性、珊瑚はその中でもエース級の技術を有しているとされています。誰でも彼でもインタープリタになれるのかといえばそういうわけでもなくて、彼らは先天的あるいは後天的に獲得した過剰共感能力というものを駆使して翻訳作業を行うので、それだけが必要不可欠です。まあもちろん訓練とかも要るんですけれど。「過剰」という言葉から想起される通り、この能力は本来社会を生きていく上では障害としか見做せない代物とされています。しかし、類稀なるその力を有効活用しようと試みたのが不二という男性であり、その不二が設立し、かつ珊瑚の職場でもあるのが九龍という会社です。作品名にも冠されている「風牙」という物語は、九龍内で起こったとある問題にいざ立ち向かおうとする場面から幕を開けます。

 

 書評って苦手なんですよね。以前書店を訪れた際に陳列されていたそれ系の本を興味本位で読んでみたのですけれど、「いや、もう、ただ嫌いなだけならわざわざ読むなよ」と言いたくなるくらいに他人の作品をめちゃくちゃに貶していて、こんなに稚拙な本でも出版できるんだなあ、と出版業界の寛容さにただただ驚嘆するばかりでした。著者をみたら東大出身の方でたしか五十歳前後でしたね、ウケる*3。理性的な批判こそは読者によって行われ、著者はそれを受け止めるべきだろうと思いますけれど、しかし、にちゃんねるの片隅に書き殴られている様が何よりも相応しいであろう凝り固まった思想の結晶を、理性的なそれなのだと勘違いして悦に浸っている人間だけはどうも苦手です。一生言葉に踊らされてろ、と思います。

 

 話が逸れた。本を読んだ感想についても少し話します。ブログへ公開するだけなら上に書いた分だけでも十分に事足りるのですけれど、知見というか、通じて得たものを書いておかないと自分のためにならないんですよね。すぐ忘れるんで。

 話の始まり方がめちゃくちゃに唐突でした。いやもう、マジで。「誰?」って人がポンポン出てきて、「何?」って概念がドカドカ出てきて、気が付けば中盤に差し掛かっていた、みたいな印象を受けました。普通の小説でもまあこれくらい普通にやってる事なんですけれど、SFは特殊設定が頻発するので未知の概念が多すぎて、自分の中でうまく想像しきれなかったというのがあります。単に自分がSFを読み慣れていないから、という原因も考えられます。というか多分それが正解です。とはいえ、二十ページを過ぎる頃には大まかな輪郭がぼんやりながらも掴めてきます。世界を構成している法則を言葉でなく具体的な状況描写で説明するってのは、なるほど、それもそれでアリだな、という気がしました。それに、風牙内での設定を最も効果的に伝えようと思えば、開幕はああいうような展開にするのがたしかに最適なのかもな、と思います。自分は物語の書き出しでめちゃくちゃに迷う人間なので、説明なんか後回しでとりあえず始めちゃおうぜ、という姿勢*4は自分にとって大事にすべきなのだろうなあ、という気持ちになりました。

 水と魚の話です。この比喩は伝わる人間にしか伝わらないので、割と本心に近い事が言えますね。暗号かよ。めちゃくちゃ水が少ないです。思い返してみれば、なんですけれど。でも、読んでる途中は全く気にならなかったんですよね。状況の描写や、システム周りの話、それと要所要所で挟まれる珊瑚の内心描写のおかげでしょうか。SFだとこういうことができていいですね。

 

 これくらいしか話せそうにないなあ、という気がします。あまり踏み込んだ話をするとネタバレになっちゃいますからね*5。本作は四つの短編*6からなる作品ですが、僕は特に三番目の話が好みでした。このブログだったり、あるいは普段からだったり、自分が言っていることと同じようなことを考えている人がいて、そしてそんな人の綴った物語がいま一冊の本として自分の手元にあるのだという事実に、僕にはとても嬉しい気持ちになります。第二話は特にその毛色が強かったですね。いやあ、よかった。いい買い物をした。本を買うときに僕は値段を見ることなしに会計へもっていくようにしているので、レジで2,000円越えの支払金額が表示されたときにはギャグマンガかよってくらい目を見開きましたが。

 

 このペースなら、文庫本サイズであれば一週間で二冊くらい読めそうな気がしますね。気がするだけなので、読めるとは言いませんけれど。

 残りの積読数は6です。

 

 

 

*1:参加者一名。

*2:生物学の基礎知識が無さすぎて終わった。物化勢はゴミ。

*3:こういうのを老害って言うんだよな、マジで。

*4:門田先生がそういう意識で書いたとは言っていない。

*5:ネタバレは悪という立場。

*6:全然短くない。

これまで読んだ本についての話

 

 本当に突然ですが、これまでに読んだ小説作品の中で特に面白いと感じたものや心に残っているものについて、自分が考えているあれこれを少しだけ書いてみようと思います。大した数は読んでませんし、読書量が徐々に増えつつある今でも多分ライトノベルの方が読んだ数は圧倒的に多いです。僕はそういう人間です、よろしくお願いします。

 

 

・『鬼物語』:西尾維新

 まあ、そういう作品を順に挙げていけと言われれば、真っ先に答えるのはきっとこれになるのだろうと思います。僕が物語シリーズに心酔しているのは先日の記事でも話した通りですが、その中でも特に印象深く記憶されているのは鬼物語です。あまり詳しく言うとただのネタバレになるので詳細を語ることは避けますが、御都合主義のハッピーエンドだけが物語というわけでは決してないんだなと痛感したのはこの作品が最初でした。そんな僕の感動は、あるいは人によっては薄っぺらなものとして映るのかもしれませんが、しかし当時中学三年生か高校一年生ほどだった僕にとっては非常に価値のある経験だったのです。最後の一文が大好きです。

 

・『いなくなれ、群青』:河野裕

 次点で挙げられるのは多分これです。ちょうど一年くらい前、大学生協の書籍コーナーで偶然目に留まって購入した一冊です。いや、この作品に巡り合ったのは本当にただの偶然で、手を伸ばし購入したのもただの気まぐれだったのですが、しかしながら、もしもこの作品に出会ってなかったらどうなってたんだろうなあというのが全く想像できないくらいには、僕の内にはっきりと息衝いている物語の一つです。西尾維新の次くらいには影響されていると思います。ちょっとした自分語りをすると、僕は作品のタイトルにめちゃくちゃ拘りたいタイプの人種で、『いなくなれ、群青』に出会うよりも前に『その一言だけで』『あの日殺した少女はきっと』というタイトルの作品を書いていたのですが、なんというか、似たような何かを感じたんですよね。シンパシーというか。購入した理由はそれだけです。こればかりは色んな人に読んでほしいなあと僕は思います。比喩表現がいちいち綺麗です。

 

・『さよなら神様』:麻耶雄嵩

 これもタイトルとあらすじだけで買ったやつです。まだ実家から大学へ通っていた頃、僕は大学の帰りに何の目的もなく駅前のTSUTAYAへ入って小説が陳列されている棚の前をうろつく不審者のコスプレをよくしていたのですが、その際に目に留まったのが『さよなら神様』でした。第15回本格ミステリ大賞受賞作品らしいです。ミステリなのでこれも多くを語るとネタバレになるのですが、当たり障りのない範囲で話すと、この作品には「何でも知っている神様」という存在が平然と出てきて、しかも作中で順に紐解かれていく殺人事件の犯人を最初のページの一行目で教えてくれるのです。親切な神様です。犯人の分かってるミステリなんて面白くなくね、って思うじゃないですか。めっちゃ面白かったです。色々と逆なんですよね。何というか、本来は負の側面が強すぎるはずの要素を、これでもかってくらいに上手く使ってくるんです、この作品は。それらに説得力を与えているのは、プロットだったり舞台設定だったりなのでしょうけれど。大して読んでない奴が言っても説得力ないでしょうけれど、純粋にミステリとして楽しめました。おすすめ。

 

・『リカーシブル』:米澤穂信

 最近読んだミステリです。クローズドサークルというと孤島だとか山荘だとかが一般的には連想されますが、閉鎖的なムラ社会というのもミステリに十分相応しい舞台だと思います。不可解な伝承だったり奇妙な信仰だったり、あるいは部外者が受けるそこはかとない疎外感、解り易く不穏な気配、ムラ社会というやつはそういったものに言葉で説明するよりもずっとはっきりとした説得力を付与してくれます。めっちゃ強い。この『リカーシブル』もその手の舞台設定で、最初から最後までずっと作中には奇妙な空気が漂っています。目の前の茂みにはたしかに何かが隠れている気配がするのに、一方でその姿はおろか影一つとしてまるで見えやしないような、そういった朦朧とした薄気味悪さが頁を捲る手を止めさせません。しかも読めば読むほどに意味が解らなくなっていく。いや、すごい、マジで。是非読んでみてください。

 

 

 以上、四作品でした。作品の話は全然してませんけど、まあ『物語シリーズ』と『階段島シリーズ』については今更取り立てて話さなくてもいいだろ、という甘えがあります、許して。

 ちょっと真面目な話、いきなりこんなことを始めた経緯についてですけれど、僕は現在とある目的意識の下、読書量増やしていかなきゃダメだよなあ、と薄らぼんやり考えているのですが、しかし勉強机に高く積み上げられた本の山は一向に低くなりません。これはまずい。そういうことで、毎週日曜辺りを目安にその週に読んだ本について話す記事を書いていこうと思います。とりあえず今回は初週としてこれまでに読んだ本について話しました。来週からはその週に新しく読んだ本について話します(ちゃんと読めたら)。これで年間読書量、とりあえず五十冊くらいを狙っていこうという魂胆です。僕は愚かで怠惰なので、こうでもしないと本を全く読まないんですよね。はあ。

 最後に現在の積読数(怠惰の象徴)を公開して終わりにしようと思います。

 

・現在の積読数:7

 

 来週から頑張るぞー。

 

好きなものについて色々1

 

 

 はい。本日もやってまいりました、お馴染み「好きなものについて色々」のコーナーです。本コーナーでは僕が好きなものをひたすら挙げていきます。飽きたらやめます。

 

・好きな色:黒、白、青

 最初に思いついたのが色でした。パッと出てくるのが多分それに当たるので正直に書きますけれど、黒色と白色、それに青色が好きです。というか好きな色って何なんでしょうね。好きとか嫌いとか、そういう量で測れるものではそもそもないような気が薄々としています。まあそれはそれとして、僕は上の三色が好きです。あくまでベースとしての三色ですから、たとえば青と白を混ぜた水色とか、黒と白を混ぜた灰色だとか、その辺の色合いもお気に入りです。というか、純粋な白があまり好きではないのかも。よく分かりません。

 

・好きな季節:冬

 たとえば春と秋は虫が多いから苦手だとか、あるいは夏はただ単純に暑いから嫌だとか、そういう理由もなくはないのですけれど、でも周囲が大なり小なり変化するという側面を切り出せば春はいいものですし、夏はたしかに暑いですが長期休暇に合わせたイベント等が多く催されているので退屈しませんし、秋にしたって歩道に落ちた紅葉の層を踏みしめながら歩くあの瞬間は何物にも勝ると考えてはいますけれど、それらを十分に加味した上で考えても冬が一番好きですね。冬独特の空気感というか何というか、僕は基本的に人混みが大嫌いなのですが、でも冬の匂いを一帯に纏った都会は割と好きです。この季節だけは意味もなく街を歩きたくなります。冬は至高。

 

・好きな音楽:割となんでも

 この前、自分が好きな音楽について語る記事を書きましたけれど、まあぶっちゃけた話、割と何でも聴きます。自分から進んで聴くのは、たとえばあの記事で語ったようなボカロ曲だったりゲームBGMだったりなんですけれど、それは単に新しく探すのが面倒だからであって、別にアイドルソングだろうが洋楽だろうが勧められれば多分聴きます。日本語のラップだけはあまり好きじゃないなあと思っていたんですけれど、よく考えてみたら昔はORANGE RANGEとかよく聴いてましたし、何ならいまでも普通に好きなので本当に何でもいいんだと思います。いや、でも、歌詞が段違いでかっこ悪いやつだけは一度ならまだしも二度は聴かないかもしれないな。

 

・好きな四字熟語:換骨奪胎

 言葉の意味は好きでもなんでもなくて、単に字面が好きです。ヤバくないですか? 骨をとり換え胎を奪う、ですよ。いや、何語だよ。比喩にしても限度ってもんがあるだろ。なあ。

 

・好きな果物:林檎

 宗教上の理由で、林檎以外を果物として認識することができません。嘘です。林檎くらいしか食べた記憶がないからです、って書こうとしたんですが、いや、よく考えてみたら蜜柑の方がその数倍は食べてるなあ、と思いました。あとは梨とか。まあ梨はそんなに好きじゃありません、比較的さっぱりしているので。蜜柑は……何でだろ。林檎の方が自分にとっては美味しかったからかなあ。

 

・好きな飲み物:お茶全般(それ以外だとリンゴジュース)

 宗教上の理由で、お茶と水以外を口にすることができません。マジです。宗教上の理由ではありませんけれど、紅茶もコーヒーも全く飲めません。前者は甘すぎるし、後者は苦すぎる。飲めるようになりたいともあまり思っていません。だってお茶で事足りるし。お茶以外だとリンゴジュースが好きです。次点でカフェオレ。

 

・好きな作品:物語シリーズ

 恐らくは僕の知り合いであればそれなりの人が知っていることだとは思いますけれど、僕は物語シリーズが大好きです。めちゃくちゃ好きです。好きが高じて高校生の頃にクラスメイトから「まよい」と呼ばれていたという話はあまりにも有名です(物語シリーズでは八九寺真宵というキャラクターが登場する。可愛い)。文章を書くという面ではかなりの影響を受けていると思います。たとえば僕がこんな文体で物を書くようになったのは物語シリーズの地の文がこういった書き方をしているからですし、ダッシュ記号とか、あるいは接続をやたら使いたがるのとか、その辺も物語シリーズ(というか西尾維新)の影響ですね。人格面でも少なからず感化されていて、たとえば終物語とかは当時高校生ながらかなりの衝撃を受けた記憶があります。老倉さんのやつね。僕の家には原作が偽物語以外は揃っているので、気になった方はいつでも声を掛けてください。貸します。

 

・好きな作品:うみねこのなく頃に

 これはあまり公言していない、というのも何年も前に完結した作品だから話題に上がることがそもそもないのですが、僕はうみねこも大好きです。物語シリーズと違って、こちらは知らない人が多そうなので概要を大雑把に話そうと思います。

 ジャンルは一応ミステリで、クローズドサークル(名前は六軒島)において二日間にわたって行われた連続殺人の真相を暴く、というものです。島には初め十八人の人間がいて、「右代宮」という姓を有する金持ち一族と「右代宮」に雇われた支配人が数人います。で、最後には全部で十三人が死にます。この時点で結構すごい。殺意どんだけだよ、ってなる。一応ミステリ、と紹介しましたがここで一応と断ったのは、作風としてはファンタジーの側面がかなり強いからです。魔女が出てくるし、魔法が出てくるし、悪魔が出てくるし、何なら先の十三人は全員魔法で殺されます(それ故にかなり悲惨な死に方をする)。「ミステリ VS ファンタジー」という構図がうみねこという作品の特徴であり、「十三人は魔法によって殺された」というファンタジー側(魔女)の主張を退け「十三人は人間によって殺された」と証明する、というのが主人公の主なる目的です。これだけでも面白そうじゃないですか? でも、うみねこの特徴といえばもう一つあって、それが何かと言えば、この作品って純粋な推理ゲームなんですよね。というのも、魔女(犯人)が作中において「絶対に正しい」と保証された真実をいくつか教えてくれるのです。これはちょっとした愚痴なんですけれど、つまらない作品だとよくあるじゃないですか、「実はアイツは死んでいなかった」とか「隠し通路があった」とか「密室だと思ってたら本当は密室じゃなかった」とか、そういうアンフェアなやつが(伏線がちゃんとあれば別)。そういったことを綺麗さっぱり否定してくれます。だから本当にただの推理ゲームになっています(もちろん対等ではないけれど)。その上でよく分からん密室とか不可能殺人とかが次から次へと出てくるので、一度立ち止まって考えてみるのがめちゃくちゃに面白いです。

 というわけで、以上が「うみねこ」の紹介でした。気になる人はsteamとかで販売されていると思うので購入してみてください。ノックスの十戒とかヴァン・ダインのニ十則、モンティ・ホール問題を最初に知ったのもたしかうみねこだったなあ。話し過ぎた。

 

・好きな国:ノルウェー

 別に好きでも何でもないです。北欧が好きなだけです。

 

・好きな定理:グリーン・タオの定理

 一回生後期に思いついた整数問題があって、それは次のようなものでした。

 

正の整数からなる等差数列a[n](n=1,2,…)があって,その公差は正とする。次の条件を満たす公差が存在するような整数kの最大値を求めよ.

 (条件):a[1],…,a[k]はすべて素数

 

 実際にやってみたら全然見つからないんですよね、これ。k=5くらいまではすぐなんですけれど。そこで条件を少し変更して「a[1]は素数で,任意の素数pについてa[1],…,a[k]のうちpで割り切れるものは高々一つしかない」とすると、この場合は数列に合成数が許容されるので条件が緩くなったのかなあと思えば、これだと答えが出てくるんですよね(高校数学範囲で普通に解ける)。そういうわけでまた上の問題に取り組むことになったんですが、まあ解けなかったんですよ。当たり前ながら。というか素数であることを全く活かせてないからな。等差数列て。そこでTwitterにてこういう問題を考えているというツイートを流してみました。何か知ってる人がいたりしないかなあという淡い期待を込めての行動だったのですが、これが見事に功を奏して、実は上の問題、2004年にBen GreenとTerence Taoという数学者によって証明されていたんですよね。本当に驚きました。やっぱりみんな同じことを考えるんだなあと思いました。というわけで、グリーン・タオの定理が主張するのは次の事実です。

 

「任意の自然数kに対し,k個の素数からなる等差数列が存在する.」

 

 これだけでも十分意味不明なのに、この定理はさらに次のように拡張されています。

 

「k個の一変数整数値多項式P1(x),…,Pk(x)(ただし定数項は0)に対し,x+P1(m),…,x+Pk(m)が同時に素数となるような整数x,mが無数に存在する.」(Pi(m)=imとすると先の定理に一致する.)

 

 なで?

 ちなみに証明の全貌は以下のサイトにて日本語で読めます。すごい。

integers.hatenablog.com

 

 以上「好きなものについて色々」のコーナーでした。好きなものについての話は聞くのも楽しいですが、話すのも楽しいです。ブログってこういう用途で使うのが普通なんですよね、多分。気が向いたらまたやりたいです。とりあえず今は時間が押しているので一刻も早く百万遍へと向かいます。

 

 

 

スカイブルーナイトメア

 

 

楽曲『スカイブルーナイトメア』を投稿しました。

www.nicovideo.jp

 

mp3、wav、オケなどの音源は以下のリンクからダウンロードできます。

https://drive.google.com/open?id=1Qo1e1V3kblqXszxDQZQZM_PFWIe0gRZv

 

 

【歌詞】

数年前の夏影 一緒に飛び込んだ星空

見えないふりをした傷 見えなかった涙

 

誰にも触れられたくなくて だけどそれでも知ってほしかった

青に塗れた落書きを 夜明け色の空に 唄う

 

数年ぶりの夏空 通り過ぎていく飛行機が

蝉時雨をかき乱す あの夏のように

 

ずっと其処に在ったはずの 暖かな思い出だって

陽炎のように消えるんだ 解っていたよ

 

いつか触れた君の声は いまじゃとても遠いけれど

僕はそれがただ怖くてさ 空を見上げられなかったんだ

 

そう 僕らは今日も迷いながら いつか見えた星を目指す

指先にそっと触れた白も掴めないよ 僕なんかじゃ

 

ああ あの日の僕らが描いた青空の夢に いつまでも溺れていようよ

 

数年前の夏空 通り過ぎていく飛行機を

不思議そうに眺めていた あの夏の日のこと

 

空っぽだったはずの 二人掛けのベンチにさ

君が座っていたんだ 気付けばずっと

 

いつか触れた君の言葉は いまも此処に置き去りのまま

僕はそれを手放せなくて 空に背を向けていたんだ

 

そう 僕らは今日も迷いながら いつか見えた星を目指す

指先にそっと触れた白は 君と暮れた夏の色さ

 

そう 僕らはいま目を覚ました いつか見えた夏はもう来ない

だって知っていたんだよ 解っていたんだよ 君はきっと消えてしまうんだって

 

ああ あの日の僕らが描いた青空の夢に いつまでも溺れていたかった

ああ あの日の僕らが描いた青空の夢に さよならを

 

スカイブルーナイトメア

 

 

【コード】

・イントロ

Bm – Bm – G – G – D – D – A – A

Bm – Bm – G – G – D – D – A – [A – B♭dim]

Bm7 – Gadd9 – D – A – Bm7 – Gadd9 – D – A

Bm7 – Gadd9 – D – A – Bm7 – Gadd9 – A – A

・Aメロ(1)

Bm – Bm – G – G – D – D – Asus4 – [Asus4 – B♭dim]

Bm – Bm – G – G – D – D – A – [A – B♭dim]

・Bメロ(1)

Bm – G – D – A – Bm – G – D – A

Bm – Gm/B♭ – D/A – A♭m7-5 – G – Gm – D – D

・サビ(1)

Bm7 – Gadd9 – Asus4 – [D – G♭/D♭] – Bm7 – Gadd9 – [Em – Asus4] – [D – G♭/D♭]

Bm7 – Gadd9 – Asus4 – [D – G♭/D♭] – Bm7 – Gadd9 – [Em – Asus4] – [D – G♭/D♭]

G – A – B♭dim – Bm – B♭ - C -Dsus4 -D

・Aメロ(2)

Bm – Bm – G – G – D – D – Asus4 – [Asus4 – B♭dim]

Bm – Bm – G – G – D – D – A – [A – B♭dim]

・Bメロ(2)

Bm – G – D – A – Bm – G – D – A

Bm – Gm/B♭ – D/A – A♭m7-5 – G – Gm – D – D

・サビ前(2)

Bm – G – Asus4 – [D – G♭/D♭] – Bm – G – [Em – Asus4] – [D – G♭/D♭]

Bm – G – Asus4 – D – Bm – G – [Em – Asus4] – N.C.

・サビ(2)

N.C. – A♭add9 – B♭sus4 - [E♭ - G/D] – Cm7 – A♭add9 – [Fm – B♭sus4] – [E♭ - G/D]

Cm7 – A♭add9 – B♭sus4 - [E♭ - G/D] – Cm7 – A♭add9 – [Fm – B♭sus4] – [E♭ - G/D]

A♭ – B♭ – Bdim – Cm – B – D♭ - Cm – Gm/B♭

A♭ – B♭ – Bdim – Cm –N.C. - B – D♭ -E♭sus4 -E♭

・アウトロ

Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭ - Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭

Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭ - Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭

Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭ - Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭

Cm7 – A♭add9 - E♭ - B♭ - A♭ - A♭ - B♭

 

 

【コメント】

 自分一人で完成させた歌モノとしては二曲目に当たります。歌詞やメロディ、コードの原案は以前からあったおかげで、直近一週間くらいでババーッと作れました。久しぶりに思い通りの作曲が出来て楽しかったです。

 

・曲について

 サビでボーカルと同じメロディをなぞっているベル(Aメロにもちょっとだけ入ってる)、サビでコードの和音を鳴らしているシンセ以外は全部komplete付属のkontaktに入っている音源です。いわゆるサンプリング素材を全く使わなかったのは初めてでした。あと、ピアノを曲中に一度も入れなかったのも多分初めてじゃないかな?

 ボーカルは闇音レンリさんです。「Synthesizer V」というフリーソフトウェアを使って打ち込んでいます。めっちゃくちゃに使いやすかったので「フリーの合成音声使ってみたいけど、UTAUの操作は全く分かんねえ」って人はとりあえず導入してみてください。世界が変わります。ちなみにAメロ以外ではUTAUの方の闇音レンリさんも主にサイド成分で重ねており(2サビ前のところが一番分かりやすい)、またサビのハモリもUTAU側の闇音レンリさんです。「Synthesizer V」はめちゃくちゃ調声がしやすいんですが、一方で僕はUTAUの闇音レンリさんの声がかなり好きで、折角だしということで両方入れました。ちなみに歌詞が先で曲は後です。

 コードを載せているのは気分です。特別なことは何もやっていません。単に6415をぶん回しているだけです。Bメロの下降していくところは後付けなんですが、割とお気に入りです。

 バンドサウンドは自分の中で到達点の一つでした。打ち込み故の荒さや安っぽさはあっても、最後まで形に出来て本当によかったです。またやりたい。

 

・歌詞について

 詞を書こうとなったときにテーマとかは特に考えてなかったんですが、全体の象徴として「青空」を使うことはだけは決めてから書き始めました。朝起きたときに窓から不意に見えた空がめちゃくちゃ綺麗だったんですよね、たしか。それでバーッと書いたという経緯です。「空」、「声」、「星」、「白」と、自分の好きな言葉がこれでもかというくらいに入っているあたり、勢いだけで書いた感がすごい。

 イントロの歌詞だけは三、四時間くらいかけて考えました(たった四行なのに)。だから、この曲で言いたかったことは最初のフレーズに全部詰まっているのだと思います、多分。

 曲の最後でも言っている通り、お別れの唄です。多くを語り過ぎると些か陳腐なものになってしまうような気がするので避けますが、あえて俗っぽく言えば失恋の唄ということになるのかもしれません。いや、ならないと思いますけれど。

 

 以上です。よろしくお願いします。

 

 

 

透明

 

 よく分からない何かに背中を強く押されて、ほとんど弾けるように家から飛び出した。家の中が酷く窮屈に思えてしまって、あるいは自分がいてもいい場所ではないように思えてしまって、行きたい場所なんてどこにもないくせに、それでも行きたい場所を探しに外へ出た。京都造形芸術大学がすぐ近所にあるということ自体は以前から知っていた。横幅も高さもやたらと大きめに設計された階段が歩道に面していて、その近くを歩いていれば嫌でも目につくのだ。赤信号一つだけを挟んだ向こう側に立ってそれを眺めてみると、それはまさしく空想上のアカデミアを切り抜いてきて現実に貼りつけたようだった。その瞬間、僕はなんだかその階段を上ってみたくなったのだ。きっと理由なんて特にない。自分の行為に動機をあえて当てはめるのであれば、そこに一度も上ったことがなかったから、ということになるのだろうけれど、だから上ってみようだなんてそんなことを今日に限って思ったのは、多分ただの偶然だ。

 これは遥か昔の話だけれど、芸大のような空間に憧れていた時代が僕にはある。中学生の頃だ。いや、高校生の頃でもまだ考えていたのかもしれない。はっきりとは覚えていないけれど、でもそういう憧憬を持っていたことだけはちゃんと覚えている。今日が日曜日だからか、階段の先に造られた構内に人は少なく、全体的にがらんとしていた。どんどんと先へ進んでいくと、色々な道具の置かれている部屋が見えてくる。卒業制作とかで使用されるのだろうか、なんて意味のないことを考えた。ノコギリがあるし、マネキンがあるし、画用紙のようなものや布の切れ端が落ちていたりもした。それを見て、なるほど、と思った。なるほど。芸術っていうのは何も音楽や絵に限った話じゃない。

 もしかしたら芸大へ進学していたような未来もあったのだろうか? いやあ、あまり想像がつかないからこればかりは無いだろうな。あったとしても、多分もう終わっている。これは想像に難くない。その世界線での僕はきっと早々に見切りをつけて自殺しているに違いないのだ。実際に部屋の中へは入らなかったけれど、あちこちを歩き回って色々な部屋を覗いた僕はそう思った。これはとてもじゃないけれど、僕が生きていける環境ではない。何というか、次元が違う。そう感じる理由は割とはっきりしている。僕は芸術がやりたいというわけでも、芸術の道に進みたいというわけでも別にない。だから、この場所にいるべきではないのだ。相応しくないから。

 この場所にいるべきでないというのなら、では僕はどこにいるべきなのだろう? 大したことなんて何も出来やしない僕は、いったいどこにいればいいのだろう。いったいどこであれば、存在を許してもらえるのだろう? 京都造形芸術大学構内を適当に歩き回っていると、広場とすら呼べないようなちっぽけな空間へ出た。腰の高さほどの柵がぐるりと設けられていて、小さな階段が二ヵ所にある。階段と階段との間は、控えめに見積もっても十五歩程度で事足りそうだった。二人座りがやっとの横に長いベンチが四つ、未だ点灯していない街灯の下で肌寒そうに身を寄せ合っていた。ベンチの向かいでは吉田松陰銅像がどこか遠くを見据えていた。ふと気になって、その目線の先を僕も追ってみる。何か見えるのだろうかと期待したけれど、すぐ近くに生えていた幹の細い木の枝葉が邪魔で何も見えやしなかった。それがどこか可笑しくて、少しだけ笑った。

 この世の全てとの関わりを失う代わりに自分が飽きるまで生きていられるか、あるいはこのまま人間らしく寿命を全うして生を終えるか、どちらか好きな方を選ばせてやろうと言われれば、僕は間違いなく前者を手にとる。これまでの不遇を詫びるつもりなのか、大学に入ってからの自分は嫌に恵まれていて、色んな人たちに出会って、色んなことを話す機会があった。炎の話、水の話、言葉の話、想像の話、お互いの話。思い出せないくらいには多くのことを話したと思う。まだまだ話足りないと思うし、もっと多くのことを話したいと思っている。それは本当のことで、つまり僕の本心なのだけれど、それでも、僕は幽霊になることを選ぶのだと思う。好きな人も、嫌いな人も、尊敬できる人も、心底軽蔑する人も、こっちへ来てからはたくさんの人と知り合ったものだけれど、でも、そんな奴らのことは全部どうだっていいと吐き捨てる自分が心のどこかに棲んでいて、どうしようもなく意思の弱い僕は、だからこそ前者にこそ手を伸ばすに違いなかった。それは他人を見下そうとする傲慢さゆえの決断では決してなくて、もっと惨めでみっともない感情ゆえの諦めだ。

 特にすることもなかったから、適当に写真を数枚撮って黄昏終えたら階段を降りた。帰り道の途中で夕暮れの空を見上げた。珍しく彼のことを頭の片隅で考えていた。行きたい場所なんてない。そんなことは家を出るよりも前から分かっていた。生きていたいともあまり思わない。それは死にたいという意味ではない。どっちでもいい。生きていようが死んでいようが、きっとこれ以上はもう何も変わらない。どうでもいい。僕がいて、彼がいて、自然があって、人工があって、それ以外の人間がいて、それが僕の認識下にある世界で、彼の存在によって僕という存在は十分に満たされたから、生きることに対してあまり未練がない。一方で死ぬことへの恐怖は存分にあるから、だから今日も僕は死なない。いつも通りに息を吸い込んで、そうして言葉を吐いている。

 家を飛び出したのは行きたい場所が欲しかったからじゃない。ただ居場所が欲しかったからだ。彼の隣に立っているのは僕じゃない。それはそれで構わない。だから、他のどこか、遠く離れた世界へまで歩いてゆこうと思っていた。そこに広がる空の色を僕は未だ知らないけれど、辿りついたその場所でこの世界が創り出す全てをただ不思議そうに眺めていたかった。そうは言っても性根はやっぱり人間で、孤独はどうしようもなく嫌で、誰かと話がしたくて、なのに誰とも話せなくて、やっぱり自分の居場所なんてものはどこにもないのだと不貞腐れている。誰も見つけてくれないというのならいっそのこと空気にでもなって、あるいは幽霊にでもなって、そうやって誰にも見えないような存在でいられたらいいのになんて、最近はそんなことをよく考える。過ぎたことを願う自分さえも殺して、透明な概念のままでこの空を漂っていられたらいい。誰もいないどこかに立って、頭上に薄く広がった橙を眺めながら、そんな夢をぼんやりと宙に描いた。

 

 

空っぽでなにも無い。

 

 こと想像力という能力一つを取り出してみたときに、神海隣空無よりもそれが抜きん出ているように思われる人間と僕は未だかつて出会ったことがないし、また今後出会うことも決してないだろう。そうはっきりと断言できてしまうほどに彼女は異常で、異様で、異質で、千差万別多種多様の人間を許容しうる大学という空間であっても、あるいはこの広大な世界そのものでさえ、彼女の特殊性を覆い隠すにはまるで遠く及ばない。一見すると普通の大学生でしかない彼女は、しかし僕らが認識しているそれとは完全に隔てられた次元に生きているのだと、一度でも彼女と話した経験のある人ならばきっと誰もがそう思うに違いなかった。そして、それ故に彼女は他の何物とも交わることがない。どうしようもないほどに超越的な彼女は、だから、他の誰からも理解されることがない。神海隣空無という人物について、僕が知った風に話せることといえばその程度のものだった。

「空っぽでなにも無い。私はそういうつまらない人間なんですよ」

 記憶の中にしんと響く彼女の声はどれを取っても形容しがたい色味を帯びていて、それでいて、しかし耳にはよく馴染んでいた。空っぽでなにも無い――彼女が口癖のように唱えるその言葉は、彼女に与えられた名前に引っ掛けたものであるということはさておき、果たして彼女がどこまで本気でそう言っているのか、僕はどうにも測りかねる。たしかに知る限りにおいて、彼女は運動神経がずば抜けているというわけでも、並外れた頭脳を兼ね備えているというわけでもない。それでも、彼女には想像力という他の何物をも寄せつけない唯一無二の武器がある。先天的か否かはさておき、それほど強大な道具を与えられておきながら、なにも無い、だなんて言い草はないだろうと僕は思う――けれど、彼女は自分が何も持っていない人間なのだという、ともすれば聞こえの悪い冗談を、恐らくは本心から信じているのだろうとも思う。たとえば、彼女は僕の話を、どんなに些細なことでもいいから、とやたらに聞きたがる。その理由を以前彼女に訊いたことがある。曰く、

「この世界がどんな表情を他に隠しているのかとか、ふと興味が湧いたりはしませんか?」

 たしか、僕はそのとき首を横に振った。あるいは曖昧な笑みを返しただけかもしれない。あまりよく覚えていないけれど、何にせよ、肯定しなかったことだけは間違いない。というのも、彼女が何を言っているのか、正直全く分からなかったから、だから僕は頷くことができなかった。

 一方の彼女はといえば、そんな僕に対してもまるで無邪気な笑顔を向けていた。

「他の誰かが見ている世界を一瞬だけでも覗いてみたいんです。だってそこはきっと私なんかが見ている世界とは全く違うだろうから。電線がない世界、公園がない世界、信号がない世界。あるいは年中ずっと青空の世界に、幸せばかりが転がっている世界や、いつだって星の見える世界だって。可能性は無限にあります。でも、私は現時点でこの世界にしか生きていないし、これからもこの世界でしか生きられない。そんなの、つまらないじゃないですか。だから、その世界に生きている人へ是非とも話を伺ってみたいと強く思うのですよ」

 彼女は、だからこそ、空っぽでなにも無い、という言葉をそんな自分への呪いのように幾度となく口にするのだろう。彼女の眼にはきっと、見えなくてもいいはずの暗い影や誰も気がつかないほどに些細な光まで、正負善悪様々な概念が犇めきながらもはっきりと映り込んでいるに違いない。それらすべてに触れてみたいなんてことを彼女は本気で考えているから、だから、いまの自分はまだ何も手に入れていないのだと、あの言葉には多分そういう意味があるのだろうと、彼女とよく行動を共にさせられる僕にはそう思えて仕方がない。まあ、彼女のそういう厄介な性質が災いして、彼女が呼吸をしている様はどうしようもなく生き急いでいる風に、あるいは生き急がされている風に、誰の目からもそう映ってしまうのだろうから、彼女が不満げに話すその点について僕が思うことは特にない。

 ああ、でも――。

 すぐ隣に座っているようで、いつもどこか遠くを眺めている彼女の横顔を認めるたびに、少なくとも僕の全てが終わる一瞬まではそのままの彼女であってほしい、なんてことを僕はよく考える。消えてしまわないでほしい。彼女の生きている世界は何物よりも輝いていて、何物よりも汚れていて、きっと何物よりも真実らしい――そんな彼女がいつまでも彼女のままでいられるというのなら、それだけでいい。それがいい。その他には何も望まない。僕の隣に彼女がいる必要はもとより、彼女の隣に僕がいる必要さえない。彼女の空を少しでも埋められたならいいけれど、でもそれは僕じゃなくたっていい。僕と彼女がいまは二人でいることに、それでも意味なんてものはない――なくていい。

 彼女と出会ってからというもの、僕はずっとそんなことばかりを考えている。ずっと、ずっと、ぐるぐるぐるぐると、絶え間なく頭から爪先までの全身をゆっくりと通っている。熱くもなければ、冷たくもない。どこまでも無温の透き通った赤。

 この感情の色を、しかし僕は未だ知らない。

 

 

 

ルールはいつだって絶対的に正しい。

 

「たとえば先輩は、指定最高速度が何のために存在するのかということを考えたことがありますか? ん……、ああ、ほら。あれですよ、あれ。赤い円の中に青色の数字が書かれている標識で指定されている速度のことです――常日頃から見ているでしょう? そこら中にありますし、何ならすぐそこの大通りにも設置されていますからね。あの標識はその区間内での最高速度を指定することを目的にされていて、だから一般にその制限速度のことを指定最高速度と呼ぶわけですが――まあ、そんなことはどうだってよくて、いま僕が先輩に問うているのは、その目的の裏にあるのであろう何かしらの意味についてなのですよ。きっと先輩ならば僕と同じ考えを答えてくれるはずなので、先輩の返事を待たずに僕の考えをざっと述べてしまいますけれど、結局のところ、あれがないと困るからなんですよね――いやいや、そこに捻くれた理由なんてあるわけないじゃないですか。流石の僕でも、こんなところで変な理念を持ち出したりはしませんって。指定最高速度や法定最高速度という概念が存在しないと、僕ら人間は非常に困るわけです。だって、それを排した先に待っているのは純然たる無秩序ですから――当然ながら誰もそんな混沌とした日常を望んではいないわけで、だからこそ人間は法律という制限を、あるいはルールという境界線を作り上げたわけです。この世に数多とある決まり事は束縛のためのものなのだと、愚かな勘違いをしている人がこの国には結構いらっしゃいますけれど、全然そんなことはなくて、あれは僕らの快適な生活を保障するために存在しているのです。そういうわけで、何のためにかと問われれば、返すべき言葉は、快適に生きていくため、となるのでしょうね。だからこそ、ルールはいつだって絶対的に正しいのです。法によって保たれる秩序を享受することの代償として法の絶対性は生じてしまうわけで、それ故に僕らはその事実を受け入れなくてはならない。認めなくてはならない。法は常に正当で、真っ当で、その前提を疑ってはならないのです。一応断っておきますけれど、僕は法の柔軟性を否定しているわけではありませんよ。時代の遷移に伴って、法は作り替えられていくべきですし、古の掟を守り続けることが正解だとは全く思っていません。しかし、それはそれとして、法というやつは基本的には一定であるべきだと、僕はそう言っているのです。例外があってはならないし、例外を認めてはならない。それこそが、法の下に生きる僕らが最低限理解しておくべきことなのです」

「ところで、ここまでの話を踏まえてですが――先輩はこんな思考実験を聞いたことがありますか? 線路を走っていたトロッコが突如として制御不能となり、このままいけば前方の線路で作業をしている五人は間違いなく死ぬという状況で、しかし先輩は日頃の行いがよかったのか、偶然にもトロッコの進路を変更することができる分岐器の近くに立っていたのです。もしそれで線路を切り替えるとその先で作業中の一人が代わりに死ぬんですけどね。さて、ではその場面で先輩が取るべき行動はいったい何でしょう? ただし、先輩がどのような行動を起こそうと法的な責任は問われません、という但し書きを最後に添えて、これがこの思考実験の全設定です。実際問題、そんな状況はあり得ませんけれどね――ああ、これは、法的な責任が問われない状況はあり得ない、という意味です。先輩がどのようなアクションを起こそうが、その場に立ち会ってしまった以上はもう既に巻き込まれているわけですから、何かしらの社会的非難が向けられることは避け得ないでしょうね。それを踏まえた上で、先輩ならどうしますか? 五人を助ける? 何もしない? 僕みたいなやつからすれば、この問題は最も正しいとされるべき答えが一意に決まっているのですけれど、それって何だと思いますか? まあ、あんまり長引かせてもなんですのでさっさと答え合わせを済ませてしまいますが、最も正しい答えは、何もしない、です。何もしないことが、何よりも正しい選択であるべきなのです。それは、五人を救うために一人を犠牲にすることは許されない、だとかそういった正義感に基づいた主張では決してありません。何もしないことが正当であるのは、ルールこそが絶対的に正しいから――たったそれだけの根拠からですよ。人を殺してはならない――小学生でさえ知っている、最も基本的な法の一つですね。この思考実験の状況において分岐器にはたらきかけてしまったが最後、先輩はその五人と一人の生死に関与してしまったことになります。そこに殺意があろうがなかろうが、あるいは正義感や葛藤があろうがなかろうが、先輩が分岐器を動かしてしまった瞬間に、本来死ぬ必要のなかった一人が死んでしまうのです。だったらそれは、先輩がその一人を殺したのと何ら変わりがないでしょう? 過程なんて関係ありません。だから、触れるべきではないのです。何もせずにいるべきなのですよ。こういうことを言うと、それは見殺しにしているだけだ、などと非難したがる人がいますけれど、しかしそれは全くの的外れでしょう。法よりも優先されるべき人命なんてものはどこにもないし、あってはならない。だから、これは見殺しなどではなく、ある種の不可抗力ですよ。運命と言ってもいい。その五人は其処で死ぬ。そういうことになっていた。先輩は偶然居合わせただけで、それ以上でもそれ以下でもない。ただの舞台装置ですよ。たったそれだけのことなのに、それなのに、やれ義務感だの倫理観だのと、考える頭もないくせに小難しい要素まで拾おうとするから、こんなにも分かりやすい答えの一つすら掴めないのです」

「それで、何の話でしたっけ? ああ、そう、飲酒運転ですね。条件を一度整理しますけれど、ええっと――物凄く腕の立つ名医が一人いて、近場だとその医者にしか到底扱えないような病に侵されている患者が一人いて、さらにはその患者の病状が突然悪化したとして、しかし医者は六時間ほど前に飲酒をしており、意識は明瞭そのもので運転にも支障は全くなかったが、運悪くも道中の検問で引っかかってしまい、その場で逮捕されたとする――このとき、医者の行動は果たして正しかったのか、という先輩が受けたのはそういう問でしたっけ? 結論から言えば、正しくないでしょう。それを正しいと認めてはなりません。いくら意識がはっきりしていたといっても、それは飲酒運転をすることの免罪符にはなり得ませんし、当人にはそのつもりがなくともそんなことは関係ありませんからね。結果として、彼は法を犯した。犯してしまった。ならば、彼は正しくない。法によって裁かれるべきで、社会から非難されても文句は言えない。ルールはいつだって絶対的に正しいのですから。それに、代案ならいくらでもあるでしょう。近くにいた人に代行運転を頼むとか、タクシーを呼ぶとか、何なら救急車でもいいですよ――人命にかかわるほど急を要するというのであれば、本来の用途とは異なりますが、それでも救急隊員の方々が不平を零すことはないでしょう。飲酒をしてしまったという事情を説明すれば納得してくれるはずです。要するに、医者側のミスなんですよ、結局は。自覚があろうがなかろうが、いま自分が車を運転することで罪を犯してしまうかもしれない、そういう可能性を考慮できなかった医者の落ち度です。だから、彼は正しくない。先輩だって、そう答えたのでしょう? ほら、やっぱり、ちゃんと分かってるんじゃないですか。だったら――先輩が僕に尋ねたいのはその先なのでしょうね。ふふ、図星ですか? いえ、まあ、そんな大したことじゃないんですけれど――っていうか、その問に対して先輩がどう返すかなんてことは今更分かりきっていますし、その答えに先輩なりに筋の通った信念を宿していることも僕は熟知しています。だから、それだけならば、僕なんかにわざわざ訊く必要はない。なのに、わざわざ僕に訊いたということは、つまり、それだけではなかったということです。ごく簡単な想像ですよ、推理ですらない。先輩が尋ねられたのは、たとえばこういうことでしょう? 『では、自分がその立場に置かれた場合、いまと全く同じ思考に基づいて、全く正しい行動を起こせるか』。想像するに、先輩はその問には即答できなかった。だから、僕の意見を窺ってみようと考えた。あるいは、もう既に自分なりの解答を用意していて、しかしその答えの正当性を自分では認められないから、それを僕に任せようとお考えになったのでしょうか。まあ、どっちでもいいです。僕がその問を向けられたとしたら、僕はたった一言だけでこう答えるでしょうね。『無理だ』。どうです? 同じ答えでしたか? はは、そうでしょうね。先輩なら僕とまったく同じことを考えると思っていました。だって無理ですよ、そんなことは。考えるまでもありません。ここで、自分ならばそれができる、などと平気で吐かす人間は想像力が欠落しているどころではなく、ただの馬鹿ですね。できるわけがない。家族、友人、恋人、誰でも構いません。自分にとって大事な人へ強大な障害が降りかかっているとして、その状況下でルールなんてものを重んじる人間が、一体この世界のどこにいるというのです? まあ世界は広いですから、隈なく探せば小学校の一学年分くらいはいるかもしれませんけれど、そんなものはマイノリティです。大体の人間はルールを破ります。だから、僕らは決して正しくない。そして、だけれど、決して間違ってもいない。そうではないですか? こればっかりは幾度となく言っていることですけれど、完璧な人間などどこにもいないのです。僕らは正しくない。正しくはあれない。どう足掻いたところで正しい存在では決していられない瞬間がいつかは訪れる。僕の挙げた思考実験や、あるいは先輩が受けたような思考実験が正しくそれです。何を選んでも手が汚れてしまいそうな、どの道を進んでも足を踏み外してしまいそうな、そういう一瞬が誰のもとへも平等にやってくる。その瞬間に自分が選び取るべきは、分岐器を操作するための正義感でも、暴走するトロッコを無視するための諦観でも、どちらでもありません。どちらを選んだところで、それは間違いです。では、その瞬間に手にするべき何かとはいったい何なのでしょうね? って、先輩のことだからもうとっくに分かってるか――それが答えです。仮定の話ですが、飲酒運転をしてしまったという件の医者が、もしそれを手にした末にその行動を起こしていたのであれば、彼は正しくないにせよ間違ってもいなかった、ということになりますね。それは第三者である僕たちが知り得る情報では決してありませんが、でも、それでいいのです。だって、それを手にできるのは、そういう強い人だけですから、だから、それでいいのですよ」